●横浜「ギャラリーダダ&カフェ」 ナターシャさんを招く会 鈴村稔 1998年9月18日が、ナターシャ・グジーさんと私の初めての出会いでした。その日、チェルノブイリ子ども基金事務所で開かれたチェルノブイリ13周年コンサート相談会に代理参加し、ナターシャさんのプロモーションビデオを拝見しました。以来、ナターシャさんの魅力に取り憑かれ、結果的には3つのコンサートに関わらせていただきました。 1回目は、1999年3月19日、私の水彩画展示会(ギャラリー)を使って開かれました。全国ツアーの初日ということもあって、日本に招いたチェルノブイリ子ども基金の広河代表も心配で付き添われました。小さな空間にナターシャさんも、さぞ戸惑ったと思いますが、招待客を含む44名の参加者には、満足いただけたと思っています。 全くコンサートなど設計上考えられたことのない会場でしたので、私の一計は、始めに消灯した会場に、ナターシャさんが無伴奏で歌いながら(曲名「カッコウが飛んだ」)、参加者に私の方で用意した小さな十数束の花を一人づつ渡すシーンを入れたことです。この目論みは当たり、1曲目で歌い手と聴き手の間が、一気に狭まったと思います。 ● 横浜「ほのぼの駅コン(横浜市営地下鉄センター南駅)」 ナターシャさんを招く会 鈴村稔 子ども基金からの呼びかけ(各地でのコンサートを開いて欲しい)で、会場捜しに奔走していたいた時に、ふと目に止まったのが、”ほのぼの駅コン出演者募集”広告でした。こうして、私は子ども基金の代理人となり、年末までかかってナターシャさんの出演までこぎつけました。 そのコンサートも人垣をつくるほど(チラシだけでも4〜500人の方が持って行っている)の関心を集め、またその規模も同日夕には、NHKテレビで放映され、ほぼ目標に近付きました。 ● 横浜「神奈川県民ホール」 ストッププルトニウム神奈川連絡会 鈴村稔 当日近くになると、仕事の合間に、シナリオを舞台演出担当のSさんと頻繁に連絡を取り合い、基金事務局と調整したりもしました。コンサート1週間前には、自前で印刷した596席分のチケットは一応自分の手からは離れました。蓋を開けた結果・・・・・ 入場者313名(うち当日入場者61名、スタッフ35名)で、苦労は報いられました。 この3つのコンサートを進める中で、多方面の方々との出会いがあり、色々と学ばさせていただきました。その方々にこの紙面を通じ、あらためてお礼申し上げます。 |