原田東岷さんと三谷又衛さんをしのぶ 

広河隆一


 この夏、私たちの会を陰に日向に支援していただいた2人の方を失った。
 おひとりは原田さんで、私が初めてお目にかかったのは、「広島からチェルノブイリへ」(岩波ジュニア新書)の執筆のため、広島を訪れたときのことだった。紹介していただいたのは広島テレビの岡原さんである。
 土門拳の広島の写真、特にケロイドの写真は、原田さんの治療風景で、原爆投下後占領国アメリカも敗戦国日本も人々の救援のためにははほとんど何もしなかった時期に、勇気ある医者たちが立ち上がって原爆後遺症の治療を行なった。その良心的医師たちの中心が原田さんである。彼は原爆後の白血病の症例の最初の発見者でもあった。
 バラの品種改良家でもある原田さんは、ベラルーシの「希望21」に興味を寄せてくださり、いつか「チェルノブイリのバラ」あるいは「チェルノブイリの子どもたち」という名のバラを作って、サナトリウムに植えようと言って下さっていたが、亡くなってしまわれた。残念である。
 三谷又衛さんは、チェルノブイリ子ども基金江之浦支部の方で、漁師である。頑強な体にひとなつっこく屈託のない笑顔が特徴だった。高校時代は5番打者としてならし、甲子園で優勝校している。
 江之浦の港をチェルノブイリの子どもたちが訪れたときは、よく又衛さんの船にお世話になった。チェルボナカリーナの一行が船に乗ったとき、巨大なアンコウが網にかかり、みんな面白がっていたが、それを食べると言ったときには、全員が泣き出し、又衛さんが困っていたのを思い出す。まだ若かったのに、急死された。こころからお悔やみしたい。

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