ナターシャ・グジー・コンサート ≪各地からの報告≫ ▽5月31日 新座市立教大学講座 チェルノブイリの被害の大変さは知っていたが、時が経つにつれて認識が薄くなっていってしまう。それは、どの場合についても言えることだと思う。しかし、自ら被曝し、歌い、チェルノブイリのことを訴えかけているナターシャさんを目のあたりにして、浅はかな自分が恥ずかしくなってしまった。「自分のためだけではなく、他の人のためにも生きてほしい」というメッセージに胸を打たれた。私たち一人一人も世界の平和のために何か貢献できるのだろうか。何よりも、自分で何かしようという気持ちが大切だと思う。 また、ナターシャさんの歌には、ナターシャさんの故郷を思い起こさせる力がある。私は彼女の故郷を見たことはないけれど、想像することはできる。彼女の歌はそんな力を持っている。 (コミュニケーション福祉学部1年 M・T) ∇8月8日 被爆57周年原水爆禁止世界大会・長崎「チェルノブイリをつなぐ集い」 ナターシャさんの若い力で故郷の子どもたちの事を思う行動力にすごく感動しました。私たち40・50代の人(私も含めて)が、人生の先輩方、高校生の人たちよりも活動がなされていないと『ザ・スクープ』で言われてしまいました。反省しなければいけないと思います。自分の子ども、孫たちにもチェルノブイリ・原水爆のことに対して、話しつなげなければいけないと強く感じています。私一人では何もできないかもしれませんが、講演、その他の会などに参加し、勉強していかなければと思っています。 (50代・女性) ∇7月30日、31日 岩手県一戸町立小鳥谷小学校、奥中山教会他 コンサートの趣旨は救援でしたが、ナターシャの清らかな歌声に、逆に私たち、殊に13年間細々ながら救援活動に関わり続けてきた私の方が励まされた気がしています。 チェルノブイリ事故の放射能災害は、私のようにその被害をずっと追って来た者には、歴史に未曾有の大惨事として他に匹敵する悲惨はないのですが、世の人々には戦争や地震のように目に見える悲惨ほどに実感されません。まして16年という時間の経過は、救援活動への意識を風化させてまいりました。 そのような時の流れに抗いしきれない無力感を、一気に吹き払ってくれました。 ▽4月26日 東京コンサート&広河隆一講演 子ども基金主催のコンサートは事故の起きた4月26日に開催しました。マスコミの扱いなどが、年々厳しくなる状況のなか、事務局の心配をよそに多くの方々にご来場していただきました。 コンサート当日は舞台の準備や進行、司会、客席誘導、受付、物品販売、写真展の展示に、10年前から協力してくださっている方から、初めて参加してくださった方など、多くのボランティアの方が来てくださいました。高校生たちが会場の外では寒さと強風に震えながらチラシを片手に道案内をしてくれました。 舞台ではピアノ、キーボード、筝、チェロ、ギターがバンドゥーラと見事に調和し、新鮮でした。特に、『見上げてごらん夜の星を』の時には思わず涙が溢れてきました。たくさんのご支援、ご協力ありがとうございました。 (事務局) 東京公演会計報告 (2002.4.26北沢タウンホール)
*立正佼成会一食平和基金より
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