甲状腺手術後の子どもたちの特別保養 夏のボランティアの報告 今年も甲状腺手術後の子どもたちの「特別保養」を実施しました。毎年この期間に日本の専門家ボランティアによる「日本週間」を実施し、好評を得てまいりました。15周年救援キャンペーンのため、例年どおりの「日本週間」はできなくても、何らかのかたちで教室を開けないかと、今までの参加者の中から3人の方が、子どもたちのために協力してくださいました。ボランティアの方々からの報告をご紹介します。 「2001年日本週間」報告 佐々木 真理さん 「今年は事務局では日本週間を主催できない」と聞いたとき大変残念に思い、何とか日本週間を実現できないかと、これまでにボランティアとして参加した人や事務局と相談を重ね、「小さな日本週間」を開催しました。 「南」は海がすぐ近くにあり、海水浴中心の保養の中に私たちの授業を入れてもらった、という感じでした。子どもの人数も2人のボランティアにはちょうどよく、帰る頃までには全員の顔を覚えることができました。一方、子どもの人数の多い「希望21」の方は3人のボランティアではやはり大変でした。今回「希望21」には「甲状腺手術後の子ども」の他に、汚染地に住む子どもたちが学校単位で参加し、その他団体から来ていた子どももいました。その子どもたちは全体的に年齢が低く、日本週間参加が初めてで、何もかもが初めてで楽しかったと思います。反対に、今まで何度も日本週間に参加している手術後の子どもたちは年齢も高くなり、もう日本週間が珍しくなくなっています。どちらの子どもたちも満足できるような授業にすることは難しかったと思います。しかし今回で日本週間に4回参加しているベラルーシの男の子(16歳)はこう言ってくれました。「ここにいる子どもたちはみんな、日本週間が楽しみで来ている。どの年の日本週間も忘れることのできない素晴らしい想い出になっている。」 今までと比べて人数も規模も小さなこの日本週間でしたが、子どもたちの楽しい思い出のひとつとなってくれていればと思います。 「希望21」は3年ぶり2回目の訪問でした。以前と比べると、医療施設が充実し、マッサージルーム、トレーニングルーム、サウナなどが新設され、大きな体育館も建造中でした。 教室は合気道と護身術を担当しました。今回は10代前半の子どもも多く、青年と少年を同時に教えることの難しさを感じました。 この日本週間の実施は見直しの時期にあり、来年以降は流動的な状況と聞いています。しかし、「日本週間がなければ、「希望21」には来なかった」という子どももおり、日本人に会うのを楽しみにしていた子どもが数多くいたのも事実です。私たちは今度も彼らの期待に応えていきたい、と改めて思いました。 ここ3年は「南」だけの訪問が続いていたが、今年は「希望21」でも教室を開催することができた。約1か月におよぶ長丁場で、教室数も多いため、例年のような大がかりな準備は初めから諦め、模様の美しい"和紙折紙を使った薬玉作り"に取り組んだ。ユニットという同じ形のものをたくさん折り、テトラ、キュ−ブといった様々な形が子どもたちの手から生れていく。赤いリリアンの房と金の鶴を加えてつなげれば、最高に素敵な薬玉だ。 子どもたちは毎日コツコツと真剣に取り組んでいたが、手先の器用な子ばかりではない。ましてや「希望21」では甲状腺手術後の子ども以外に、汚染地帯から来た年令の低い子どももたくさんいる。「大丈夫かな?」と思わせるほどの手つきの怪しい子もおり、深いため息をつきながら作っているのを見ると、いつ「や〜めた。」と言い出すのかと心配になった。しかし、こういう子に限って完成した作品を大事に部屋に持ち帰って行くのである。「大きい人はディスコだから来ないよ。だから、僕が入ってもいいでしょう?」とすでに紙を折り始めている子もいた。誰が来る来ない、人数が揃わないとピリピリするよりも本当に好きな子がたっぷり楽しめればそれでいいんだ・・・と思えるようになっていった。私自身ゆったりした気持ちになれた出来事である。色の組合わせに頭を悩ませながらていねいに色を着けていく女の子、チャッカリ屋の少年。私のつたない「クラ−ス(すてき)!」の言葉が、とびっきり素敵な笑顔を引出す瞬間がとても嬉しかった。
|