18周年救援コンサート 各地からの報告




 4月13日に、ウクライナから、カーチャ・グジーさん、ミハイル・グジーさん、付き添いのマリア・グジーさんをお迎えし、日本在住のナターシャ・グジーさんを中心としたチェルノブイリ18周年救援コンサート・全国ツアーも無事終了しました。5月5日の子どもの日の慈雨の中、成田国際空港からルフトハンザ・航空機にてカーチャさん、ミハイルさん、マリアさんは、帰国の途に着きました。

 本公演に際しまして、後援をいただきました外務省、ウクライナ大使館、ベラルーシ大使館、ロシア大使館、ルフトハンザドイツ航空、さらには各地の都県市区町村・教育委員会、市民団体・個人の方々に改めてお礼と感謝を申し上げます。

 各地での公演の様子はそれぞれの実行委員のみなさまより報告していただきます。

 ハイルさんの講演は、会場によっては少し短くされたところもあったかと思います。全講演録を2回にわけて掲載します。(到着順)


【岐阜・多治見文化会館小ホール】


 岐阜県東濃は核関連研究施設が強引に進められている地区です。2回目の公演となります。今回も公演会を多くの方々の暖かい支援により無事終える事が出来た事を感謝します。

 広河隆一写真展は6日間行って700~800人の入場者があり、皆さんよく見て行かれました。今回のホール入場者は331人で、前回の427人に比べると96人少なかった。又若い人々への呼びかけがなされなかった、結果として若人は15人でした。責任スタッフが少ないながらもボランティアの皆さんはとてもよく働いたと思います。

 ステージはとても良く出来た方だと思います。神田スタッフの皆さん有難うございました。岐阜公演は神田香織講談「チェルノブイリの祈り」とのジョイントでした。

 一部講談で皆さんショックを受けたと思う。ミハイルさんの話で事故当時のひどさが一段とわかった。姉妹の日本公演は8回目となり疲れていたと思うがとても良かった。

 ナターシャのプロとしての熱意、カーチャのソロもとても良かった。 神田香織さんの講談とのジョイント企画は必ずしも良いと言うわけではない。講談と音楽は一般に趣味の違う参加者の集め方になると思います。この一般的な人々へ呼びかける事が大切だと思います。

 多くの方にこまごまと助けていただき、多くのカンパも出来て、感謝です。
           (瑞浪市日吉 大泉讃)

【東京・セシオン杉並】

 東京公演は4月25日、セシオン杉並で行われ、参加者は500を超しほぼ満席でした。

 内容も充実していました。第一部はナターシャさんとETSUMIさんのステージ。スライドで映し出された絵や写真をバックに歌う「チェルノブイリの子どもたち」でオープニング。ミハイルさんのお話からは体験者にしか語りえない想いが伝わってきました。

 第二部はカーチャさんとの共演。楽しそうに目配せしながらバンドゥーラを弾き歌う姉妹の姿が印象的でした。第三部はキーボードの井上鑑さんと筝の川村昌子さん、丸田美紀さんが加わり、「セルツェ」などを演奏。中でも、この日のためにナターシャが日本語で作詞し、井上さんが作曲された「遥かに遠い空」はしっとりとしたすばらしい曲でした。

 最後にミハイルさん、マリアさんもステージに上がり、「ふるさと」を全員で歌いました。会場ロビーでは広河さんの写真に見入る方が多く、書籍などもたくさん売れました。

 東京公演の成功のために11月から実行委員会を積み重ね70名以上のボランティアの方々が協力していただきました。また写真展事務局や招待委員会にもお骨折りいただきました。ありがとうございました。なお会場で広島で被爆された方々とミハイルさんの対面ができ、ヒバクシャの連帯が広がったことも私たちにとっては大きな喜びでした。  (小寺)

【埼玉・リリック小川ホール】

 コンサート日まで1週間を切った段階で確実になった前売りチケットの枚数は心細い数。ちょうどイラクの人質報道に重なって、もうマスコミの紙面には期待できない。全席600余席のホールの、空席が目立つ当日の場景を想像して、やはり埼玉県北西部の小さな町では精一杯の大ホールも埋めるのは無理だったかとため息をついたのは地元の実行委員。対して、子ども基金ボランティアスタッフの委員は「大丈夫,当日売りのお客さんがたくさん来るから」「ナターシャの歌を聴けばたくさん募金もしてくれるから大丈夫よ」と太鼓判。

 開演のブザーが鳴って、ホールロビーの人影がすっかり消えてシーンとなった空間に「チェルノブイリのコウノトリ」のナターシャさんの歌声がモニタスピーカーから聞こえてきました。思わず喉元に熱い塊がこみ上げてきて、子どもの頃の泣き出す感覚を思い出した。超大国の影に困惑する時代に「太陽の灯を消さないで」までのナターシャさんとご家族の歌声とお話はウクライナの故郷の苦しみからイラクの人々の痛みに通じる平和の祈りそのものでした。アンコールの「アメージンググレース」で会場は静逸の場となった。

 また、共演して下さった地元の市民コーラスグループと県立小川高校音楽部の皆さんとは期待以上の交流ができた。詰襟を外した学生服の生徒さんが街角に看板をもって立ってくれたり、駐車場の手配や、会場アナウンスをしてくれたり、そして新聞部のコンサート取材まで、思わぬ広がりとなりました。アンケートには多くの十代の方から書き込みがあって、彼らの生まれた年の世界的人災を知リ、ナターシャさんの歌に感動した、とありました。   (藤村) 



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