第12回 甲状腺手術後の“子ども&若者”のための夏の特別保養


■ 実施の概要 ■

≪ベラルーシ「希望21」(ナデジダ)≫

特別保養 実施期間:2007年7/10〜7/27
参加団体:「チェルノブイリのサイン」「困難の中の子どもたちへの希望」
参加者:甲状腺手術後の子ども&若者と、その他の病気(脳腫瘍、目のガン、白血病)を含む合計65人、付添い3人。年齢は14歳〜23歳。
費用:1人1日14$×18日×68人 合計17,136$(2,022,048円)
*1$=@118円で換算(以下同一レートで換算)
他に交通費支援、薬代、特別セミナー代などを支援

◆上記期間中にスタッフの佐々木とボランティアで里親の冨永さんが訪問。折り染め教室、毛糸による指編み教室、カード作り教室、折り紙教室などを開催しました。特別保養の若者&子どもたちのほかに、汚染地域からきている子どもたちも教室に参加しました。このニュースの編集を行っている15日現在では、まだ佐々木が帰国していないため、今号では冨永さんの報告を掲載、次号で佐々木の報告を掲載します。

◆子ども基金では「希望21」の汚染地域から学校単位でやってくる子どもたちの保養費も支援しています。汚染地域の子どもたちの保養は国によって規定されています。子どもたちは21日間(保養期間は政府の方針で年ごとに変更になったりします)汚染のないところで過ごし健康回復を図ります。安全な食べ物を食べ学校の授業を受けながらリラックスして過ごします。体の免疫力を回復して、またそれぞれの地域に戻って行く。この繰り返しによって、辛うじて健康を維持し、病気になっても重くなるのを防いでいる効果があります。しかし、国家からの支援は年々削減され「希望21」の経営は厳しい状況です。ドイツからの支援も減っています。また、私たち「子ども基金」でも一般募金は先細りを続け来年の支援は果たして何パーセントの支援ができるか、非常に心もとない状況となっています。
2007年は総費用の8%を支援しています。
14$×3,480人×21日×0.08=81,849$
(9,658,182円)

≪ウクライナ「南」(ユージャンカ)≫

特別保養 実施期間:2007年8/1〜8/14 
参加者:甲状腺手術後の子ども&若者 37人、付添い4人、医師1人。年齢は18歳以下。*「キエフ・内分泌研究所」から推薦された子ども&若者が中心。「南」は都心から離れた海沿いの施設のため全員に交通費がかかります。
費用:滞在費1人1日12$×14日×42人=7,056$ 交通費(列車往復)35$×42人=1,470$  合計8,526$(1,006,068円)
ほかに、医薬品代や掃除費代などを支援。

◆上記期間中に、佐々木のほか、齋藤、中務の両理事がボランティアとして「南」の保養に参加。冨永さんがウクライナの子どもたちの分まで材料を提供してくださったのでそれを元に、ベラルーシと同じように指編み、折り染めなどの教室を開きました。また、簡易囲碁セットを里親の方から寄贈していただき持参しました。子どもたちと対戦したということです。(「南」の報告は次号に掲載します

◆特別保養のほかに放射能汚染地域に今も住んでいる子どもたちなどの夏の保養も支援しています。
低汚染地に住んでいる子どもたちなどの夏の保養
・7/1〜14 「ナロジチ地区」の子どもたち35人
付添い2人
・7/1〜14 「にがよもぎ」の子どもたち 15人
付添い3人、医師1人
・7/16〜29「子どもたちの生存」の子どもたち50人、付添い5人、医師1人
・8/1〜14 「にがよもぎ」の子どもたち 13人
付添い1人
・8/16〜29「家族の救援」の子どもたち 50人
 付添い5人、医師1人
合計36,946$(4,359,628円)を支援

■ 報告 ■

はじめてのベラルーシ         冨永安子

 チェルノブイリ子ども基金の里親制度を知ったのは8年前。夫が所属していたアコーディオンサークルの会長が、佐々木理事のお母さんだった。そんなつながりから、子どものいない私たちは、里子のエレーナと出会うことになる。里親になって半年たった2000年に、運命の出会いがあった。

 チェルノブイリ子ども基金・奥羽の静養招待者がエレーナだった。東京で何日間か滞在するのを引き受け、ロシア語の通訳の方をお願いした。当時は通訳の方がいない時、露和辞典、和露辞典をお互いが持ち、身ぶり手ぶりで用をたすもどかしさがあった。帰るころには何となく通じるものがあり、ベラルーシに来てほしいと言われたと思い、「ダー、ダー」と答えた。あとでわかったのは、ロシア語の勉強をベラルーシに来てするように言ったのを「いいよ」と返事していたことになり、みんなに笑われてしまった。

 仕事をやめたのを機に、自分でロシア語の手紙が書けるようにと勉強を始めた。今までは、佐々木理事や、子ども基金を通して手紙を訳してもらっていたので、自分でできるようになったらいいと思った。日常、見聞きしない上に、年齢がいってからの勉強は予想以上に大変だった。

 今回、ベラルーシに行くチャンスに恵まれた。子どもたちに、折り染めや指編みなど、自分のできることを教えることになった。行く前に材料を準備したり、教える内容をロシア語にしたりと前日まで目一杯だった。

 7月20日に成田を出発して、フランクフルト経由(1泊)で21日にミンスクの空港におりた。初めてのベラルーシ入りだ。空港には、職員のラリーサがむかえにきてくれた。保養所、希望21までは、北海道の風景がどこまでも続いている感じがした。

 「ナジェジダ」は、森の中の保養所。音が静かで、命の洗濯をさせてもらった。4日間は、あっという間に終わってしまった感じだ。国の法律がかわって、医師がきた時しか使えない医療機械もあった。保養券をもらっても、交通費がなくて保養所に来られない子もいるという。インフレで電気、ガス代が上がっていくので、国からの配当予算をオーバーしてしまう現実の話を聞き、なんとかならないものかと心が痛んだ。

 所長をはじめ、職員の人たちは、子どもたちにとって最良の保養を考えている。施設の中も夢のある絵や場、プロジェクトが用意されている。見学した経済セミナーも楽しかったし、ステージでのプログラムも変化に富んでいた。農場で収穫したものが食卓に出される。子どもたちの笑顔と輝く瞳。それは、ここが子どもたちにとって、最良の場所だという証明だ。少しでも多くの子たちが、十分な保養を受けられるようにと願わずにはいられない。

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