モスクワ便り РАДИО МОСКВА / RADIO MOSCOW この3月、かつての「ソ連」の創設者で、指導者だったスターリンの没後50周年を迎えました。 =◇ =◇ =◇ スターリンという人物について語られるとき、今では必ずと言ってよいほど「独裁者」という枕詞が被せられますが、ロシアをはじめ旧ソ連の国々で、その評価は、実際のところまだ定まっていません。多くの国民を苦しめた最悪の指導者という評価がある一方で、ファシズムとの戦いにおいて国を勝利に導き、「超大国」に変えた指導者として、その功績をたたえる人も決して少なくはないのです。つまり、どの部分に光を当てるかによって、その姿は大きく変わるということです。 しかし、これは当然と言えば、当然のことであるようにも思えます。何事も完全に「善」か「悪」かに、白黒はっきりさせることが出来ないのは、自明のことです。どこに目を向けるかによって良いことが悪いことにもなりえますし、またその逆も然りでしょう。例えば、原子力1つをとってみても、それを開発する人、支持する人も、決して「悪事」をなそうとしているわけではないでしょうし、むしろ、それが良いことだという信念や良心に基づいて行動しているはずです。しかし、チェルノブイリの例を説明するまでもなく、ひとたび事故が起きれば、それは多くの命を苦しめる巨大な悪に変貌します。また、事故に至らずとも、現場で働く人々は危険にさらされますし、廃棄物の問題もあります。これらの問題を軽視するか、「克服可能」と見るなら、それは良いものということになります。しかし、すでに明らかなように、いつまでたっても、問題が解消される見通しはたたず、袋小路に陥っています。 =◇ =◇ =◇ つまり、当たり前のことですが、良いことの中には、大体間違いなく悪いことも含まれています。あるいは、悪いことの中にも、良いことは含まれています。問題は、その悪い部分をどう考えるか、それを許容するかどうかです。 スターリンも国思いの良い指導者だったのでしょう。私腹を肥やすこともなく、国のため、未来の勝利、人類の進歩のために一生懸命働きました。そして、国のため、人々の幸せのために多くのことをなしました。毎日、毎日働き詰で妻の異変にも気づかず死に至らしめ、捕虜につかまった息子も、例外は許されないと見殺しにせざるを得ませんでした。人を信用したために、外国に攻め込まれるのにも気づきませんでした。 そして、多くの国民を失いました。国の未来のために、一生懸命、人々を飢えさせ、無料の労働力に変え、兵器を作らせました。人々が病気にかからないよう、滅菌にも力を注ぎました。さらに、偉大な方のお手を煩わしてはならないと、家来たちは、その意を汲んで一生懸命働き、そのまた部下たちも一生懸命働き、順調に人々は減っていきました。こうして年老いたスターリンは、一人ひっそりと、その生涯を閉じました。でも、取り巻きの人々は、初めその死を信用することが出来ませんでした。そして、本当に死んだことが分かった時、彼らは「あれは悪い人間だった」と言いました。 =◇ =◇ =◇ 独裁者と呼ばれる人物は、しばしば人々を愛し、動物を慈しみ、文学や音楽、スポーツをたしなみます。真面目で、冗談も言います。笑いもしますし、泣きもします。そして、大概は有能で人望があり、優秀な部下たちがいます。しかし、国の発展や未来、正義というもののために、「多少の犠牲はやむを得ない」といって、真面目に他の人々の命を奪ったり、生活を破壊します。自分ほど国や国民、世界の未来のことを考えている人間はいない、うまくいかないのは、それを妨害する「敵」のせいだ、「敵」を見つけて倒さなくてはならないと考えます。そうして、いつしか敵だらけになって、誰も信用できなくなります。そこにいるのは、小さな人間の姿です。 =◇ =◇ =◇ その一方で、国民は、ますます万能の指導者を崇拝し、人間のなしうること以上のものを、その人物に求めます。そのような指導者をもつ自分たちは、特別だと考えたいのでしょう。かくして、小さな人間と偉大な指導者の姿は、ますます乖離していきます。 =◇ =◇ =◇ 日本のテレビでは、連日、隣国の姿と、その偉大な指導者像について、朝から晩まで多くのことが伝えられ、その「異常さ」が強調されています。そして、多くの人が、そこにかつての自分たちの姿を見ています。ただ、その一方で、自分たちは、「すでに違う」ということを再確認し、自分たちが進歩的な「正しい」存在であることを確認し、安心しようとしている風にも見えます。 でも同じテレビの画面では、絶大な権力をもった超人的なヒーローが悪を懲らしめ、平和をもたらす時代劇が流れ、人気を集めてもいます。ひょっとしたら、なんだかんだいいながら、そういう特別な指導者の登場を、そして自分たちが特別な指導者を持つことの出来る特別な存在となることを、私たちは心の底で期待しているのかもしれません。 没後100年に、スターリンは、どんな人物として描かれているのでしょうか? モスクワ・平野進一朗
◆平野進一朗さんの「モスクワ便り」を楽しみにされていた方、前号は申し訳ありませんでした。諸事情のため、次回が最終回になります。事務局の私たちもとても残念です。
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