われわれ日本人がアメリカ人などと話をするとき、われわれを悩ますことの一つに言葉の違いがある。思ったことがうまく英語で表現できないとか、相手の話す速さについていけないなどという事も多々あるわけだが、そのような単純な語学力の問題だけではなく、言葉自体の使われ方が日本とアメリカで異なる場合がある。
一番始末に悪いのは、もともと英語の言葉だったものが、日本で使われている意味でそのままアメリカ人に話すと、相手がきょとんとし、話が進まない場合である。例えば「スマート」という明らかに英語からきた言葉があるが、これは日本では太っていない体型のいい人などをさして言う場合がほとんどではないだろうか。これに対し、米国ではスマート(smart)といえば頭がよいという意味で使われ、太っていない体型のいい人などという使われ方は、ここ10年近くの米国生活でも聞いたことがない。
このような日常会話に出てくる英語の言葉の、日本と米国での使われ方の違いについては、いくつか書籍も出ているようなので、米国へ転勤される方、また頻繁に出張される方は一読されることをお勧めしたい。言葉の意味の違いに加え、意味は同じでも微妙な発音の違いがあるものも要注意である。
このコラムでこのような話をするのは、日常会話での言葉の違いだけでなく、情報通信の世界でも同様の言葉の違いによる問題に、つい最近直面したからである。先月号でも拙著“インターネット・セキュリティ”について触れたが、おかげ様で色々な雑誌などにも書評を載せていただいている。その中で、ハッカーとクラッカーを区別して論じるべきであったという趣旨の批判をされた雑誌がひとつあった。
米国ではネットワーク経由で他社などのコンピューターに不法侵入し、色々と悪さをする人達を一般にハッカーと呼ぶ。一般の人が目にする新聞やテレビではこのハッカーという言葉が使われており、それ以外の言葉はほとんど目にしない。ただ、専門家のあいだでは、ハッカーという言葉はもう少し広い意味で使われ、このようなことの出来る技術をもった人という意味となっている。つまり、悪いハッカーもいれば悪くないハッカーもいるということになる。そこで、彼らのあいだでは、この悪いハッカーだけを区別してクラッカーという言葉を使う場合がある。そういう意味では、拙著でハッカーとクラッカーという2つの言葉があり、専門家は区別して使用しているという表現をすべきであったと、この指摘を受けて反省している。
ただし、米国に10年近く住んでいる私の趣旨としては、この本が専門家ではなく、管理職や一般ビジネスマン向けに書いたものであったため、クラッカーなどという米国でも専門家しか使わないような言葉は省き、一般に使われているハッカーという言葉でわかりやすく統一したつもりであった。そもそも私の理解、そして情報セキュリティの専門家の友人の意見でも、一般の人はハッカーという言葉は知っているが、クラッカーという言葉は知らないだろうということで一致している。
その後、日本の新聞を読んでいたら、コンピューターへの不正侵入の話が出ており、ハッカーとクラッカーの説明までされていた。これはその両方を説明しているという意味では大変よいと思うのだが、ひとつ気になったのは、そのなかに、“米国では(このような不正を行うハッカーは)クラッカーと呼ばれる”という表現があった。私に言わせればこの説明は正しくなく、“米国の専門家のあいだではクラッカーと呼ばれる”が正しいと思う。もしこの記事を読んだ日本人の方が、米国に来て一般の人にクラッカーという言葉を使ったら、おそらく通じない(食べ物のクラッカーか、パーティーで使うパンという音を発てるクラッカーのことと思われるかもしれない)のではないだろうか。やっかいなことである。
言葉の意味の違いで思い出されるのは、ちょうど1年前にこのコラムでも書いたCALSについてである。2年ほど前に日本の新聞、雑誌、本などで“米国のCALSはすごい”とCALSを大々的に書いていたものが多かったのをご記憶の方も多いと思う。そして、CALSというものが米国ではインターネットと同等、場合によってはそれ以上の重要なものになっていると思われた日本の方々も多いのではないであろうか。しかし、日本で毎日のようにCALSという言葉が新聞をにぎわしていた時、米国の新聞でCALSという言葉を見た記憶がほとんどない。業界誌でも年に1、2回見るか見ないかというような言葉なのである。米国では一部の政府関係者と政府に製品を納入している会社の人達しか知らず、情報通信関係者でもほとんどの人が聞いたことがないのが、CALSという言葉である。
このCALSの問題は昨年のコラムで書いたとおり、日米の情報格差の典型的なものであるが、その背景にはCALSという言葉の使われ方の違いもあることを忘れてはならない。米国でCALSといえば、米国政府が機器調達に利用する、詳細な仕様を定義したCALSそのものである。一部CALSを推進している人々はもう少し広い定義をしているかもしれないが、この狭義の定義が一般的である。
これに対し、日本ではCALSという言葉をいわゆるCALS標準で定義したものから拡大し、企業間のある一定のフォーマットを決めた幅広い情報のやりとりというように定義しているようである。その意味でいけば、米国は民間企業ベースでも沢山やっている。ただし、そこにCALSという言葉は出てこない。日本でいうCALSは米国の民間企業で存在しないわけではなく、企業にとっても重要なものである。したがって、ブームから2年たった今、もう(日本で使われている意味の)CALSは忘れていいというわけではない。ただし、米国を訪問する時にはCALSという言葉ではなく、企業間の幅広い情報のやりとりについて(残念ながら米国ではこれらすべてを含む適当な言葉がない)という形で議論する必要があるわけである。
“インターネット・セキュリティ”に対してご指摘をいただいた雑誌の編集長には、何度かのメールのやり取りで私の趣旨もご理解いただけたと思うが、今後ともこのような言葉の定義や使われ方の違いによる誤解や、日本人と米国人のミス・コミュニケーションが起こらないよう、出来る限りこのコラムでもこのような違いが見つかり次第、取り上げていきたいと考えている。
(09/01/97)
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