チェルノブイリ報告 広河隆一 事故から16年たち「チェルノブイリは終わった」という雰囲気が流れています。国連にはIAEA(国際原子力機関)という原子力を推進する機関があります。いつまでも チェルノブイリのことを考えていたら原子力産業が衰退して原発が作れなくなってしまうから、もうチェルノブイリのことを言うべきではないとして、「チェルノブイリ は終わった」というキャンペーンを行っています。IAEAは汚染された原発周辺は、人がいなくなったので豊かな森が残っているとして、チェルノブイリを休暇を過ごすためのレクリエーション産業として打ち出そうとしています。しかし、国連のなかにもきちんと被害を考えて、救済・救援をする機関はあり、別の報告をしています。 現地の医療機関や子どもたちの救援活動をしている人たちに聞いた数字を出しながら話を進めたいと思います。 ※ ※ ※ ベラルーシでは、人口1000万の5分の1、210万5000人(うち子ども50万人)が現在も汚染地に住んでいます。人が住んではならない、セシウム15〜40(キュリー/km2)ときわめて汚染がひどい地域、ブラーギン地区には1000人の子どもが住んでいます。 ベラルーシだけで485の村が消え、すでにそのうち70村は、放射性物質の拡散を防ぐために土の中に埋められています。ウクライナでは200近い村が消えています。日本に来た「チェルボナ・カリーナ」の子どもたちのなかには、このような消えた村から来た子もいました。 爆発を起こしたのは4号炉ですが、ほんの壁一枚隔てただけの、隣の3号炉は最近まで稼動し続けました。消火活動に使われたヘリコプターや軍用車は汚染がひどいために放置されたままになっています。 ある国連機関は、汚染地から避難してきた子どもや、今も汚染地に住む子どもたちに病気はないので大丈夫である、病気というのは「気のせい」なだけだと言っています。 ウクライナの内分泌研究所の2001年1月1日付けデータによると、検査した甲状腺の病 気の子ども621人中92人は、すでにガンが気管へ(40人)、その他の子どもはリンパ腺や肺へ転移していました。今までにウクライナで甲状腺ガンの手術を受けた子ども は約2000人になりますが、2004〜2006年に甲状腺ガン発病のピークを迎えると言われています。 事故処理の作業をしていた親から生まれ、汚染地に住んでいる子どもたちに、多くの病気が現れています。特に多いのが小児脳性麻痺です。ある女の子は肝臓を全部摘出し、母親から肝臓の一部の移植を受けました。しかし、飲まなければならない薬が とても高くて買うことができないので助けてほしい、と伝えてきました。これは氷山の一角です。 汚染地に住む子どもたち、あるいは事故のときに低年齢だった子どもたちのなかで、いちばん多い病気は呼吸器系、2番目は消化器系、3番目は神経系となっています。 さまざまな病気が「気のせい」と言われているので、私たちはアンケート調査をして統計を取りました。「気のせい」であるならば、頭痛や喉の痛みなど、症状はまちまちなはずです。しかし、約6か所の村や町で取った統計は、ほとんど同じ曲線を描 いていました。これは、「気のせい」ではなく、実際にそのような病気が進行していることを表しています。 ピアノが大好きで、ウクライナのピアノコンクールで2位になり、その後、発病して亡くなったオーリャという女の子がいます。ナターシャ・グジーと同じプリピャチの町に住んでいました。プリピャチ出身の多くの子どもに病気や死者が出ています。彼女は、死亡の原因がチェルノブイリの事故であると国が認定した人のみが葬られる墓地に眠っています。何千ものお墓がありますが、毎日墓地は広がってきています。 ベラルーシやウクライナでは子どもたちに病気が広がり、ガンが低年齢化して恐ろしい状態になってきています。この状況を子どもたちとどう共有していくべきかが、今、新たな課題となっています。ガンの子どもたちに対してどういうケアができるのか、運命を恐れたり、逃げたりするのではなく、どのように運命と向き合い、共に生 きていくのかを学ぶ必要があると現地の医師は言っています。しかし、ガンの子どもを大量に抱えた経験のある国が他になく、具体的にどのような方法が可能なのか、 はっきりとわかっていません。 病気の発見が遅れたために亡くなってしまった、ターニャという女の子がいます。事故が起きた時に0〜4歳だった子どもは、放射能の吸収が特に早いため、大人よりもた くさんの病気を抱えます。子どもたちのガンは骨や肺に転移していきます。ターニャは病気が発見されたとき、ガンは肺だけではなく脳にも転移してしまっていました。 このようにガンが転移した子どもたちが成長して大人になると、不妊症などの大きな問題を抱えるようになります。また、体はカルシウム不足の状態です。その場合、生まれてくる子ども、胎児の骨に障害が顕著に現れていると言われています。また、カルシウムを吸収することができない子どもは、毎年、背中の肩甲骨の下に骨を埋め込まなければなりません。薬を毎日飲めばいいのですが、薬代を払うことができないからです。 汚染地に住む幼児に多く現れている、先天性障害の発生率は20倍に増加したとも言われています。カルシウムの代わりに放射性物質が取り込まれた場合、心臓には他の臓器に比べて20倍の放射性物質を蓄積される例が多くあります。心臓に障害を持つ子 どもがとても増えています。 多量の放射能を浴びたナロジチ地区モテキ村のコルホーズ(集団農場)では、事故の数年後に目の見えない豚や最初から目がない豚など、動物の先天性異常がたくさん現れ、畜舎は閉鎖されました。 ナロジチ地区にナージャ(希望)という名前の女性がいます。彼女は3人姉弟の長女です。子どものころに母親がガンで亡くなり、父親はアルコール中毒になってしまいました。父親は子どもたちを孤児院に入れようとしましたが、子どもたちは3人で生きていきたいと抵抗し、コルホーズがご飯を食べさせるという形となりました。真冬の−20℃や−30℃というときは、家の中でもオーバーを着て生活していました。あまりに寒かったのでペチカの上で寝ていたところ、火が引火して家は燃えてしまいました。ナージャは母親に死なれ、父親と一緒に暮らすこともできず、毎日の食べる物にも困る中、長女として弟と妹の面倒を見なくてはなりませんでした。最初に会ったころのナージャは何もしゃべりませんでしたが、少しずつ表情が明るくなっていきました。 今ナージャの家の屋根にはコウノトリが住んでいます。汚染地のなかにコウノトリが巣を作っているという例は多くあります。屋根の上に住むコウノトリは、朝方早く村の道へ下りてきて、落ちている昆虫などでお腹をいっぱいにし、渡りの準備をします。渡り鳥であるコウノトリは、チェルノブイリで大量の放射性物質を吸収しますが、南へ飛んで行って体を浄化してまた戻ってきます。チェルノブイリの人たちもコ ウノトリに希望を託しています。赤ちゃんだけではなく、幸せを運んでくる鳥と言われています。コウノトリは戻ってきてしばらくすると卵を産み、赤ちゃんが産まれます。コウノトリは羽ばたいて飛ぶことは少なく、羽を広げたまま上昇気流を利用して旋回しながら上空の高い所まで上がっていきます。一番高い所まで上ったら、滑空するように飛んでいきます。そして飛びながら次の上昇気流を見つけ、輪を描きながらずっと上っていきます。本当にきれいな飛び方をする鳥です。 子ども基金が制作している今年のカレンダーは、コウノトリを特集して、ナージャの家のコウノトリがずっと旅していく様子を写真に撮りました。3羽のコウノトリに亡くなってしまった子どもたち、ターニャ、サーシャ、ディマの名前を付けました。衛星で追跡して、どこを飛んでいるか観察できるようになっています。 イスラエルとパレスチナでも(*)、平和と希望を運んでくるコウノトリは、子どもたちの希望です。ジェニンの難民キャンプはすべて瓦礫になってしまい、瓦礫の下に多 くの人たちが埋まったままになっています。自分たちの平和や安全、未来をどう考えていけばよいのかわからないような子どもたちが残されています。パレスチナのコウ ノトリはさらに南、アフリカへ向かって旅をします。今はアフリカからモテキ村に帰ってきているところです。 赤ちゃんを産んだナージャは、子どもに自分と同じ目を味わせたくない、そして、あのコウノトリが帰ってきて、赤ちゃんに幸せを運んできて欲しいと言っていました。 「チェルノブイリ子ども基金」は、子どもの遊び場や宿泊施設など、さまざまな施 設を備えたサナトリウム「南(ユージャンカ)」をウクライナの黒海沿岸で、サナトリウム「希望21(ナジェジダ)」をベラルーシで運営しています。毎年夏に甲状腺の 手術をした子どもたちなどを招待して保養を行っています。 汚染のひどいベラルーシのゴメリ地方には、事故当時0〜4才だった子どもたちは14万人おり、そのうちの36%、約5万人の子どもたちが近い将来に甲状腺ガンになるという予測もあります。まだ手術していない子どもたちは不安にさらされ、手術した子どもたちは、毎日薬を飲み続けなければならないという苦しみを抱えています。また、大人へと成長した子どもたちは、結婚や出産の不安などを抱えながら生活してい ます。ベラルーシの出生率は37.4%減少し、死亡率は29.9%増加しています。同じような数字はウクライナでも言えます。死亡率が出生率を20%上回っています。この状 況は汚染の激しい所ほど顕著だと言われています。 これからも、チェルノブイリ原発事故による被害は「すべて終わった」という宣伝がたくさんあると思います。しかし、被災地に暮らしている母親たちや子どもたち、 そして病院で実際に治療にあたっている人たちは、とても危機感を高めています。病気は減るどころか、どんどん牙を剥いて現れているというのが実状です。 しかし、そこで現れてくる病気に太刀打ちできる救援をするということは大変なことです。国際的な救援はほとんど止まり、国連が「チェルノブイリは終わった」というキャンペーンをするため、お金は集まってきません。しかしそこで、例えば腎臓を摘出してしまった女の子の手術代そのものを誰が払うのかという問題があります。ウクライナ政府もベラルーシ政府も大変な経済危機で払うことはできません。助けられるのは海外の限られた国しかありません。そのうちのひとつが日本です。今日のコンサートを聴いて、チェルノブイリはまだまだ大変な状態が続いていること、世界中でいろいろな問題が起こっていますが、チェルノブイリへの救援が必要ということを、これからもずっと記憶に留め続けていただければ嬉しいです。 *)広河隆一著『パレスチナ・新版』岩波新書をご覧ください。 (4月26日 東京・北沢タウンホールでのチェルノブイリ16周年救援コンサートでの講演より抜粋)
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