●あきる野「あきる野ルピアホール」 ナタ-シャ・グジ-さんを呼ぶ会 中村絹江 たくさんの善意で出来たコンサートでした。 グジーさんの美しい歌声が聴きたい。そして、チェルノブイリの現状を知って、わずかなことでも何か出来ないだろうかという想いで、13名の仲間が集まって「グジーさんを呼ぶ会」をつくりました。そしてこの想いに共感して下さる方を募り、少しずつの想いが大きく広がって、たくさんの心温かい賛同を頂きました。その数は205人と4団体にも上りました。又、ケーキ作りや(当日はお茶とCoffeeも出しました。)会場のスタッフとして、たくさんの方のお力添えも頂きました。当日は思っていた以上に人が集まって、用意したイスが足りず、曲の合間にそーっと出したことも今では楽しい思い出です。 グジーさんの澄みきった歌声と広河さんのお話は、会場にいた一人一人の胸に響き、一緒に歌うはずだった『ふるさと』は、胸がいっぱいで歌えなくなった人続出でした。 チェルノブイリに想いを馳せる人、増えるといいなと思いました。言い尽くされた言葉ですが、一人の力は小さくても、一人一人が集まると、それは大きな塊になるはずです。ほんとうにあきらめず、地道に伝えて行くしかありませんね。でも、打てば響くんだという事を教えてもらった気がします。私達の会も、終了後無事解散し、それぞれの活動へと戻りました。よい出会いを与えて下さったグジーさん、ありがとう。また、会いましょうね!基金の皆様、ご苦労さまでした。 ●千葉「木更津かずさアカデミアホール」レガーロ・ディ・ムジカ、安積ピアノ教室 安積育世 今回のコンサートは当地にとりましても、また私にとりましても素晴らしい出会いと感動をたくさんもたらしてくれました。世代・地域を越えたボランティアの皆が目的をもち心をひとつにし、大きな友情の輪となって成し遂げることができました。当日のナターシャさんの澄んだ目と歌声、広河さんのマスコミでは知らされていないチェルノブイリの惨状と恐ろしさ、素朴な語り口とともに映し出されたスライドに、改めて月日の経つ早さとその被害の大きさ、深さに驚き、未来を荷負う子ども達の環境に憂いを覚えました。入場者の4分の1の皆さんがアンケートを寄せてくれ、たくさんのメッセージを伝えてくれました。子ども達からは「誰も私たちに話してくれなかった。もっと知りたい」と言う意見が多くありました。「人間はどうしても月日と共にどんなことでも薄れていってしまうのでこれからも機会ある度に何らかの方法で自分達に核の恐ろしさを、そしてチェルノブイリのその後を伝えてほしい」というメッセージも多く頂きました。これからも、ナターシャさん、広河さんはじめ関わった皆さんと共に、核の恐ろしさを考えていけたらと思います。 最後に、当地の養護施設(母子施設)「野の花の家」の女の子から寄せられた手紙を添えます。 『こんにちは。この前は「ナターシャ・グジー」のコンサートに招いてくれてありがとうございました。私はこのコンサートに行くのを楽しみにしていました。私の夢は保母さんになることです。けれどその前にやりたいことがあります。それは、プリピャチ以外でもいろいろ被害にあい、5歳にならないのに死んでしまったり、食べ物がなかったりと…そういう国のボランティアに行きたいと思っています。あと、そこの国の子ども達をはじめ、いろいろな人の本当の笑顔や真実の目の写真を撮りたい!私は今そう思っています。だから先日のコンサートは私にとってすごくいいコンサートでした。楽器の演奏も歌もものすごくきれいだったけど、一番きれいだったのは”目”でした。私もナターシャさんみたいなきれいな目をしてみたいと思いました。本当にありがとうございました』K.M ● 千葉「JR千葉駅コンコースコンサート」レガーロ・ディ・ムジカ、千葉興業銀行 レガーロ・ディ・ムジカ事務局代表 青木菜穂子 「東京公演や他の公演の参考になるように」という重圧のかかった木更津公演を終えた翌日の「駅コン」は、出演者、ボランティアともに開放的な雰囲気の中でおこなわれました。「駅」という公の場所では、小さな子どもからお年寄り、普段は無関心を装う若いカップルまで、多くの人々がナターシャの歌声に足を止め、熱心に聴いてくださいました。弦楽四重奏との共演はナターシャにも気に入って頂けたようですし、CDも収録されることになり、私たちも大変喜んでます。 公演を終えてみると、木更津公演のようにある程度関心のある人々に、詳しく状況を説明し、核に対する意識を高め、さらなる救援を訴えるものと、公共の場で不特定多数の人に「チェルノブイリ原発事故」を思い出してもらうこと、事故を知らない人には事実を伝えることなど、コンサートによって各々異なった意味合いをもっていることに気付かされます。事故から13年が過ぎ、チェルノブイリを知らない子ども達が増えてきているなども踏まえ、これからの救援活動の方向性を考えていきたいと思います。 そして、「チェルノブイリ原発事故の被害」や「救援活動」など大きなものを背負って、今回の来日公演を頑張り抜いたナターシャの美しい歌声がいつまでも聴けるよう、彼女自身の音楽活動を支えていきたいと思っています。 公演を開催したことは、私の人生を大きく左右し、またレガーロというグループにとっても、病院や各種施設への訪問演奏だけではなく、新たなボランティア演奏活動の足掛かりとなり、大きな意味を見い出せた気がします。 ナターシャの19歳らしいあどけなさの残る「笑顔」が印象的でした。 |