19周年救援キャンペーン(4・23武蔵野会場)

チェルノブイリ報告

広河 隆一


 3月の終りにチェルノブイリの取材をしてきました。チェルノブイリへの取材は、今回で45回目になります。ウクライナはまだ雪が多く残っていました。4月の初めまで雪が残っていることはウクライナでは珍しいことでした。そのなかでいろいろな村々を訪ねました。 私が、初めてチェルノブイリを訪れたのは1989年でした。当時、現地にジャーナリストや他の人々が入るのは禁止されていました。旧ソ連政府だけでなく、世界の原子力産業に携わる人たち、原子力を推進している人々はこの事故の被害はほとんどなかったと宣伝しました。1989年当時、人々はまだ汚染のひどい被災地に暮らしていました。事故の30キロ圏内に住んでいる人は避難しましたが、放射能は30キロ圏内だけではなくチェルノブイリから200キロ離れた村までも汚染しました。現在チェルノブイリ原発の立ち入り禁止地域で働いている人は約4000人、そのうち3800人は原発関係者です。残り200人は緊急時対処の取締りや、立ち入り禁止地域の出入口の監視をする人たちです。また約400人の老人たちが住み続けています。 チェルノブイリ原発事故が起こった時に使われた事故処理の車両は高濃度汚染されました。そして今でも放置されたままです。放射能は雨により地下に浸透し地下水に混ざり汚染し続けます。

 近ロシアは被曝者を145万人と発表しました。ウクライナは320万人と発表しています。被曝はどの範囲まで特定するかは難しいものがあります。被曝した食べ物は広くヨーロッパにも散っているので、それを食べた人々の体の中でどのようなことが起こっているのか、正確な実態は分かっていません。 国により、被曝危険基準は違っています。ベラルーシでは汚染地に住むことは禁じられています。ロシアの場合では危険と思われる村にでも住んで良いことになっています。危険と特定すると避難させた住民への保障、避難先の家の建築、学校の建設、仕事の保障など様々な経済的問題が生じてくるので危険はないと言い続けます。そして、世界中の原子力産業は危険なはずはない、原子力のことを気にしすぎるから病気になると言い続けました。そうした原子力産業の意向と経済的損失を恐れるロシアの国々の利益が一致して現在も大勢の人がロシアの大変な汚染地に住み続けています。いくつかの村は、放射能が風や煙によって拡散しないように、また泥棒が村の家々の材木を盗んでそれを都会で売りさばいたりしない為に、地中に埋められました。作業には予算が必要ですので、未だに多くの村々が放置されたままになっています。

 ターシャの家はチェルノブイリ原発からほんの2キロか2キロ半の所にあります。そこに以前ナターシャのお父さん、お母さんと村の後を訪ねたことがあります。家々は壊され土に埋められ側にあった森の木々も切り倒されていました。避難民たちの中から病気がおこり、個人的に知っている人たちが次々に死んでいくという経験もしました。ベラルーシの村を撮影した時に私を案内してくれた人たちの3分の1から半分の人たちはすでに亡くなりました。子どもにはガンが発生しました。特に甲状腺ガンが発病する子どもが多く出ました。甲状腺ガンは早期発見して手術さえすれば直ります。しかし手術後は一生薬を飲み続けなければなりません。甲状腺は人間の成長をつかさどる器官なので自分の力では成長できず薬に頼ならなければならないのです。また、甲状腺ガンの手術で副甲状腺も取り除いた場合は、自分の力ではカルシウムは吸収できずに薬に頼ることになります。現地では、背中の肩甲骨のところを切り開いて骨を埋め込み、カルシウムを吸収させるという乱暴な手術が行われています。

 故から19年経ちましたから、事故当時、子どもだった子は大人になりました。そのため、現在は甲状腺ガンになる子どもは少なくなっています。小児性甲状腺ガンは減少しましたが、甲状腺ガンの危機は脱していません。大人になった子どもたちの甲状腺ガンが、今ものすごい勢いで増え続けているのです。甲状腺ガンが何時なくなるのかという質問に対して、現地の医者の間では、チェルノブイリの放射能を浴びた世代が全て入れ替わるまで続くと言われています。そして、子供たちが大人に移行したところで援助も打ち切りという政策が各国で進んでいます。チェルノブイリ子ども基金が、援助をしているキエフ・リハビリセンターでは、避難民の調査を行っています。センターへは職員の給料、診断機を援助しています。センターでの調査では避難民541人が検査され、221人に甲状腺の異常が発見されました。実に41.9%もの数字になります。子ども5000人の超音波診断では、そのうち17%が事故処理作業員の子供で、異常が認められた。そのうち11%は今も汚染地に住む人たちです。次の10%はキエフの市民です。キエフの町にはスポット的に大変な汚染地域が今もあります。また汚染に晒された食べ物が流入しています。

 状腺ガンの手術をした子どもの1人は、会うたびに私にプレゼントをくれました。この女の子は小さな天使の飾りをくれました。父親は娘が甲状腺ガンにかかったことを知るとそのショックから立ち直ることが出来ませんでした。自分がいくらお金を稼いでも全て治療費で消えていきそれでもまだ足りない。父は打ちひしがれ子どもと妻を捨てると宣言しました。何年かぶりに女の子に会い、お母さんの状態を聞くと黙ったままずっと涙を流し続けるだけでした。昨年、お母さんは亡くなったのです。立て続けにさまざまな悲劇に襲われます。チェルノブイリの事故は、子どもたちの病気だけではなく、その家族にもいろいろな事が起きるのです。

 じような事が、これからイラクの子どもに起こると考えられています。湾岸戦争では、イラクで劣化ウラン弾が使われていました。アメリカもイラクも否定していますが、現在イラクでは白血病が多発しています。劣化ウランは、戦車などの砲弾に使われました。劣化ウランは空気中や水に溶けて、それが食べ物から人間に吸収されさまざまな形で広がっています。イラクへの取材は、戦争前と戦争中、戦争後と3回行きました。白血病になる子どもは南部に多い事が分かりました。この地域は劣化ウラン弾が使われた地域です。白血病の治療は日本やアメリカでは進んでおり、その治癒率は高いと言われています。しかしイラクでの劣化ウラン弾被害者の場合、治癒率は低いのです。ウラン、ストロンチウムなどさまざまな放射能は骨髄を汚染して血液のガン、白血病となります。そして、原因そのものが体に居座っているといくら治療しても白血病は治癒出来ないと言う医者もいます。子どもだけのお墓は湾岸戦争の後、一杯になりました。多くの子どもは白血病と下痢による脱水症状で死んだそうです。

 ェルノブイリの話に戻ります。リューダという子は今20歳を越えています。結婚して赤ちゃんを産んでいます。母親になる不安は大変なものがあります。29歳のタチアナは、産婦人科のお医者さんに相談すると産んではいけないと言われました。でも彼女は、子どもが欲しかったので決断しました。こうした母子への援助も子ども基金では行っています。産婦人科の医者は汚染地のひどい所で放射能を浴びた人には、出産は止めなさいと言います。胎児の時に1グレイの放射能を浴びた子どもの40パーセントには異常が見られると言います。私が最初にチェルノブイリの取材に行った時に、3人の子どもがベンチに座っていました。大変な汚染をした場所なのに、人々は逃げないでよいと言われていたのです。子どものお母さんはガンで亡くなったのだということを聞きました。その一人がナージャというの子です。私は彼女の所に何回も訪ねることになりました。子ども基金からも援助をするようになり、その子はサナトリウムに入れるようになりました。その女の子は畑を耕し作物を作って働き、そしてやがて結婚して男の子を産みました。ナージャは周りが全部汚染地で、家々も全部消えてしまっている所に住みつづけています。そこでたくましく子どもを産んで育てています。

 在、母親がどの位放射能をあびて、それが子どもにどんな影響を与えているかという事を調査しています。その調査は今始まったばかりです。そのような調査、遺伝子への影響などの医学的なことにはヨーロッパも興味があるので、お金は出します。しかし子どもに異常があった場合でも、子どもの医療にはお金を出しません。調査した500人のなかで、約220人に異常が発見されました。チェルノブイリ子ども基金とナターシャ・グジー基金*(募金・救援状況参照)が必要な薬と医療の費用を出しています。

[写真:上から、汚染された車両等の廃棄場、ナージャの息子]

(※次号では日本の原発についての話しを掲載します)


プリピャチの避難民の追跡調査  インタビューから抜粋

●チェルノブイリ事故のとき、私は、なんの異常も感じなかった。でも、この15年間、春と秋になるとお腹が痛くなる。病院で診察をしてもらったら、胆と膵臓の異状が発生していると言われた。痛み続くのは限られている期間だったから、大した問題じゃないと思っていた。入院したくない。時々ひどい頭痛を起こす。夫は原子力発電所で働いていた。事故は金曜日の深夜に起きた。スタッフみんな金曜の夜まで働いた後、休みに入ったので、事故当時は家にいた。事故後も7年間働いていた。若かったし事故の規模も知らなかったから何の心配もなかった・・・・マリア

●母;住宅管理所の技師。息子は事故のとき5歳だった。私は健康に問題がある。高血圧で、心臓にも異常がある。この1年頭痛で寝られない夜がよくある。疲れ気味。息子;町の人は誰も何が起こったかわからず、パニック状態だったと聞いた。僕は小さかったから認識できなかった。


事務局に現地から届いたFAX

チェルノブイリ子ども基金 広河隆一様へ

拝啓

 先日インタビューを受けたNです。私の診断は甲状腺の癌です。

 1981年生まれ、ジトーミル地方に住んでいます。

 2002年4月、地域の病院で手術を受けましたが、手術は成功ではなかったので、内分泌研究所へ入院させられました。2005年3月28日に、内分泌研究所で再手術の1日前、インタビューを受けました。 再手術は成功でしたが、健康状態は悪化しつつあります。続いて治療するためにはお金が必要です。5歳の息子を私1人で育てています。体が丈夫ではないため仕事も出来ませんし、治療のためのお金もありません。 私は自分の健康が心配です。

 息子のために良い生活環境を作りたいし、人生を楽しみたいし、仕事もしたいです。

 どうか助けて下さい。最後の希望をまだ失っていない者を助けてください。あなたと神様だけが私を助けることが出きると確信しています。

敬具


●チェルノブイリ子ども基金では、今後避難民への支援を検討します。


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