ここからは少し日本の写真を見て下さい。日本は現在53基*の原発をかかえています。そのなかで浜岡原発は地震危険地域にあります。原発震災という言葉を神戸大学の石橋さんが使い始めているが、地震は天災だが地震から発生する原発震災は人災になります。こんな危険な所に原発を建設しているところは日本しかありません。
チェルノブイリ原発の教訓は、いったん事故を起こしてしまったら人間の力ではどうにもならないということです。原発が爆発したらどうしたらよいのか、世界の誰もわからないのです。事故のときに鉛を落としたり、砂を落としたりしましたが、それらすべててが役に立たなかったということが分かっています。そして、多くの消防士たちが亡くなりました。
チェルノブイリの事故の時に消火にあたったチェルノブイリ消防署の隊長は「もう一度事故が起こったら隊員たちに消火に行けとは言えない」と答えました。「今は放射能の防護服もあるので出来るのではないか」と聞くと彼は「世界中に放射能の防護服と言えるものは一着も無い」と言ったのです。日本でも敦賀原発のある敦賀消防署の所長に会い「事故があったらどのような服を着るのか」と聞くと、マスクも付けた完全防護服を見せてくれました。「これを付けたら安全か」と聞くと、「これではどうしようもなく、ガンマ線はこんな防護服は簡単に貫いてしまう」と言うのです。
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この写真は浜岡原発です。原発から4キロしか離れていないホテルの前から撮影しました。この町で一番立派なホテルです。サッカーがあったときに、ベッカムも泊まったホテルです。ベッカムも目の前の建物は浜岡原発だとは知らされずに泊まったのでしょう。国賓級の人が原発近くのホテルに泊まることなどありえません。
そのあたりの岩盤が露出している所に行き、そこを触ったらボロボロに崩れていきました。浜岡原発の岩盤は強化されているから大丈夫と言われていましたが、その岩盤の正体がこれです。原発近くに町があり、ここに吹く風は東京のほうにいつも吹いており、その風は普通の状態でも12時間で首都圏に着くと言われています
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これはヒロシマの写真です。私たちは、ヒロシマの被害者たちの死の意味を長い間踏みにじってきました。そしてヒロシマという言葉は非常に悲惨なことを記憶すると同時に繰り返さないという、新しい人間の意思を獲得する言葉でもありました。しかし実際に世界中のいろいろな所をまわって、ヒロシマの言葉は汚されている、ということを知りました。国連がつくったチェルノブイリ原発事故の調査団の団長として差し向けられたのは重松というヒロシマの学者でした。ヒロシマの人間が調査団の団長なので、被害者の立場から調査してくれると、期待をしました。ところが、彼は国際的な報告の場で、原発の被害は大したことはない、人々は汚染された土地に住んでも大丈夫、汚染された食べ物を食べても大丈夫、病気が増えるのは放射能が怖い怖いと気にしすぎるので病気になるのだと言い、現地の人たちは怒りました。
私たちはこの事にも責任を持たなければなりません。重松は日本の疫学調査の最高権威で、彼は水俣の病気が発生した時も、チッ素工場の水銀は病気には何の関係もないと言い、イタイタイ病の時もそうでした。
カエルを熱いお湯の中に入れるとカエルはびっくりして飛び出すが、水に入れ下から火を付けてゆっくり熱くしてゆくとカエルは自分が危機にさらされていることが分からず逃げることができずに死んで行く。今日の日本の置かれている状況がそうだと言えます。そして、今が大きな分かれ道にあるというふうに思います。
どうもありがとうございました。
(*青森・東通原発が運転開始。54基になりました)
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