これまでに書いてきたインターネットのはじまりは、米国国防総省下のDefense Advanced Research Project Agency (DARPA)による、ARPANETであり、その最初の接続実験は、SRI InternationalとUCLA(California大学Los Angeles校)の間で1969年11月21日に行われたものである。
ところが最近、11月22日のインターネット30周年を記念する集まりがあるという。一体どういうことかと確認してみると、それは、1969年にはじまったARPANETが、2つの別なネットワークと初めて接続実験を行ったのが、30年前の11月22日ということだった。インターネットとは、そもそも1つのネットワークではなく、その言葉が示すとおり、複数の異なるネットワークをつなげたものなので、この1977年11月22日という日は、インターネットの第二の誕生とも言える日だったのだ。ARPANETが複数の異なるコンピュータを接続するネットワークとして登場したのに対し、1977年の実験は、複数の異なるネットワークを接続する、インターネットワーキング(internetworking)を実現したものだった。ちなみに、最終的には、この集まりは、インターネットの30周年ではなく、はじめて3つのネットワークを接続させてから30周年、というタイトルに変わっていた。
では、そのときに接続されたARPANET以外の2つのネットワークはどういうものだったかというと、ARPANETが通常の有線ネットワークだったのに対し、残りの2つは無線ネットワークであり、一つはPacket Radio Network、もう一つはPacket Satellite Networkであった。今でこそ携帯電話が普及し、無線ネットワークは当たり前のような時代になっているが、その頃から無線ネットワークをパケット通信で接続したというところが、いかにも先進的といえる。
Packet Radio Networkは正式にはSan Francisco Bay Area Packet Radio Netといわれるものだった。このネットワークの構築には、やはりSRI Internationalが中心となり、それにBBN(Bolt Beranek and Newman)、Collins Radio(現Rockwell Collins)、UCLAが加わっていた。Packet Satellite Networkは正式にはAtlantic Packet Satellite Netといわれ、ヨーロッパ(イギリス、スウェーデン)と接続した。中心になったのはLinkabit Corporationという会社だが、その会社で中心的な役割を果たした会社創設者の一人であるIrwin Jacobs氏は、後に現在携帯電話市場で有力な技術となっているCDMA(Code Division Multiple Access)技術を開発したQualcomm社の創設者の一人であり、現在の会長である。
このときのネットワーク接続実験は、SRIが所有する小型トラック(バン)に搭載された無線端末から、San Francisco Bay Area Packet Radio Netを経由してARPANETにつなげ、さらにそこからAtlantic Packet Satellite Netにつなげてスウェーデン、イギリスを回って再び米国に戻り、ARPANETに再び戻って、ARPANETにつながっている南California大学(USC)のコンピュータに接続したものだった。
この集まりには、その当時のキーとなる人達が集まり、パネルディスカッションを行い、当時の話をいろいろした。面白かった話の一つに、当時BBNでネットワークのゲートウェー・ソフトウェアを開発していた女性が、そのとき何をしていたかとか、よく聞かれるけれども、その時は、ただネットワーク接続のテストをやっている、というだけのことで、30年後になってインターネットが世界中に広まり、自分達がその基礎を築く実験をしていたなどという意識がなかった、という話があった。実験した日にちにしても、ヨーロッパに行ったときは、パスポートを持っていったので、記録が残っているからわかるけれども、カリフォルニアに行ったときは、パスポートがいらないので、何日だったかなんてとても覚えていないという。ついでに、会場の人達に向って、「あなたが今やっていることが30年後には、すごく大きなことになっているかもしれないですよ」と言って、会場をわかせていた。
また、当時の話として出てきたものでびっくりしたものに、音声をパケットで送るVoice over IP(VoIP)がある。インターネットが本格的に広がりはじめた1995年頃でも、VoIPは、話としてはあったものの、実際にこれが本格的に使われ始めるまでには、何年もかかり、ようやく本格的に使われはじめたのは、ここ数年だと思うが、それがこの1977年当時から検討され、1977年11月22日よりは後のようだが、実際に実験も行われたという。まだまだ通信速度が遅く、音声パケットを優先的に送って音声遅延を少なくするなどという技術も発達していなかったので、とても使いものにならなかったのは言うまでもないが、当時からパケット通信で、音声のようなリアルタイム性が必要なものも送受信しようとしていたのは、大したものだと感じる。もっとも、当時、音声をパケットで送るという話を電話(通信サービス)会社にもっていったところ、全く興味をもたれなかったという話だ。もちろん当時の技術レベルでは、それが正しい判断なわけだが、今やVoIPでの音声通信も活発になり、何よりも通信サービス(電話)会社が、基幹ネットワークをパケット通信ベースに切り替えつつあるのは面白い。
他にもいろいろと面白い話があったが、たとえば、ネットワーク・ゲートウェーもまだハードウェア性能が低く、ストレージも少なかったので、送られてくるパケットで一杯になると、あふれたパケットを捨てていたという。そんなことをしたら、データがちゃんと受信側に送られないじゃないか、ということになるが、じゃあ、どうすればよかったというのか、という話で、最も簡単な方法として、パケットを捨てることにしたようだ。ただし、そういうことが起こっても、最終的には受信側にデータがちゃんと届くようにしたのが、このネットワークのアーキテクチャーのすばらしいところであり、今でもその思想は貫かれている。
最後に、今のインターネットは、なかなかセキュリティの問題が解決されないが、このネットワークを構築した当時、セキュリティは考えていたのか、という質問が出た。これに対しては、セキュリティの問題があることは知っていたが、ともかくどんどん前に進んだ、ということのようだ。ただし、国防総省がからんでいるプロジェクトなので、当然セキュリティを考えないままというわけではなく、暗号を使った通信、それも、現在もつかわれている公開鍵を使った暗号方式などが、すでに並行して研究開発されていたとのことだ。
ただ、最後に、当時DARPAにいたBob Kahn氏が、「セキュリティのことを最初からきちっとやろうと考えていたら、今のインターネットはできなかっただろう」と言っていたが、これも全くそのとおりだと思う。セキュリティに完全はなく、限りなくセキュリティを完全に近づけたとしても、コストと使いにくさで、使いものにならないネットワークになっていただろうから。セキュリティは、今も昔も厄介なものである。
(11/01/2007)
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