はじめに
昨年夏の佐々木理事の訪問以来、懸案の現地(ウクライナ・ベラルーシ)訪問が実現した。
ウクライナ到着日の空港税関で、持ち込んだ医薬品(リストール)を取り上げられるという思わぬ出来事があった。この最初のつまずきをして、夜半着いた古色蒼然のホテルの部屋で、その後の旅を思いやった。(*医薬品は数日後、寄贈先の病院に渡った)
私たち(鈴村、梶、宮西)3人は各団体と総括的な話をし、次に訪問予定の佐々木理事に実態と合わなくなってきた面など細かな点について話し合ってもらうことにした。
(*以下、敬称略。チェルノブイリ子ども基金は子ども基金と略)
訪問先
【ウクライナ】
● 日本センター
● 家族の救援
● 南(ユージャンカ)
● ニガヨモギの花
● 子どもたちの生存
● 放射線医療センター
● キエフ内分泌研究所
● 原発4号炉
【ベラルーシ】
● 州立ゴメリ病院
● 困難の中の子どもたち
● チェルノブイリのサイン
● 希望21(ナジェジダ)
● ミンスク第一病院
● 小児血液病センター
■日本センター
子ども基金のキエフ支部として、日本と現地救援団体との間の事務連絡を引き受けているのがサスノフスカヤ。甲状腺手術後の娘がいる。空港での出迎えと空港税関での、医薬品受け取りトラブルに税関と訪問団との間をとりもってくれたのが、サスノフスカヤであった。なお、日本センター事務所での話し合いは3回であったが、移動期間中(特に、列車の中で)いろいろな意見、要望を聞いたり、情報交換をした。ここでは、里子として日本から支援を受けていたスベトラーナがサスノフスカヤのアシスタントとして学業の合間、働いている。
日本センターでは他の団体との連絡役のほか、日本語教室(先生:スベトラーナ)、コンピューター教室を開いている。
■家族の救援
設立は、1994年8月。会員800人で発足。現在会員7500人(家族を含めると2万8千人)、プリピャチ避難民が中心。
「家族の救援」事務所およびリハビリセンターは、キエフ・トロイシェナ地区にある。
保養施設「南(ユージャンカ)」は、ニコライエフより車まで2時間のオチャコフ市、黒海沿岸に面する高台にある。建物は、宿泊棟新棟(2000年完成、60人収容)、宿泊棟旧棟(大1、中2、小5のコテージ)、子どもの家(1999年完成)、食堂などがある。
〔代表バツーラの話〕
子ども基金とは8年間の協力関係にある。ユージャンカが出来、子どもを多数保養させることが出来た。その間、施設工事もあった。広河さんにも骨を折っていただき、2つの建物(宿泊棟、子どもの家)も出来た。ユージャンカは、黒海沿岸で2番目に素晴らしい施設である。みなさんによろしく伝えてほしい。理事会に変わっても、知っている方々です。オープン後、たくさんの子どもが保養することができました。病気の子どもをもっと多く休ませてほしい。こちらも経済的に大変です。保険省からの新基準が出て運営も大変。ドイツからの支援も切られている状況。野菜は市場で買わなければならない。チェリー5グリブナ/1k、イチゴ 8グリブナ/1k(*1グリブナ=20.47円)
ちょうど私たちが南に行くとき、この夏最初の保養グループと一緒の列車になり、到着を職員がパンの儀式で出迎えてくれた。
■ニガヨモギの花
設立は、1993年チェルノブイリ身障者の10人の親で発足、翌94年法律庁登録。
事務所はキエフ市。会員(家族)232人。団長、エレーナ・ビクトロブチ・ストリューク、団長代理、エレーナ・ニコラエブナ・コスチュチェンコ。運営は10区あり、1区2〜3人の運営委員。運営委員会は13人で構成。
〔団長代理コスチュチェンコの話〕
団の目的は、身障者の法律上の権利を守ること。国会(緊急状況省・社会保健省)、キエフ市と連絡を取っている。国会委員会とも相談している。チェルノブイリ同盟とも連携。キエフ市事業コーディネート会議に参加。労働法律省にも入る。子どもの組織のため、収入はない。人道支援の団体に協力をお願いしている。事務所は、市のサポートで家賃の補助を得ている。保養の問題は、親がついていかないといけないこと。サナトリウムが限界とされる。20人の子が、ユージャンカで保養できることには、価値がある。
232人の障害は、甲状腺ガン84人、甲状腺ガン以外の異常50人以下、生まれつきの異常(障害)50人、その他、血液病、心臓病などである。祭りにはスポンサーを探す。収入は、バザー売上げ、ミシンの貸し出しで僅かに得ている。
■子どもたちの生存
設立は1992年8月。中央センター事務所はキエフ大学の近くにある。被害者を支援する側の団体として活動。会員2万人。
〔代表ザフレスカヤの話〕
13年間活動している。主な被援助先は子ども基金。例えば、家賃、電話代。子ども基金のお金がなければ、活動は独力では不可能であった。イタリア保養を毎年夏だけ30人ミラノ近くに送っている。スペインにも送っている。
それぞれのセンターでは、子どもたちが勉強している。会の基本的な活動の目的は、「治療」と「保養」の支援。いろんな形でスポンサーを探している。具体的には、手術に対し、イタリアからお金が振り込まれた。
活動のアピールを多くの大使館に訴えた結果、答えてくれたのが、イタリア、スペイン、この2国であった。
「南」の保養は、子ども基金の援助で実現した。甲状腺の病気の子どもの支援が今後も大きな課題。
現在、子ども基金から支援してもらっている奨学生は1名である。
(※次号につづく)
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