当初1回に20人程度を予定していた和紙人形教室は、回を追うごとに生徒が増え、高木さんは毎晩睡眠時間をろくにとらずに次回の教室のための準備に追われていた。子どもたちは色とりどりの和紙で人形を作るというのがとても楽しかったようだ。 教室の最後には顔だけで掌ほどある大きな人形を作り上げ、展示した。高木さんはダンボールなどで即席の雛団を作り、子どもたちの作品を美しく飾付けた。
はじめの教室では、ミンスクの花屋で仕入れてきた花を使ったが、長島さんがサナトリウムのまわりの森を散歩したところ、様々な野の花が咲き乱れていることがわかり、後半には森でつんだ花を使用しての教室になった。展示会では、子どもたちによる野の花の生け花が発表された。 茶道教室は、和傘の下に緋毛氈を敷いた教室で行った。子どもたちはみな靴を脱いで正座し、茶の席に参加した。はじめは長島さんのたてたお茶を飲む作法を教わり、最後には子どもたちだけで茶をたてて別の子が飲むというところまでを覚えた。茶菓子は干菓子・羊羮などを用意した。
満留さんは学生時代、プロのマジシャンの弟子として活躍していた手品師だ。コイン・ハンカチ・パンを使う手品から、割り箸を使った手づくりの手品まで様々な技を教え、子どもたちに大人気だった。発表会では子どもたちによるマジックショーが行われ、大きな拍手を受けていた。
子どもたちは、竹刀を持つことを非常に喜んだ。防具も、喜んでつけていた。武道の伝統的な精神を説明して、礼・黙祷も行った。正座などしたことがなかった子どもたちは、異国の文化をなにからなに何まで楽しんでいたようだった。 芸術作品の製作が目的で参加が決まった川田さんは、たまたま学生時代に長く剣道部に所属していたことから、剣道教室の先生も買ってでた。実家にあった防具を持参して参加した川田さんは、始めてみれば教室の中心となって子どもたちを指導した。サナトリウムにいた人間はみんな、川田さんを武士だと思っていたようだ。
川田さんは楽器のデザインを職業とするデザイナー。今年初めにチェルノブイリ子ども基金は「チェルノブイリ・メモリアル・アート・コンペティション」という彫刻などの公募を行った。子どもたちをはげますような作品を集め、サナトリウム「希望21」に永久展示するのが目的。作品の現地製作を行う部門の金賞受賞者が川田さんだ。 川田さんの作品「空をみるための道具」は、長方形の木の板を斜めにたてかけて、そこによりかかって空をながめるという設定。作品を設置する場所は、子どもたちと一緒に何度も検討して決められた。作品は日本フェスティバルの開催までに基礎工事を終え、フェスティバル中に披露された。子どもたちは次々に作品によりかかっていた。
林さんは舞踊家。からだを通して心を解放する方法を日々研究している。今回はじゃんけん遊びから即興まで、幅広い身体表現の時間を子どもたちと共有した。毎時間の最後に行うリズムダンスが子どもたちの一番のお気に入りだった。 また、発表会に向けて和太鼓の曲などを使用した創作ダンスを子どもたちに教えた。武道的要素も取り入れた踊りを、子どもたちは楽しんで踊っていた。発表会では熱心な生徒たちの踊りが披露された。
日本語を教える教室は、箸・陶芸・書道などの教室と一体となって行われた。あいさつから始まって、自分の名を言う、自己紹介、好きなことの説明、日本の位置・東京の位置の説明など、多岐にわたって教えた。子どもたち全員に配った、チェルノブイリ子ども基金が製作した「日ロ会話集」を教科書とした。 子どもたちはあっという間に日本語を覚えていき、交流会の後半になると、校庭で日本人とすれ違う子どもたちの多くが「こんにちは」と日本語で挨拶するようになっていた。(注;ロシア語も学んでいる大平さんは、日本語教師として8月から約1年、ロシア・サンクトペテルグ市に滞在予定)
武田さんは児童館に勤める児童指導員。力丸さんは病院で医療事務の職につきながら、小児科病棟で読み聞かせをしている。二人は協力しあい、子どもたちに絵本の読み聞かせや折り紙、ユニット作り、けん玉遊び、お手玉遊びなどを教えた。 七夕まつりの日には、七夕の絵本を読み聞かせ、子どもたちと七夕飾りを作って一緒に飾りつけた。ユニットとは、たくさんの折り紙を組み合わせてひとつの物を作る遊びで、展示会では、子どもたちの背丈もあるおおきなひまわりや、かわいいもみの木などがいくつも並んだ。
福祉施設に勤める奥さんは、書道五段。オリエンテーションでは羽織袴姿で登場し、大きな紙に「希望」と書いてみせた。小筆を使ってカタカナで自分の名前を書くところから、漢字も使って「家族」「夢」「愛」「希望」「お母さん」「こうのとり」など様々な日本語を、その意味を教わりながら、墨で書いていった。 教室が終わると、下敷きにしていた新聞紙をはみだして机にひろがった墨を落とすのにずいぶんと時間を要したほど、子どもたちはみんなのびのびと書道を楽しんでいた。交流会最後の展示会では、子どもたちの作品が壁一面に飾られた。
鈴木さんは磯料理屋のお女将さん。目で見ても美しい日本料理という文化を子どもたちに教えたいと、日本料理教室を開いた。ウクライナやベラルーシではなかなか手に入らないワカメを使った、ワカメとキュウリの和え物やそうめん、丼料理などを披露した。 子ども全員を集めての日本食の試食会では、重箱やザルに盛りつけられた様々な巻きずしや、五目寿司、肉じゃが、かんてんデザートなどが並び、子どもたちに彩りと日本の味を楽しませた。
広河さんはサナトリウムでの保養全般の日本側責任者だった。平行して文化教室の進行を行ない、人気のある教室を見定めて臨時教室を開く手配なども行った。盛り沢山の交流会の進行全般から、経理、発表会のタイムキーパーまでをすべて一人でこなしていた。
7月7日、七夕まつりを行った。夕食後、食堂に集まっていた子どもたちに短冊を配り、各自が願い事を書いた。「たなばた」の歌をロシア語読みで書いた楽譜も配って、みんなで歌いながら笹に短冊をつるした。交流会の間、笹は食堂に飾られ、帰国する際に回収した短冊は、8月12日、広島の原爆の子の像の前ににおかれた。 子どもたちの願いをいくつかあげる。
「自分と家族みんなが元気でしあわせでありますように」
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