ナターシャ・グジー・コンサート 報告集

公演主催者からの報告(4)


新宿「新宿文化センター小ホール」

チェルノブイリ子ども基金  西口綾子

 東京公演が行われた4月23日はあいにくの雨模様となってしまいましたが、会場は定員の200人ものお客さんでいっぱいになりました。実は私が司会を頼まれたのは公演の前日。「ロシア語のできる人の方がいいのでは…」「少しでも司会経験のある人が他にいるのでは…」と思ったもののすぐに引き受けたのは、主役はナタ−シャなんだからという開き直りのほかに、素人の私が舞台に出ることで会場に来て下さる方々が「自分にも何かできるのでは」と思ってくれればという気持ちからでした。

 ボランティアというと難しく考える人でも、手作りで進行されていくステージを見て今後はもっと気軽に参加する側に回ろうという気持ちになればとの思いでした。実際、ボランティア・スタッフによって成り立っている公演は当日のリハーサルはあるものの、私にとっては『ぶっつけ本番』。幕が上がってからアンコールの『ふるさと』まであっという言う間の2時間でした。それでも慌ただしさの中で聞いた広河さんの講演とスライド上映は改めて事故の悲惨さと多くの子供を含む被災地の人々の悲劇を私の目の前に突き付け、ナターシャの歌声やバンドゥーラの音色、中嶋さんのピアノの演奏は時に美しくも悲しく響き、また勇気と元気を与えてくれたのでした。そして、舞台の袖からはお客さんの表情は分からないものの、その日会場にいたすべての人が同じ思いでいる気がしました。それだけこの現実は厳しく、でもそれを越えられる力を人は持っているのです。

 『希望の灯』や『太陽を消さないで』が私たちの心に残してくれたものが、少しでも形になり、それが集まって大きな力になり、被災者の心が癒されますように、今後このような悲劇が起こることがありませんように・・・・苦しみを抱えながらも進んで行く勇気を教えてくれたナターシャに感謝します。


三重「ホテルサンルート津」

三重・チェルノブイリ被曝児童救援募金 宮西いづみ

 事故から丸13年の3日後、ナターシャ・グジーのコンサートを何とか終えて、心に残ったことは、「これからの救援をどのようにしていこうか」というせっぱ詰まった思い。今回のコンサートは対象(来場者)の広がりを意識して企画した。かなりマスコミがとりあげてくれていたのに、第1回第2回のチェルボナカリーナ三重公演を知らなかった、という方が、今回の来場者の中に半分はあったと思う。その方々ーつまり三重の救援活動と今までは直接関係のなかった方々の心に、主催者の思い・意図がどこまで届いたか、今後の三重の募金額に反映されるかどうか、まだ見えてこない。リサイクルショップへのご寄贈品はたしかに増えている。救援規模が拡大できるかどうかは、私たちがそれをどこまで換金できるかにかかっているような気もする。小さな地方都市にも不景気風は同じに吹付けている。「即現金」の募金の急増はあまり期待できないかも…?

 「三重・チェルノブイリ被曝児童救援募金」は設立10年目、スタッフそれぞれの心には、すでに何人かずつかの子どもが固有名詞で住み着いている。自分の子どもや孫とほとんど同列に。そういうかかわりを深めていくためにも、しんどいけど、来日の受入れはやはり大事なことなのかもしれない。

 予定していなかったご来県だったために10数分しかとれなかったけど広河さんの現状報告と救援活動報告は、やはり圧巻だった。あらためて広河講演会を、という声と、広河講演会だけでは新しい関心層を集めるのは難しい、という声との間で、ただ今議論中。


麻布「麻布学園文化祭」

麻布学園教員有志、文化祭実行委員会 山岡

 私たちは、5月3日から5日まで、3日間開催された麻布学園文化祭で、チェルノブイリについての取り組みをしました。教員有志の発案に、生徒の文化祭実行委員会が応えてくれて実現した企画でした。

 3日間とおして、広河さんの写真展と原発についての研究展示をおこない、同時にその会場で募金を呼びかけました。ナターシャのコンサートは4日午後に学校の講堂で行いました。これら企画全体のタイトルを「私たちはチェルノブイリを知ってるか?」としましたが、これは、知ったつもりになっているチェルノブイリ事故についての自分たちの認識をあらためて見つめ直そうとする意図からのものでした。

 文化祭全体の来場者は1万8千人でした。コンサートの入場者は500人ほどで、当日の雨にもかかわらず、まずまずの入りだったと思います。全体で50万をこす寄付があつまり、事務局経費をのぞいた40万円が基金をとおして現地に送られることになりました。これは私たち主催者の予想をこえる反応でした。

 この企画にかかわったものとして、いま思うことは、ひとりの人をとおして事柄を知るということの大切さです。確かにさまざまな本や資料によって私たちはその事柄を知ることは出来ますし、その努力はずっとしなければならないはずです。しかし、生身の人、その人の声をとおして知らされる事柄の重さは、私たちのややもすれば乏しい想像力をいやおうなく突き動かすことがあります。少なくともナターシャの歌にはそうしたひた向きな力がありました。あらためてナターシャと彼女を日本に呼んだ関係者の皆さんに感謝します。また、この企画に関わってくれた生徒諸君が、将来なんらかの形で、ナターシャにふれた今回の経験を活かしてくれることを願っています。ナターシャにはそうした種をまく人としての力も充分あったと思います。


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