奨学生の手紙
私は1985年11月にゴメリ市で生まれました。98年には両親が離婚したので、それからはずっと母と二人で暮らしています。これまではアパートを借りていましたが、2011年までの分割払いで、やっと自分たちのアパートを買いました。 1995年の検査で、私の甲状腺に異常があることがわかりました。その後は腫瘍センターの管理下におかれました。その時はたいしたことはないと思っていました。悲劇を予想することはありませんでした。2006年2月の検査で、緊急に入院し手術が必要であると言い渡されました。その時のショックを言葉にすることはできません。それから2日間、朦朧としたような状態で過ごし、水以外のものは何も喉を通りませんでした。手術当日、私の気持ちはしっかりしていました。でも、看護婦が手術室への迎えに来た時には、私の頬にも母の頬にも涙が流れました。もし母がいてくれなかったら誰が私を支えてくれたでしょう。しかしこの悲しみも恐怖も、ほんの始まりに過ぎませんでした……。 私が手術室に入ってから18時間、唇を湿らせる以外に何も飲み物を与えられず、ましてや寝返りをうつことすら許されませんでした。でも神様のおかげで「気持ちのよくない時間」は過ぎ去りました。手術後は、たくさんのわけのわからない感覚がありました。頭がくらくらし、いつも眠気があり、とても疲れやすく、そして歯と首の距離がいやに近いような感覚……。 これからこんな体でどうやって生きていけるのだろう、慣れることができるのだろうかと思いました。いまだに私は、一生この薬を飲み続けなければならないということに、慣れることはできません。退院後、母は私に日本の女の子の話をしました。病気のその女の子は千羽の鶴を折れば回復できると信じていましたが、最後まで折ることはできなかったという話を。 大切なのは、未来はまだ続くということです。私は今、ゴメリ国立技術大学で経済の勉強を続けています。卒業後は専門を活かした仕事に就きたいと願っています。 チェルノブイリ事故被害者へのご活動に心からお礼を申し上げます。チェルノブイリ子ども基金と協力者の皆様、そしてご家族の益々のご繁栄をお祈りします。そして何より大切なこと、それは健康です。 |