振込用紙から
クロスノスロボダ寄宿学校の先生方が子どもを思う気持ちがすてきだなと思いました。
八王子市 E.A
7月22日、23日、24日茅ヶ崎で、被爆60年ということで、「ヒバクシャ展」を市民の平和グループで開催しました。広島からポウターや被爆者が描いた絵、福島菊次郎さんの写真、広河隆一さんのイラクからの写真等展示し、多くの人達に見て頂きました。資料コーナーにチェルノブイリの子どもさんの絵本や第5福竜丸の本なども見て頂きました。
茅ヶ崎市 A.T
チェルノブイリの子どもが親になった今、新たな命に幸あれと願わずにはいられません。
山梨県中巨摩郡 M.N
高校生からの手紙
英語の教科書「PROMINENCE」Uを使用している高校の生徒たちから事務局に手紙が届きました。その教科書にはチェルノブイリの事故とナターシャ・グジー家族のことが"For
Chernobyl with Love"というタイトルで掲載されています。その手紙の一部をお読みください。
『・・・・・・・・・・・・・「チェルノブイリ」ニュースで耳にしたことがあるようなないような・・・・、私にはその程度の知識しかありませんでした。ナターシャさんにとって、きっと忘れることのできない1986年4月26日。この日に起きた惨劇の悲惨さの事実を、今回リーダーの教科書できちんと知ることができました。この事故に関連する記事をいくつも読みました。それは単なる「発電所の事故」ではなく、私の想像を遥かに超える被害の様子でした。火力発電所や水力発電所の事故もきっと大規模ではあるのでしょうが、原子力発電所での事故は、それがもたらす被害の大きさがけた外れです。被害は発電所の周辺にとどまらず、何キロメートルも離れた場所に及びます。被曝した人々は髪の毛が抜けたり、白血病になったり、それどころか、直接被曝した人の子孫にまで健康の不安を残すのです。「ヒロシマ」「ナガサキ」人類初の原子爆弾を投下され、日本が唯一の被爆国だと思っていましたが、戦争でもないのに「原子爆弾」の被害に苦しむ人がいるなんて、考えられないことでした。あまりのも無知で恥ずかしくなりました。日本にも原子力発電所があり、火力発電や水力発電と比べて、いかに素晴らしいかをコマーシャルで流しているのを聞いたことがあります。「チェルノブイリ」を知った今、何気なく見過ごしてはいけないと思うようになりました。ナターシャさんの話を読んで、歌声を聞いて、一人でも多くの人が「チェルノブイリ」を知り、被曝した人々や子どもたちのために、基金に賛同してくれることを祈っています。私も自分にできる方法で応援したいと思います。・・・・・・・・・』
大分東名高校2年 N.S
『始めまして。僕は今、高校2年生です。チェルノブイリの事故のことは、まだ生まれていなかったとということもあり、そういうことがあったということしかわかっていなくて、詳しい被害などのことは知りませんでした。その現地の町や村の状況がそんなにひどくなっているとは思ってもいませんでした。そんな事故の災害のためにナターシャさんが日本まで来て活動していることはとても立派だと思います。今年、日本では終戦60年といっても、戦争のことを詳しく知っている人が少なくなってきていると言われています。これは、日本人として知らなくてはならないし、忘れてもいけません。チェルノブイリの事故も伝え続けなければいけないことと思います。・・・・・・・・・・』
大分東名高校2年 Y.A
|