消え行くAT&T

SBCがAT&Tを買収という衝撃的なニュースが走った。これで、いままで米国民に長年親しまれてきたAT&Tの名前が消えてしまうという意味で、確かに衝撃的な話である。日本でいえば、NTTという名前の会社がなくなるようなものだから、その衝撃の大きさは想像に難くないだろう。我が家でも、一時は、長距離電話、携帯電話、それにケーブルテレビもAT&Tと名前のつく会社を使っていたが、いつの間にか、どれもAT&Tでなくなってしまう。

しかし、実態を見ると、SBCはもともとのAT&Tが1984年に分割されたときに地域電話会社として始まった会社であるから、日本で言ってみれば、NTT東(または西)が長距離電話を取り扱うNTTコミュニケーションズを買ったようなものである。そう考えると、それほど大した話ではないとも言える。NTTは分割したと言っても、現在はNTT持ち株会社のもとに、長距離通信を行うNTTコミュニケーションズ、地域電話会社のNTT東西、携帯電話のNTTドコモ、さらにシステムインテグレーター最大手のNTTデータも傘下に収めているので、米国のようにAT&Tが分割されたときに資本関係のないSBC等が出来たのとは、かなり事情が異なる。

米国では、AT&TとSBCをはじめとする分割会社がそれぞれの道を歩み、お互いに競争した結果、AT&Tは業績が振るわず、結局SBCに買収されることになったわけだ。AT&Tの業績が振るわなかったのには、いろいろな理由があるが、大きな理由は三つあると私は考えている。一つは分割後に開始した新たなビジネスが、どれもうまく行かなかったことが上げられる。AT&Tは1991年に当時のNCRを買収して、コンピューター市場に参入し、IBMと競争しようとした。一方IBMも当時のROLM社を買収して、通信分野に参入しようとした。結果は双方とも失敗に終わった。AT&TはNCRをその後、再びスピンアウトしている。

また、AT&Tはケーブルテレビ事業にも参入を図り、1998年、当時ケーブル大手のTCIを買収したが、これもその後、Comcast社に売却している。それから、携帯電話事業で遅れをとったことも大きい。AT&T傘下の携帯電話会社であった、AT&T Wirelessは、結局AT&T本体が売却される少し前の昨年暮れに、Cingular Wirelessに買収された。実はSBCはCingular Wirelessの60%を持つ筆頭株主である。

二つ目の大きな原因は、本業の長距離電話ビジネスが、他の新興長距離キャリアの低価格攻勢を受けただけでなく、IP電話の発展により、大きな影響を受けたことである。これは、まだまだ影響の途上で、これからさらに大きな影響が出るところであったと考えるべきだろう。このように、新しく参入しようとしたビジネスに失敗し、さらに本業も危うくなってきたので、とうとうSBCに買収されるという事態になったと言える。

しかし、ここで、私は、もう一つ、AT&Tは大きな財産を持っていたのに、それをうまくビジネスにつなげられなかったことが、三つ目の大きな失敗の原因であり、これをうまくやっていれば、別な形で生きていけたのではないかと思う。それは、AT&Tには、ベル研究所という、過去に輝かしい研究をして、世の中の技術発展に大きく寄与してきた財産があるのに、それをうまく活用しなかったことが上げられる。

ベル研究所は、古くはトランジスタの開発、セルラー電話技術の開発、ファックスなどの開発で知られている。今、コンピューター・ワークステーションで使われているOSのUnixも、もとはベル研究所の研究から来ている。確かに昔、AT&Tが地域電話も含めてサービスしていたときは、その独占的立場が大いに問題にされ、これら先端的な技術開発から新しいビジネスをはじめて、さらに儲けるのは、政治的に難しかったかもしれない。しかし、AT&Tが分割されてからは、そのような制限もなく、ベル研究所の成果をもとにいろいろなビジネスを展開していくことが可能であったのではないかと思う。それを、結局1996年に製品開発会社のLucentとともに分社してしまい、ビジネスにうまく展開出来なかったところに、AT&Tのもったいないところがあるように思う。そして、AT&Tにとって、もったいなかったというだけでなく、米国にとっても、大きな損失であったという声も強い。

翻って、日本の状況を見ると、NTTは、分割のされ方がAT&Tと異なるので、状況はかなり異なる。しかし、三番目の問題は、大いに関連があると思う。それは、NTTの研究所が世界に通用する情報通信に関する先端的な基礎および応用研究をしているからだ。これらの研究を何らかの形で世の中に出していくことは、NTTの将来にとって、また日本の情報通信技術発展にとって、大きな課題である。

では、NTTは、研究所での研究開発成果をどのようにビジネスにつなげようとしているのだろうか。これはあくまでも外から見ての話なので、想像の域を出ないが、まだまだ埋もれたすばらしい技術がたくさんあるのではないかと思う。社内的にも研究所での成果をビジネスにつなげる努力がはじめられている。しかし、成果という面では、まだこれからである。

NTTで研究している成果は、単に日本国内でしか使えないものでは、もちろんない。むしろ情報通信で先行する米国で先に使われるものも多いはずだ。これに対して、これらNTTの最新技術を使った製品、サービスの米国市場への参入体制が社内に整っているかというと、まだまだのような気がする。情報通信の世界では、日本だけでまず広めて、それから世界に出ようとしても、世界が日本独自仕様を受け付けない土壌がある。うまく国際標準にすることが出来れば問題ないが、多くの場合、市場にあるものが広がり、それが自然に標準となる、いわゆるDe Facto標準が広がる場合も多い。そのような世界のDe Facto標準が生まれるのは、残念ながら、日本からではなく、米国からの場合が多い。このような観点から、NTTも研究所の成果を、早い時期から米国市場に展開することを考え、その体制を整えるべきではないかと考えている。

AT&Tはベル研究所という、AT&Tだけでなく、米国にとって貴重な財産を将来の情報通信技術の発展にうまく使えないまま、消えていってしまう。そして、米国としても、この大きな財産を失ったことになる。日本でNTTが消えていく、ということは考えにくいが、これまでいろいろな先端技術研究を続けていたNTTの研究所が、次第に規模を縮小し、目先のことだけの研究開発部門になってしまうことは、十分考えられる。そうなっては、NTTの損失であるだけでなく、日本の情報通信業界にとっても、大きな損失となる。そうならないように、NTTは、もっと積極的に、その研究成果を情報通信の本丸である米国市場でのビジネスにも力を入れ、研究所の価値が十分見えるような形にする必要があるだろう。

(02/01/2005)


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