'97夏チェルノブイリ報告 広河隆一


 キエフの病院で、薬を渡すために甲状腺ガンの子どもが集まる日が年に2回くらいあり、そこには専門医や救援団体も集まります。ある母親が現れて娘をなんとか助けてくれと訴えていました。その娘さんというのが、この春日本に来たリエナという女の子が講演会で語っていた「死にそうな友達」だったのです。子ども基金は一人ひとりの手術代を支援するようなお金はなかなかないのですが、出来る限り支援すると約束しました。母親は喜んで帰っていきましたが、1週間程してその子が亡くなったと連絡がありました。

 特に地方に住む子は、早期発見ができず亡くなる場合が多くあります。1月に亡くなったターニャもそうです。原発から何百キロも離れた所に住む子どもたちは体に異常があっても、チェルノブイリの影響とは考えず、適切な検査を受けずに、ガンが転移してしまうのです。

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 小児甲状腺ガンの統計は、手術をしたとき15歳以下だった子どもの数を数えます。ベラルーシで昨年末で500人でしたから、現在560人くらいでしょうか。ウクライナは昨年末で274人、現在300人は突破したと思います。

 しかし事故当時例えば15歳だった子は現在26歳で、小児甲状腺ガンの統計には入ってきません。一般統計上、小児甲状腺ガンは今後治まっていくようにみえます。ところが事故当時子どもだった人を含めた甲状腺ガンの発生の数をみると、ウクライナで740人、ベラルーシで1200人(昨年末)にもなります。小児甲状腺ガンのピークは2005年と言われています。その後統計がゼロになったとしても事態は終息するわけではなく、青年・大人の問題として続いていくのです。

 サナトリウム「希望21」は、セシウムが1平方キロメートルあたり5キュリー以上の汚染のひどいところの学校の子が、クラス単位で保養するための施設です。夏は特別プロジェクト期間で、去年と今年は、子ども基金で甲状腺の腫瘍の手術を行なった子どもの保養を実施しました。この中に悪性腫瘍つまりガンの子たちも多く含まれます。子どもの前では『甲状腺ガン』という言葉は使わないと、サナトリウムの職員・先生・医者たち全員で約束して今回保養を行ないました。

 子どもの半分以上は自分がガンであることを知りません。現地で甲状腺ガンは治らない病気だと考える人も多いので、ガンの告知問題は深刻です。甲状腺ガンはちゃんと治療すれば治る病気です。治る病気だと教えたうえで子どもに告知する必要があるのに、病院の通知を子どもが偶然見て知ってしまうといった悲劇的な話を多く聞きます。

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 我々がやれるのは医者ができないこと、生きる希望や勇気を持たせること、病気を忘れさせることです。今回参加した140人のうち25人の子は手術のとき甲状腺だけでなく副甲状腺もとってしまった子でした。そうすると人間の体はカルシウムを吸収できず、頻繁に痙攣をおこして倒れます。こういう子に必要なのはカルシウムとカルシウムを吸収する薬です。

 しかし薬は高価で、親の平均給料の1か月分をあてても薬1か月分が買えません。医療機関は無料でも、病院には薬が不足しています。子ども基金では今回保養に参加した子どものためにこういった薬を日本から送り、専門医も呼びました。これは非常に喜ばれました。

 子どもの中には乱暴になり遊びに入ってこない子がいます。生きる希望を持てず、首の手術跡を隠そうと内向的になり、なげやりになって薬も飲まなくなり治療も受けなくなります。うれしかったのは、そういう子が日本のボランティアとの交流を通じて、どんどん参加してくるようになったことです。医者や付き添いも驚いていました。日本文化の一つひとつの教室に精神的なリハビリ効果があったと、心理学者たちも評価し、今後のサナトリウムの計画にぜひ取り入れていきたいと言っていました。

(8月23日、北沢タウンホール)


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