●力丸邦子さん(東京ウィーク) 希望21に着いた日から2日程して、子どもたちから手紙をもらうようになり、どうして自分に手紙がくるのかと振り返りました。 庭ですれ違った女の子に白ツメ草を摘んで指輪や腕輪を作り結んだこと、誰でもつかまえて『せっせっせっ』と日本の遊びの相手をさせてしまったこと、ブランコに割り込んでしまったこと等が思い当たります。 自分は子供一人ひとりの顔をしっかり覚えていなかったけれども、子どもたちの方は覚えていてくれたのです。授業での接触よりも生活として過ごす中で、ごく短く触れ合った、そのことを子どもたちも受け止めていてくれたのです。 もっと、一人でも多くの子どもたちに、こうもしたかった、あれも伝えたかったと、今は悔やむばかりであるけれど、やり直せないことではない気がします。今回のことを出発点として次に繋げて行こうと思っています。どういう形で、次が実現するか分からないけれども、一人でも多くの子どもと接し、言葉を交わしにきっとまたベラル−シに行こうと思っています。 今回の旅で思いがけない収穫が一つありました。それは、自分の周囲の人達がチェルノブイリに関心を持ち始めたことです。 手術の傷痕のこと、気管支がゼーゼーしていること、希望21では常備薬はうがい薬が多かったこと、食事のことなど、見てきたことを私も自分の周囲の人達に聞いてもらいます。こうして話すことが、核がどんなものかみんなで考えていくきっかけになったらと思うのです。 ●三浦枝美さん(日本フェスティバル) 小さい頃から習っていた日本舞踊が、このよう文化交流の場で役に立ったことをうれしく思います。サナトリウムを訪れるまでは「たった1週間で子どもたちと上手くやれるか」など一抹の不安はありました。実際滞在してみると、彼らの着物への関心の高さ、踊りへの熱心さ、覚えの早さなどにびっくりでした。 教室には、毎回予想以上に大勢の子どもたちが参加してくれて、子どもたちが喜ぶのならと無我夢中で毎日の授業をこなしました。実際たった4日間で2つの踊りを皆ほとんど完ペキにマスターしたのですから脱帽です。 最終日の夏祭りで踊りを披露する子どもたちの満足そうな表情はとても印象的で、私自身も充実感であふれた瞬間でした。 そして、今回いちばん衝撃を受けたのは汚染地訪問でした。原発30km圏内のその村は、外見だけは家もそのまま、花も咲いて鳥も飛んでいるのに不気味なくらい静かでした。もちろん人は住んでいないのですが、その静かさにとてつもない恐怖感を覚えました。 逆に放射能に対する恐怖感はその場では少しも感じませんでした。色もにおいもない空気のような放射能を肌で感じるのはとうてい無理で、放射能計測器の針を見ながら目で感じていました。 サナトリウムで出会った子どもたちはどの子も明るくて「この子たちは本当に病気なんだろうか」と思うくらいでした。彼らの奥にある葛藤を読みとることはできませんでしたが、今回の活動が子どもたちの心の中に少しでも明るい気持ちが宿るための、一役を果たせていたら幸いです。 ●増田陽代さん(日本フェスティバル) 7月20日。ベラルーシのミンスクに着く。雲がとても印象的だった。近くて、存在感がある。日本の雲を思い浮かべようとしたが、そのイメージはぼんやりとしたものでしかない。果たして自分は、日本でどんな生活を送っていたのだろう。ふと、私のチェルノブイリに対する認識が、ひどく粗末なもののように思えた。最初の正直な感想である。 希望21は、必然性に包囲されている普段の日常生活の裏側である。その中で、日本人だからこそ出来る授業を通して、私たちはそれぞれ、お互いに特別な体験をする機会を得た。 私の場合、ロシア語を母国語に持つ国での子どもたちとの触れ合いを、自らの頭・心・身体で感じることにより、初めてチェルノブイリを身近なものとして意識した。それまではチェルノブイリに関するすべてが、自分自身の想像の枠を出ないものにとどまっていたためだ。こういう気持ちは、具体的に行動することによってのみ得られるのかもしれない。 とにかく希望21に行くまでは、彼らに何をしてあげられるのか、関わりを築くことばかり考えていた。でも人生にマニュアルなんてありえない。「いま」という瞬間は、永遠でも絶対でもない。絶えず新しく創っていくものである。 過去に起きた事故は曲げられない事実だ。これは決して封印してはならないし、また、私たちの意識の中に深く刻んでおかねばならないものだと思う。そのうえで「いま」を大切に生きたい。「いま」そこにある関わりに気付いていたい。そう実感した。 ●竹末良三先生(小児科医師、日本フェスティバル) 一見、元気そうに見える子どもたちも、首にU字型の大きな手術痕が残っています。甲状腺ガンと診断された子は、再発が多いために甲状腺すべてを摘出したり、ガンが転移したリンパ節も同時に摘出するため大きく切開するのです。 また、カルシウム不足のため、背中に他人の骨を埋め込む手術をした子がいました。同行のキエフ内分泌研究所の医師によると、内服薬が手に入らないため手術を行ったとのことです。日本では考えられない治療法です。 甲状腺以外にも、放射能は子どもたちにさまざまな影響を与えています。胆のうの機能異常による腹痛、不眠症、易疲労性など、原発事故以前はあまり見られなかった自律神経症状が多発しています。低カルシウムのため運動のときに喉頭けいれんをおこし、呼吸困難となった子もいました。 希望21の医師は、子どもたちが疲れやすく、運動能力も少し劣ると言っていました。放射線医学研究所では科学療法に加えて、心理的なリハビリを行なっていました。自律神経症状に対し、達成感と自信をつけさせるために、コンピューターグラフィックや自己催眠の訓練が有効だそうです。 原発から20数キロの村を訪ねましたが、住む人のいない廃村や小学校は、すさんで荒れ果てていました。放射能カウンターを見ていた広河さんは、以前より汚染がすすんでいるようだとつぶやいていました。 汚染地やその周辺では、ガン以外にも糖尿病や白内障が増えているようです。放射能が残るかぎり、こうした病気は今後も増えてゆくでしょう。心残りを感じながら、希望21を後にしました。
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