モスクワ便り

РАДИО МОСКВА / RADIO MOSCOW


 当地は、束の間の夏、そして秋が過ぎ去り、再びモノクロの冬景色が広がっています。10月半ばには初雪が降り、11月とともに夜はマイナス10度以下にまで下がるようになりました。これから半年、長い冬と付き合わねばなりません。

 さて、前回の原稿を書いてからの3ヵ月ほどの間にこちらではいくつもの大きな出来事が起こりました。9月にはロシア各地で爆破事件が起き、そのまま再び南部のチェチェン共和国を舞台に「テロリスト撲滅作戦」という名の新たな戦争が始まっています。半年前、NATO軍のユーゴ空爆の時には、空爆は非人道的な行いとされていましたが、今度は同じ行動が、「善意」の行いになってしまいました。おかげで選挙シーズンを前に、ほとんど無名の首相を迎えて発足した政府内閣の支持率も大幅にアップです。

 この地にいて感じることは、ここでは人の命が大変軽いという事実です。戦争、粛正、災害と、時の権力の意向や失政のために多くの人命がいとも簡単に失われてきました。およそ「悲劇」というものに事欠きません。そして、それがいつ自分の身に降りかかってきてもおかしくはないのです。日本的に単純に考えれば、それを防ぐように手だてを講じ、改善をはかればよいように感じます。しかし、多民族、厳しい環境、強大な国家という条件下で、あまりにも問題や障害が大きすぎるが故に、事を起すには莫大なエネルギーを要します。結果として、問題の本質的な解決は常に先延ばしされ、問題がさらに複雑化し、その問題がもはや限界を超えた時、チェルノブイリのような破局的な出来事、あるいは国家の崩壊や革命が起こり、さらに別の悲劇を再生産していきます。この結果、人々は「悲劇」はもはや不可避のものと諦め(ロシアは全人類になり代って「罪」をあがなう存在だと決め)、明日よりも、今日のために生きるようになります。(蛇足ですが、「2000年問題」のような問題を前にした時、一般にロシアの人々は、問題が起きたらその時考えればよい、ととらえます。)また、人々の平均寿命が50代と大変短いのも、これと無関係ではなかろうと思います。

 しかし、中にはもちろん長寿の人もいます。最近、10月27日にロシア科学アカデミー最高齢会員のニコライ・ドレジャーリ氏が満百歳を迎えました。ドレジャーリ氏は、かつて、ソ連核開発の父クルチャトフとスターリンの右腕ベリヤに招かれて、プルトニウム生産用の原子炉設計者としてソ連初の原爆製造に直接携わり、のちにそれを応用したRBMK炉、つまりチェルノブイリ型原子炉を主任設計者として設計し、学術指導者故アレクサンドロフ・ソ連科学アカデミー総裁と共にチェルノブイリ型炉を世に送り出した張本人です。ドレジャーリ氏は、百歳を迎えて、マスコミのインタビューに答え、その中で、「チェルノブイリ」について次のように語っています。

―チェルノブイリのあと、あなたは、現役を退き自発的に年金生活に入られました。事故の原因をめぐって多くの説が出されていますが、チェルノブイリ型原子炉の設計者としてのあなたのお考えはいかがでしょうか?
―すべての専門家が、RBMK炉は、その他の原子炉よりずっと効果的なものだということを知っています。安全性という点に関して、その技術は、当時の要求には適うものでした。しかし、今では、その要求は大幅に厳しくなっています。とはいえ、やはり私の設計したレニングラード原発(1)は、あらゆる性能においてこれまでで国内最良の原発です。1号炉はすでに稼動開始25年を迎えていますが、今、配管の取り替え作業が続けられており、あと25年は動かせます。
 チェルノブイリがあって…私とアレクサンドロフは共に去りました…私たちは、もちろん悪いと思います。しかし、私には事故原因に関して自説があります。まず第一に、チェルノブイリ原発の職員はひどい人間だったということです(2)。私たちは、すべての関係機関に手紙を書き、ずさんな運転体制について訴えていましたが、無駄でした。悲劇の日、通常の実験の過程で、炉はキャビテーション状態に追い込まれました。そして、徒に消火作業や、砂を撒くといったことが行われ、結果的に世界中に放射能が撒きちらされたのです。(「イズベスチヤ」99年10月27日付)
筆者 注(1)1975年放射能漏れ事故を起した。その隠蔽がチェルノブイリの事故につながった。 (2)今では、原子炉の設計・構造に最大の欠陥があったと認められている。しかし、ロシアでは一般に運転員のミスと受け止められている。

 若い頃音楽家を目指し、百歳を迎えた彼は今、音楽や詩を鑑賞したり書いて、余生を過ごしているといいます。しかし、当時の運転員、除染作業員、そして、事故により苦しめられる多くの人々、志し半ばでこの世を去らねばならなかった人々の運命を考えながらこの発言を読み直すと、何ともやりきれない思いがします。国家賞も、勲章もないそうした人々に、発言の機会は決して与えられていません。そしてまた、「ひどい作業員」、「ずさんな体制」という言葉を目にするにつけ、最近の日本の出来事をどうしても連想してしまいます。とても憂鬱です。 (モスクワ・平野進一郎)

編集注)前号「モスクワ便り」で平野さんのお名前が漏れておりました。お詫びします


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