日米間の情報格差


今やインターネットで世界中に情報がアッと言う間に伝わる時代である。はたしてこのような時代に日米間の情報格差はあるのだろうか?たとえば、インターネットについての情報は毎日のように日本の新聞雑誌をにぎわしており、インターネットの専門紙も、ある人の話によると10を越えるといわれている。これらの専門紙は米国の最新事情を伝えるべく、米国の人でも知らないような情報も探し、日本の人々に伝えようとしている。

では、もはや日米間の情報格差はないのであろうか?私の結論は否である。先日も日本からのある視察団体の方々とお話をする機会があったが、その人達の不安は、日本にいて新聞雑誌が書いている事は本当だろうか、実際のところ米国ではどうなっているのだろうか、という疑問であった。私はこのような疑問をもつ事は大変健全な事であると安心した。これらの方々はそれを確かめるべく、米国に出張し、私のような米国に長く住んでいる人間の話を聞こうとしている人達なので、あるいはそういう意識の強い人々だったのかもしれないが、米国に出張に来ない人達も、是非日米間の情報格差は、この情報通信の発展した今日でも、依然として存在する事を認識しておく必要がある。

では、一体どんな情報格差があるのか。確かに日本の新聞、雑誌、専門紙等を読み、また書店の店頭で売っている話題の本などを読むと、米国のかなりの細かな情報が得られる。中には重箱の隅をつついたような細かな情報も日本に伝わっており、われわれ米国に長く住んでいるものでも知らないものもある。私が一番問題だと思うのは細かな情報ではなく、それぞれの情報の重みの違いが十分伝わっていない、時には重みが米国の現実とは大きく異なった形で伝わっているという点である。

私が日本で米国のインターネット最新事情等の話をセミナーなどでする場合には、いつもこの点を感じとってほしいと皆様に申し上げている。その事が私の話を聞く場合に最も重要であり、いままで聞いたことのない情報を知るなどという事よりも、はるかに重要だからである。実はこのコラムにしても、この点が最も読者の皆様に感じとってもらいたいものなのである。1年前にこのコラムを始める時、そのイントロダクション(英語版のみ)にも書いたように、現実を書く事は時には読者にとって退屈な内容になってしまうかもしれないが、本当の米国の状況を知り、それをベースに経営判断等をしていく事こそ、世の中のブームに付和雷同することより、はるかに大事だと思うからである。

ことわっておくが、新聞、雑誌の方々がよい仕事をしていないといっているわけではない。ごくまれな例外をのぞき、事実をちゃんと伝えている。ただ、私の感じでは、海外にいる記者の方々は非常に幅ひろい分野をカバーしている方々も多く、専門的な背景を十分持たずに個別の情報に接していたり、日本の本社の意向で日本の読者が知りたがっている情報を、時には“聞きたがっている”形で記事にしている(実際に記事にしているのは日本にいる人達かもしれないが)場合が見られる。本についても同様で、重要度を考慮した内容というよりも、売れそうなものが沢山出版されるという傾向にあるようである。これらに頼っていると、全体の中でのその情報の重みというものがずれてきてしまう。これが問題なのである。

1年前の私の最初の西海岸メディア・レポートを見ると、まさしくこの(私のいう)日米の情報格差が大きかった時であった。日本は昨年はじめの小さな第一次インターネット・ブームが終わり、書店ではインターネット・コーナーが消え、かわりにCALS、CALS、と皆が騒いでいた時であった。この頃、日本の新聞、雑誌、本などで“米国のCALSはすごい”とCALSを大々的に書いていたものが多かったのをご記憶の方も多いと思う。そして、CALSというものが米国ではインターネットと同等、場合によってはそれ以上の重要なものと思われた日本の方々も多いのではないであろうか?そのような状況の時に書いたのが私の一年前のレポートである。是非1年後の今、もう一度お読みいただきたい。そうすれば私のいう情報格差というものがどんなものか、よくわかっていただけると思う。あの時、CALSは米国でもすごいと数少ないCALSの情報をもとに書くことも可能であったわけであり、その時はそのほうが読者をひきつけたかもしれない。しかし、皆様に納得していただけるまでに1年かかっても本当の姿を伝えたいというのが、私の方針である。

ここで、ひとつCALSについて弁護しておきたい事がある。私は1年前からインターネットに比べればCALSは米国で知っている人はごく一部のものであると言ってきた。これに変わりはないのだが、ひとつ大事な事は、CALSという言葉が日本と米国では異なった定義を持っている、あるいは異なった使われ方をしている、という点である。これも日米間の情報格差のひとつかもしれない。

米国でCALSといえば、いわゆる米国政府が機器調達に利用する、詳細な仕様を定義した、CALSそのものである。一部CALSを推進している人々はもう少し広い定義をしているかもしれないが、この狭義の定義が一般的である。したがって、米国では政府調達関連の仕事をしている人以外はCALSという言葉をほとんど知らない。日本で毎日のようにCALSという言葉が新聞をにぎわしていた時、米国の新聞でCALSという言葉を見た記憶がほとんどない。

これに対し、日本ではCALSという言葉をいわゆるCALS標準で定義したものから拡大し、企業間のある一定のフォーマットを決めた幅広い情報のやりとりというように考えているようである。それでいけば、米国は民間企業ベースでも沢山やっている。ただし、そこにCALSという言葉は出てこない。日本でいうCALSは米国の民間企業で存在しないわけではなく、また企業にとっても重要なものである。したがって、ブームから1年たった今、もうCALSは忘れていいというわけではない。ただし、米国に訪問する時にはCALSという言葉ではなく、企業間の幅広い情報のやりとりについて(残念ながら米国ではこれらすべてを含む適当な言葉がない)という形で色々議論されるとよいと思う。

話を日米間の情報格差に戻すが、では、この情報格差にどう対応すればよいのだろうか。一番よい方法は自分で米国に何度も足を運び、実態を掴むのがよいだろう。しかし、そうは言ってもそのような事が出来る人達ばかりではない。そのような時には米国に長く住んでいて、しかも日本の事もわかっている、信頼できる人の意見、情報に頼るというのは、一つの方法である。できれば、このような情報源を複数持てれば、なおよいであろう。

私も、シリコンバレーに来て早や8年半、日本にも年7−8回出張し、日本の新聞、雑誌等にも目を通しているので、日米間の情報格差がどこにあるのか、ある程度わかっているつもりでいる。このコラムを通じ、また日本でのセミナーやコンサルティング活動を通じ、日米間の情報格差を埋める事に努力している毎日である。

(9/01/96)


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