甲状腺手術後の子どもたちの現地特別保養
日本週間実施報告
◆実施期間:ウクライナ2000年8月9日〜13日
ベラルーシ8月18日〜24日
◆視察:チェルノブイリ4号炉(ウクライナ)
放射能医療センターアクサコブシナ(ベラルーシ)
◆参加者:専門家ボランティア…ウクライナ・ベラルーシ3人
ウクライナのみ3人、ベラルーシのみ3人
◆実施教室:「日本料理」「合気道」「少林寺拳法・マッサージ」
「日本舞踊・日本の唄・紙工作」「てまり・絵ろうそく」
「日本語」「ジャーナリスト・ビデオポートレート」「アクセサリー」
皆様のおかげで今年も、甲状腺手術後の子どもたちの「特別保養」をウクライナ・「南(ユージャンカ)」、ベラルーシ「希望(ナジェジダ)」で実施しました。また、その間に日本人ボランティアが訪問して日本文化を紹介する教室を通じて、子どもたちに元気になってもらう〔日本週間〕を開催してきました。当初計画していた職業訓練教室の実施には至りませんでしたが、じっくりと時間をかけてひとつのテーマを深く追求する連続教室と、誰もが参加できる1回限り体験教室の2種類を設け、子どもたちにも大好評でした。
ウクライナ・「南(ユージャンカ)」では、前号でもお知らせしたとおり「子どもの家」、また新しい「子どもの宿泊施設」が完成し、より多くの子どもたちの受け入れが可能となりました。また建物の完成記念に呼びかけた<フレンドシップ・キルト>も現地に届けました。
以下、教室を開いてきた日本人ボランティアの方々の報告です。子どもたちの感想は次号でみなさまにお伝えできる予定です。
大熊早智子さん(大学図書館勤務)
日本語教室 ベラルーシ
2度目の日本週間参加です。1回毎のクラスでは日本のスポーツビデオ上映と、簡単なカリグラフィを試みました。日本のスポーツについて質問も出ました。お別れ会でいただいた「喜びの島」という題の子供たちの詩や散文集で、子供たちが日常から離れてつかの間の保養に来ていることをあらためて認識しました。
最終日に訪問した放射能医療センター「アクサコブシナ」は、自然に恵まれた環境にあり、拡張工事が行われていました。度々来院するのは被災者の方には少々大変なのではと感じました。
川村伸一さん(小学校勤務)
合気道教室・護身術教室 ウクライナ
「南」では、前回(98年・希望21)と同じく合気道教室を担当しました。今回は私と日本人通訳の2人だけで、うまくやれるか不安がありましたが、付添のウクライナ人学生が積極的に教室を手伝ってくれて、順調に日程をこなすことが出来ました。最終日の発表会は時間の都合で予定していた演舞の半分しか出来ず、子どもたちが残念がっていたのが心残りです。
そして今回は、キエフ市内にある医療センターとチェルノブイリ博物館を見学し、原発4号炉とプリピャチ市内のいくつかの被災施設を目の当たりにして、原発事故の悲惨さを再認識できました。この体験を無駄にすることなく、周囲の人たちにも伝えていきたい、と思います。
力丸邦子さん(病院勤務)
日本舞踊教室・日本の唄教室・紙工作教室 ベラルーシ
子どもたちに会いたくて、この夏もまた、ナジェジダに行ってきました。
3回目の今年は、「日舞さくらさくら」を踊る教室・「翼をください」を日本語で唄う教室・紙工作の教室を開きました。踊りは、子どもたちは非常にやわらかい表情で、かわいらしく踊ってくれました。歌の教室は、私が「いま」子どもは『има』、「私の」『ватасино』と、言葉ひとつひとつ区切って、楽譜で詞を読むことを繰り返し行いました。「きれいな、いい歌だから、もう一度自分たちだけで歌いたい」と申し出があった時にはびっくりしました。今頃、それぞれが思い出して自宅で歌ってくれているだろうか。
初めて子どもたちに会った時、手術痕の生々しさにびっくりしました。今年は、痕の色がうすくなり、きれいになったように見えました。痕の色が消えていくように、事故のことも人々の記憶から消えてゆくのだろうか。しかし、手術痕の長さだけは、そのままで、この長さと同じに子どもたちは長い人生、ずっと持っていくんだ…そんなことを感じながら、子どもたちひとりひとりと別れてきました。希望のもてる人生でありまうようにと祈りつつ。
ニュース目次へ
|