【村形さんには、ベラルーシでの交流会のあと、ウクライナのサナトリウム「南」にも訪問していただきました。】 連日、授業の準備やスタッフ打ち合わせ、移動などで予想以上にめまぐるしい日々だったが、振り返ってみればあっという間の3週間。そして、どこにいても子どもたちの笑顔と人々のあたたかい心がそこにあった。もしあの日、新聞に載せられた小さな記事に目をとめることがなかったならばあの人々に出会うことは一生なかったであろう・・・と、今回参加できたことにあらためて感謝している。 <希望21にて> 当初、“日本文化交流会”という言葉に、やはり日本らしい伝統文化や芸術でなければダメなのかと悩みもしたが、何よりも子ども自身が生き生きと取り組めるもの、特別な才能や技能がなくてもできるもの、簡単で楽しいもの、美しいものを美しいと感じる心や自分にもできるという満足感にたっぷり浸れるものが一番、と腹をくくり、日本の子どもたちに評判の良かった折り染めをすることにした。カットした障子紙を折りたたみ、それぞれの角に染料で色を施すと思いがけない美しい模様ができるというもの。結果は上々で、オリエンテーションでは私の一挙一動に注目し、広げた和紙から現われる色彩豊かな模様に驚きの声と拍手をたくさんいただいた。ほとんどの子が休むことなく参加し折り染め和紙を使ったメモ帳、ひねり箱、万華鏡、蓋付小箱、凧を大事そうに抱えて帰っていくのだった。付き添いの先生方も大変興味を持ってくださり、熱心に取り組んでいる姿が印象的だった。持ってきた障子紙10ロールが足りなくなるのでは、という嬉しい不安を抱きながら、無事全日程を終えることができた。折り方は同じでも重ねる色を変えるだけで、一つとして同じ模様ができることはない。子どもたちはお互いの模様を比べては喜んだりガッカリしたり。それでも“自分のが一番!“という満足そうな顔がとても誇らしげで素敵だった。授業開始のだいぶ前から教室の前で待っている子、材料の準備をしている私の傍に来て手伝いを申し出る子、授業が終わっても「モージュナ?(いいですか?)」と言ってもいつまでも紙を染め続ける子。折り染めという場面を通して、人と人との触れ合いが生まれているのだとも感じた。設定された時間外に教室を訪れる少年もいた。皆と一緒のペースや活動内容が難しい状態だったが、じっくり関わってみると彼なりに作業手順に見通しを持って取り組むことができるとわかった。真剣な表情で染料を選びながら紙を浸し、おぼつかない手つきながらも期待に目を輝かせて紙を広げ、模様が現われると満面の笑みを浮かべて満足そうに頷くのだった。 最終日の発表展示会ではちょっとしたハプニングがあった。思うように作品が集まらないのである。「みんなに見てもらいたくないの?」とヤキモキしながら待っていたら、実技発表会を終えた子が少しずづ持ってくるようになった。しかし予想に反して作品数が少ない。子どもに聞いてみたら、明日帰るので荷物の中にしっかりしまったとのこと。家へのお土産として大事に保管してあるということか、と納得。展示会後、自分の作品がなくなったと泣いて訴えにきた少女の、無事に見つかり喜ぶ顔を見て、今回作ったものの持つ意味の大きさを思わずにはいられなかった。 <南(ユージャンカ)での日々> 8月4日、18時30分にキエフの“家族の救援“事務所に到着。事務所の中はドイツに保養に行く子どもの手続きで混雑していたが、夕食にボルシチをごちそうになるなど暖かく迎えてもらう。事務所の二階に民泊。翌日は診療所を訪問し、薬品の贈呈および診察室等の見学をする。今回届けた薬以外にもビタミン剤、胃腸、肝臓の薬不足も切実と訴えていた。その後、チェルボナ・カリーナのコンサート衣裳をはじめ恵まれない家庭のための衣類などを作っているサークルを訪問した。 8月5日、午後6時キエフ駅発の列車で黒海沿岸の町オチャコフに移動。キエフ駅には今年の春に来日公演をしたカリーナのメンバーも何人か集まっていた。発車間際、「希望21」で保養した少女とその母親たちが大きなパンを届けにきてくれ、とても素晴らしい保養生活だったと何度も感謝の言葉をのべていた。列車にはカリーナの他にカズロバさんの担当する子どもたちや家族が一緒に乗り込み「南」に移動した。8月6日10時50分ようやく「南」に到着。翌日、水着を貸してもらい黒海での海水浴としゃれこむが、あまりの強い日差しに全身日焼けで苦しむことになる。 「南」には子ども棟の他にコテージがいくつかある。お互い名前もわからない状態だったけれど、毎日顔を合わすうちに一緒に海に出かけたり洗濯したりするようになった。「南」ではまだ「希望21」のようなシステムができておらずまだ単なる“避暑”で精一杯といった感がしたが、私たちはそれぞれの生活ペースを乱すつもりはないことを伝えた上で、日本料理や日本の遊びなども紹介してきた。水や小麦粉、設備などの違いから、何とも不思議なお好焼きや蒸しパン、白玉だんごができたが、心優しい人々は興味を持って味見をしてくれた。就寝前のひとときはゲーム室で、折紙、メンコ、折り染めなどをした。 8月8日、私たちふたりが明日この地を離れるということで特別コンサートが催された。運んできたゆかたも大好評だった。 子ども基金の援助で子ども棟にトイレは設置されていたが、施設の不十分さや食料調達の困難さなど、まだまだ「南」には課題が山積みであること、それに伴う今後の支援の仕方も検討大であることを痛感した。 |