若い家族への支援
子ども基金ではチェルノブイリ被害者の若い家族への支援を開始しています。現在のところベラルーシの7家族を支援しています。母親は全員が甲状腺手術を受けたチェルノブイリ被害者です。母親の年齢は20〜23歳、子どもの年齢は10ヶ月〜3歳です。この7家族のうち5人の子どもには心雑音、リンパ節増大、異細菌症、染色体異常、目の異常、足関節の異常、など健康上の問題があります。今回はそのうちの6家族を訪問しました。
イリーナは現在19歳。夫と2歳の娘、両親、兄夫婦とゴメリ市内のアパートで暮らしています。1996年に甲状腺手術、毎日チロキシンを服用しています。「娘のクリスチーナが生まれたとき、引き取らない方がいい、死んでしまうかもしれない、と授産院で言われました。でも自分たちの子どもだからうちへ連れて帰りたかった。娘には46の染色体のうちひとつが不足しています。3ヶ月に一度ミンスクの遺伝学研究所で検査を受けています。将来女性としての器官が成長しないかもしれないと言われています。また背も大きくならないかもしれないと。今後どうなるかは誰にもわかりません。とにかく定期検査をすることになっているだけです。」イリーナは目に涙をためて話しました。現在、国から支給されている児童養育手当は月4000ルーブル=$20です。「イリーナは子どもの時、祖母の住むブラーギンによく遊びに行っていました。多分その時、村でたくさん放射能を浴びたのだと思います」、とイリーナの母親。クリスチーナはまだあまり言葉をちゃんと話せませんが、セーターの袖をまくって腕を見せ「注射、注射」と私に訴えました。前回検査を受けた時の注射のことを言っているようでした。イリーナが「大丈夫、もう注射の跡は残っていないでしょう。」と言っても、何度も繰り返していました。
支援している家族の中には、母親自身の健康状態もよくない場合もありました。また、足関節に異常のある子どもには、今後歩行できるようになるために特別な医療マッサージが必要であることがわかりました。費用が高額な場合には追加支援が必要になるかもしれません。また現在は健康上の問題がそれほど深刻化していない子どもでも、今後定期検診することが必要とされています。
両親と暮らしている場合は、ある程度援助をしてもらうこともできます。経済的援助でなくても、子どもの世話や家事、また精神的に支えてもらうこともできるでしょう。しかしそうでない場合は全てが自分たちの肩にのしかかってきます。村で暮らす両親とは別に、ゴメリ市内で夫と10ヶ月の息子と3人で暮らす21歳の母親は、現在育児休暇中です。自分の薬を病院でもらう為に長い時間並んで待たなければならないので、なかなか行くことが難しいと話していました。しかしこの家族の場合は、夫が育児や家事をよく手伝ってくれるということが救いでした。
里子・奨学生訪問
これまで子ども基金の「里親制度」では、甲状腺の手術を受けた子どもが支援対象でしたが、年々子どもの甲状腺ガンは減ってきています。そこで現在は甲状腺以外の重い病気の子ども(脳・副腎・脊髄の悪性腫瘍等)も里親制度の対象となっています。一方、大人の甲状腺の異常が出てきています。今回訪れた家族のうち、40歳代の二人の母親に甲状腺の異常が発見されていました。この家族は事故当時から現在までミンスクで暮らしています。そこは汚染地と指定されている地域ではありません。1人の母親は自分の息子が甲状腺ガンと診断された時どうしてよいかわからず、ショックで誰にもそのことを話せなかったそうです。そして最近、自分の甲状腺に異常があると診断され、その後は恐ろしくてまだ病院に行っていない、と話していました。
(「希望21」の医師の話:今ベラルーシでは子どもの甲状腺ガンは減ってきています。しかし子どもとしてカウントされない年齢で甲状腺ガンは発生しています。大人たちが徐々に病気になり始めています。)
ゴメリ州ロガチョフ地区の村で暮らしている16歳の女の子の家を訪ねました。脳の悪性腫瘍の手術を受け、通学する体力がないため現在は自宅で勉強中です。最近の検査では転移なしと診断されましたが、今後も定期的な検査が必要です。父親はコルホーズで働いていますが、コルホーズ自体が崩壊寸前なので給料も大変少ないとの話でした。庭で野菜を作り、馬・牛・豚・鶏を飼って生活しています。同じロガチョフ地区で、汚染地に指定されている別の村に住む家族も訪ねました。こちらでも野菜や乳製品・肉類はほとんど自給自足です。家にはガスも水道も引かれていません。村には仕事がないため若者は出ていってしまうそうです。高齢者が亡くなり誰も住まなくなった家を何軒も目にしました。この家族の長男は2年前に「希望21」で保養をしました。検査で甲状腺に異常があると診断されたそうです。現在はゴメリ市の医科大学へ進学する準備をしているとのことでした。
ミンスク市にある救援団体「チェルノブイリのサイン」を訪問した際、緊急支援の要請がありました。現在25歳になる男性は14歳の時に甲状腺癌の手術を受けました。2005年1月に胃癌の手術を受けましたが、下半身の内臓ほぼ3分の1が癌に冒されていることがわかりました。医師からは、もうどんな治療をしても治らない、化学治療をしたら更に命を縮めてしまう、と宣告されています。子ども基金はこの若者への緊急支援を決定しました。[この原稿の編集中、2005年6月7日にこの若者は亡くなりました。心から哀悼の意を表します。]
ゴメリ市にある救援団体「困難の中の子どもたち」の代表者からは、小さい子どもたちのビタミン剤が不足しているという訴えがありました。
甲状腺手術を受けた若者たちは、働きながら大学で勉強したり、結婚して出産したりと、それぞれの道を歩み出しています。彼らの中には自分だけでなく家族にも病気を抱えている場合も少なくありません。それでもほとんどの人たちがこう言うのです。「大丈夫、きっとうまくいく。」と。しかし精神的に不安定になる若者もいて、「薬を飲んでも飲まなくてもどうせ死ぬんだから。」と薬を拒否した息子を泣きながら説得した母親の話もありました。
「チェルノブイリのサイン」の代表者はこう言います。「「希望21」で、彼らに同じ手術をした友達ができたことは本当によかった。お互い励まし合い助け合っています。病気に関する情報交換もしています。ただ彼らは、同じ病気の仲間同士や私達団体のスタッフには病気のことを何でもないことのように話しますが、外の人に対しては大変コンプレックスを持っています。地下鉄で障害者手帳を見せるのさえためらう子もいるのです。」[障害者手帳を見せると交通機関の料金は無料になる。]
ミンスク州のある村に住む家族も訪ねました。母親と長男、そして子ども基金の奨学生になっている次男の3人家族です。村のコルホーズは崩壊し土地だけが残りました。母親はその土地でじゃがいもを育てています。体がきついのでもうやめたいと話していました。以前は村の学校の先生をしていましたが、子どもの数が減り学校が閉鎖されたので職を失いました。次男は甲状腺の右半分を切除。残っている左側は機能しておらず、再手術が必要と言われているそうです。長男も喘息があり障害者です。そして母親にも甲状腺に腫瘍が見つかり、現在はチロキシンを服用していますが今後手術が必要になるかもしれないそうです。この村はミンスク市から南へ車で1時間程の場所にあります。緑の森と草原が広がり、小川の流れる大変景色の美しい村でした。この家を後にしたとき、それまでずっと無口だった運転手がこうつぶやきました。「なんて美しい風景、なんてあたたかい家族。働き者でもてなし好きな母親、親孝行な息子たち。でも健康が一番大事だ。あんなに明るいあの母親まで病気だなんて、なんて気の毒な…。」
ベラルーシ政府は汚染地の指定をどんどん減らしている、汚染地に住む子どもたちの海外への保養の機会も減らしている、という話を何人もの人から聞きました。4月26日、私はゴメリ市のある家族の家に滞在していました。ラジオからはチェルノブイリ事故に関する会議のニュースが流れていました。家族はそのニュースをあまり気に留めていないようでした。しかし大統領が、「国家は被害者にこれだけのことをしている」という演説を始めた時には、「聞こえのいいことばかり言っているけれど、実際には何もしてくれていない。」と母親は言いました。ミンスク市に住む別の家族を訪ねた時、そのうちの母親はこう言いました。「26日に外国のメディアなどではチェルノブイリ事故のことを騒ぎ立てていたけれど、私達にしてみたら、もうやめてくれ、聞きたくもない、という気持ちです。」この家族の次女は甲状腺ガンの手術を受けました。
「クラスノ・スロボダ サナトリウム寄宿学校」
クラスノ・スロボダ サナトリウム寄宿学校(正式名称:国立クラスノ・スロボダ慢性呼吸器病の子どものためのサナトリウム・普通教育寄宿学校)を訪れました。ミンスク市から南へバスで約2時間のソリゴリスク市へ、さらに車で約30分、ミンスク州ソリゴリスク地区クラスノ・スロボダ村にあります。(2004年12月に支援要請の手紙が届き、2005年1月に子ども基金ベラルーシ側窓口であるザイツェワが訪れています。)子ども基金ではこの学校に、喘息治療用吸入機器と芸術活動のための文具類の支援を行いたいと思っています。みなさまのご協力をお願いします。
ガリーナ・パヴロヴナ校長の話
元々は1961年に戦災孤児のための孤児院としてスタートしました。チェルノブイリ事故後病気の子どもが増えたため、慢性呼吸器病の子どものためのサナトリウム寄宿学校となりました。(ベラルーシには他に、胃・心臓病、結核、脊柱側湾症の子どものためのサナトリウム学校がある。)ミンスク州を含むベラルーシ全土から子どもを受け入れています。現在は1度に180人まで収容できます。保養にやって来る60%の子どもには両親のどちらかがいません。孤児のグループもあります。全員が喘息の病気です。その上、心臓の手術をした子ども、皮膚病、甲状腺の病気、ストロンチウムの影響によるカルシウム不足で骨の弱っている子どももいます。一人で3〜4つの病気がある場合もあります。6歳から16歳までの子どもが年間で400〜500人滞在しています。滞在期間は3ヶ月から最長で1年間、病気の症状により医師が決定します。
学校教育と治療の両方を行っています。温水療法、薬草療法(お茶として飲んだり吸入器に入れて使用したりする)、理学療法、音楽療法、イオン療法の5つのプログラムがあります。その他に、体育館、器械体操室、手芸・絵画・工作などの芸術教室があります。敷地内には菜園・薬草園があります。外にはスポーツ用のグランドもあります。
学校の経営は大変厳しいです。ベラルーシでは国立の学校(幼稚園も)は年間予算の30〜33%を独自で稼がなければならなくなりました。建物も内部の設備も老朽化しているため、いつも自分たちで修理をしています。少しでもお金を稼ごうと、自分たちで育てた薬草や屑鉄を売るなどの努力をしています。しかしいつも資金不足です。喘息治療のための新しい吸入器が必要です。子どもたちのために必要な医薬品も値段が高くて大変です。以前にアイルランドの人たちから建物の一部を修理してもらったり、修理のための資材を援助してもらったことはありますが、他に外国からの継続的な支援はありません。いつでもスポンサーを探そうと努力しています。
チェルノブイリ事故の影響について
チェルノブイリ事故後のことは秘密にされています。私たちはチェルノブイリ汚染地のすぐ近くに住んでいますが本当の危険はわからないのです。汚染地と指定されていない場所でも地下深く掘ったら、ナロブリャと同じ放射能値だったと聞きました。恐ろしいことです。いくら事故から何年も経ったからといっても、いくら事故後に生まれた子どもといっても、今も汚染地や、その近くで暮らしているのです。
学校内の様子
教室内の椅子・机は壊れかけているものも多く、木の廊下は歩くと少しへこむところもあり、危険なため立入禁止になっているベランダもありました。食堂で使っている食器はアルマイト製、調理場の床のレンガは斜めに傾いていました。しかし窓の外を見ると、広い敷地の向うに緑の森が広がる美しい光景があります。そして廊下ですれ違う子どもたちはどの顔も明るい表情でした。
校長も副校長も、常に子どもたちのことを話題にしていました。子どもたちのためにこんなことしたらどうだろう、あんなことをしたらおもしろい、喜ぶだろう、などと話している様子はとても温かい印象でした。お金はないけれど自分たちのできることをして、子どもたちのために少しでも良い環境にしたい、という気持ちがひしひしと伝わってきました。施設は老朽化していますが、この学校は暖かい雰囲気に包まれているように感じました。
2日間の訪問中に折り紙教室を開き、鶴や風船、カラスを子どもたちと一緒に作りました。ガリーナ校長は子どもたちに広島の佐々木禎子さんの話をしました。翌日学校に行くとヴィクトル副校長から「どうぞこれを広島の禎子さんの像の元へ届けてください。」とチョコレートの箱を渡されました。その中には子どもたちの折った鶴が入っていました。
(報告:佐々木、4月14日〜5月22日までベラルーシを訪問)
|