04月01日(木)[英語字幕で外国映画をアメリカでみる奇妙]
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フランス映画INCH'ALLAH DIMANCHEを見る。先日見た「OSAMA」があまりにも救われない映画で、特にアメリカ人のなかでの見られ方が、アフガン戦争の正当化という文脈だとしたら二重に救われない映画だと思ったことを以前記したが、2000年に作られたこの映画は、そのような意味では「救いがある」。アルジェリアというアラブ世界と、フランスというヨーロッパ世界が出会った時に起きる衝突と融和。アラブ世界に対する欧米のまなざしを考える。ファルージャで起きた不幸な事件の「憎しみ」の根源にどれだけ欧米は想像力を駆使できるか。「野蛮」という言葉で片づけるだけでは済まないのだ。今夜のCNNで、1年前の英雄ジェシカ・リンチ元上等兵が、ポーラ・ザーンのインタビューに答えていた。ファルージャでの事件の映像をみてどう思うかと聞かれて、彼女は『全くもって悲劇の日です。亡くなられた方々のご家族のお気持ちを察します。その一方で、何が実際に起きたのかは私にはわからない。どのように物事が終わり、また続いたのかを見つけだすには、実際にその場にいなければならないと思います』と答えていた。(You've
got to be there to find out how it is over there, and to live it.)。ポーラ・ザーンなんかには及びもつかないしっかりした的確な言葉だった。 |
04月04日(日)[桜はワシントンの方が本場?]
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ワシントンの街並みに咲く桜は、もともとが1912年に当時の東京市長・尾崎行雄から日米友好の印として送られたものだ。桜の苗木が米国に送られるまでのエピソードはいろいろと語られているが、日露戦争でロシアに勝利した直後、アメリカ、ニューハンプシャー州ポーツマスで戦後処理をめぐる日露交渉が行われ、その仲介にアメリカがあたったことへのお礼という政治的な意味合いも指摘されている。桜は戦争とどこかで結びつけられた歴史的な経緯がある。その桜は今日が見物の最後のチャンスだろう。風が強くて、今日あたりでかなり散ってしまうからだ。それで全米から観光客が繰り出しているタイダル・ベイスンを避けて、ケンウッドの方に行ってみた。うーん、きれいだ。見事だ。桜のトンネルのようになっている美しい街並み。これってニッポンより綺麗じゃん。今のアメリカのUSA中心主義が続いてしまったら、「桜ってわがアメリカのオリジナルの花ですよ」とか言いかねないかも。それにバンバン遺伝子組み合えとかで品種改良をやって「なかなか散らない桜」とか、「スーパーサイズの桜」とかつくってしまって、それに「デモクラシー桜」とか命名しちゃうようなところがあるものなあ。とまあ、そういうことは考えずに、桜の美しさを堪能した。今や桜はワシントンの方が本場かもしれない。 |
04月05日(月)[外国映画を英語字幕でアメリカで見る奇妙(2)]
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『Good-bye Lenin』というドイツ映画をみる。ドイツで大当たりした映画らしいが、僕がみた劇場には客が僕も含めて5人しかいなかった。ガラガラ。そのうちの2人は明らかにドイツ人だった。アメリカ人はこういう映画なんか興味ないのだろうなあ。けれども、とてもいい映画だった。社会主義の夢と希望がまだ生きていたふりをしていた時代から、それが完全に潰えた時代への移行期の物語。 |
04月06日(火)[自国兵士の死亡者数だけがニュースのアメリカ]
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Quagmireという言葉がある。泥沼。ぬかるみ。抜け出せない湿地。イラク情勢がますます泥沼化してきた。きのうのテッド・ケネディのスピーチでは、「イラクはブッシュにとってのベトナムだ」と言い放った。ファルージャやラマディでヒドい戦闘が起きている。米民間人4人が殺害され遺体が損傷された場所ファルージャで今現在起きている戦闘は、一種の米軍による「仕返し」であろう。その米軍による掃討作戦で、こどもや女性を含む少なくとも26人のイラク人が殺された。 |
04月08日(木)[とうとう起きてしまった日本人を巻き込んだ事件]
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アメリカはイースター休暇の季節で、ワシントンはすいている。あしたはGood Fridayという代休日みないなもんで、どこかに出かけている人が多い。実は自分もだいぶ前から今日の午後出発でキューバに旅行に出かけようと予定していた。午後1時にレーガン・ナショナル空港を出発して、2回乗り換えて、夜にはハバナに着いていたはずだった。 |
04月09日(金)[バグダッド陥落1周年の日に]
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ワシントンはガラガラで観光客の姿が目立つ。イースター休暇のグッド・フライデー。それにしても1年前のフセイン像引き倒しの直後に、誰が現在のイラク情勢の混沌を予測できただろうか。朝、東京の夜ニュースとの中継で、スタジオに生出演している誘拐された3人の家族の声を電話回線で聞いていて、胸が詰まった。さらに、誘拐された3人のうちの一人、今井さんがイラク入りの直前にアンマンから送っていたメールが転送されてきたのを読んだら、ファルージャでの例の遺体引き回し事件の後、駐留米軍が道路を封鎖したために迂回してバグダッド入りするとの記述があった。すべての泥沼は連動している。イブニング・ニュースのトップニュースは、各局ともバグダッド陥落1周年の日のイラク情勢の混沌を悲痛な調子で伝えていた。日本人3人の誘拐事件も、暗い影を落とす事件として報じられていた。結末が心配だ。 |
04月10日(土)[事態の急展開。無事に解放されるのを待つ。]
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イースターの好天の土曜日。日本時間の午後2時すぎに東京に電話を入れたら大騒ぎになっている。アルジャジーラに犯行グループからFAXが届き、3人の日本人を解放すると伝えてきたという。急いで支局へ。犯行グループが送りつけてきた声明文の訳文を読む。ホンモノかどうかを見極めたいからだ。以下、その一部。
ホンモノだろうか?これがホンモノだとすると、決め手は、10日にアルジャジーラで放送されたイスラム聖職者委員会の解放呼びかけであるようにも解釈できる。とにかく「一次情報」が決定的に乏しい。アルジャジーラ報道が実質的な「一次情報」のようになってしまっている。日本政府や米もアルジャジーラを注視している。人質家族の呼びかけがアルジャジーラで放送されたことも何らかの効果があったのだろうか?夜になっても動きがない。こちら時間の夜11時までにも「解放」か、との情報が流れたが、結局何の進展もないまま、日付が変わる。 |
04月11日(日)[呆れてものが言えない。]
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きのう車が壊れて、修理場を探し回ったが、イースター休暇ではどこもあいているわけがない。今朝早起きして、修理に出しに行く。雨模様の肌寒い天気。イラクの邦人人質事件の動きがぱったりと止まってしまっている。現地では外国民間人の誘拐が相次いでいる。それがアルジャジーラで放映され、初めて事件の発生を知る。つまり、アルジャジーラは「一次情報源」なのだ。そのアルジャジーラに対する米軍当局の風当たりが再び厳しくなってきた。「チャンネルを変えろ!」とはイラク駐留米軍の会見場での言葉だ。それにしても、予想できないわけではなかったが、人質になった3人の日本人に対する「世間」を装った日本国内での中傷のひどさと言ったら。果ては、家族に対してもイラク行きを止めなかった責任があると責め立て、外務省の高官までが「自己責任をわきまえて」などと言い出す。自衛隊派遣という「国策」に従わない奴らは助けない、とでも言う気なのだろうか。国家には自国民保護の大原則があるというのに。あげくの果てに「奴らは反戦左翼活動家だから<自作自演>の可能性がある」というグロテスクなことを言い出す輩まで登場しているとか。呆れてものが言えない。森達也の『下山事件』に続いてジョージ・オーウェルのBBC時代の文章『戦争とラジオ』を読み始める。深く深く思考すること。 |
04月13日(火)[プライムタイム記者会見の目に見えないルール]
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久しぶりにブッシュ大統領が今夜、ホワイトハウスでプライムタイムの記者会見を開いた。今のタイミングである。出かけてみた。イーストルームは熱気と緊張感に包まれる。日本の記者クラブの悪しき伝統に「幹事社代表質問」というのがあって、つまり幹事社の記者が優先的に質問して全体を先導する。今夜の会見はそれよりもずっと悪く、あらかじめ質問する記者と席順が決まっているのだ。こういうのは普通「出来レース」と言われているが、まあそんなものだ。日本の記者クラブの会見も政治部系のものは海外から閉鎖主義を指摘されて、外国メディアにも開放されている。けれどもあまりの中味のなさに、しだいに海外メディアからも見放されるようになっているのだという。さて、ブッシュ大統領はあまり元気がなかった。このタイミングである。イラク情勢があと2ヶ月あまりの後に、主権移譲が行われ得る状況なのか。ファルージャで何が起きたのか。このことはかなり時間が経たなければ判然としないとんでもない出来事が起きていると直感的に思うのだ。 (写真は、会見前・会見中・会見後:撮影かねひら) |
04月15日(木)[パウエル長官のある種の雰囲気にたじろぐ]
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いくつかの偶然が重なって、今日、パウエル国務長官の単独インタビューがとれることになった。その日に、何というか質問の主題に関して大きな動きがあった。イラクの日本人人質事件の3人が解放されたのだ。イスラム聖職者協会に1本の電話が入り「今日釈放する」と通告されたという。その後の事態の推移の早いこと。アルジャジーラで解放された3人の映像が流れ、あれよあれよの急展開。その情報を整理する間もなく、国務省でいつのまにかパウエル長官の前にいた。何しろ時間制限がきびしく、せいぜい4〜5問の質問時間しか許されていない。秒刻みのスケジュールと言われる人物である。まいった。それとパウエル氏の醸し出しているある種の雰囲気を前にして、緊張のあまり、2番目の質問を失念してしまった。何とか立て直して質問を続けたが冷や汗もの。面白かったのは、パウエル氏が人質になった市民(Japanese citizens who were willing to put themselves at risk for a greater good,for a better purpose)を日本人は誇りにこそ思うべきであり、決してとがめてはならない、と言い切ったことだ。日本に蔓延している「軽率」「自己責任をわきまえろ」論との何たる隔たりか。インタビューまでの待ち時間に、一緒に国務省の控え室で待っていたカナダのテレビ局のボスやイタリアのテレビ局の人と話したが、もし政府の人間が、公の席で人質になって困難な状況にある自国民を非難するような発言をしたならば、その人物は職位を解かれるだろう、と言っていた。国情の違いか。今も、CNNのラリーキング・ライブに米民間人人質の家族が生出演して、視聴者に心情を切々と訴えている。2人の不明邦人の消息の方が気がかりである。というのは、ある種の政治的な主張をもったグループに連れ去られたのならば、今回のように解決の糸口もあり得るが、強盗・追いはぎ・ものとりの類ならば、とても危ないからだ。時間が過ぎる。 |
04月18日(日)[日本人であることによって強制収容所に入れられた時代]
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1997年のアメリカのドキュメンタリー映画「Beyond Barbed Wire」(鉄条網の向こうに)は、第二次大戦中の日系人部隊(第100部隊、第445部隊)の活動を追ったストーリー(部隊生存者、その家族、関係者らのインタビュー構成)だ。見終わって涙が止まらない。日本が真珠湾を奇襲した瞬間に、日本人の血が流れているという理由だけで運命が変わった人々がいる。アメリカに住んでいた数多くの日系人が強制収容所に入れられた冷徹な歴史がある。ハワイにいた日系人の部隊、強制収容所のなかから軍に志願した日系人の部隊は、その後の過酷な運命を生き抜いた。戦場では最も困難な激戦地に行かされ、自分たちはアメリカ人であって日本人ではないことを証明しなければならなかった。彼らは最も勇敢な戦士と評された。イタリアやフランスやニューギニアに送られたこれら日系人部隊は、たとえばたった100人の孤立してしまったテキサス白人部隊を救出するために800人の編成で送られ、そのかなりの部分が命を失い、結果としてテキサスの部隊を救出した。その悔しい思いを生存者たちはインタビューで切々と語る。国家はそのように個人についてまわるのだ。なぜ、このようなことを書くのかと言えば、過日、イラクで人質になった日本人に対する日本政府および一部の日本国民・メディアの姿勢・仕打ちを考えるよい材料になるからだ。日本人であることだけが理由で理不尽な被害に遭うとき、国家は国民の生命保護を最優先にあらゆる手だてを講じなければならない。自国民保護の原則である。それが、今、ニッポンという国の政府は、理不尽な目にあった人々を責める。お前らがちょろちょろするからだ、と。救出費用を家族に請求することを検討するのだという。某宗教政党の幹部は、「損害賠償(!)をするかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ」とか言ったらしい。戦時中、きびしい弾圧のなかを生き抜いたこの政党の結党の祖たちは、今頃、土の下で泣いているだろう。アメリカ政府は強制収容所の誤りを数十年後に認め、公式に謝罪して、それこそ国家賠償を行った。ニッポンは日本人であることによって理不尽な目にあった日本人にカネを払えとか、自己責任をわけまえろ、と責めている。日系人強制収容の事実に怒り、涙を流した旧い政治家たちの二代目、三代目たちが、過去から何も学ばず、強がってばかりみせる姿勢は、古い在米日系人たちの目にどのように映っているだろうか。 |
04月19日(月)[ウッドワード記者の「プラン・オブ・アタック」の衝撃]
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ボブ・ウッドワード記者の新著「プラン・オブ・アタック」が今朝から店頭に並んでいる。支局そばのボーダーズには特設コーナーが設けられて、見ている先から次々に売れていく。こりゃあ間違いなくベストセラーになるんだろうなあ。ワシントンポスト紙にすでに2回にわたって掲載された要約を読む限りは、非常に刺激的な本の内容である。これを読む限り、ブッシュ大統領は、9・11テロ事件の3ヶ月後に、ラムズフェルド国防長官とフランクス中央軍司令官に、イラク攻撃計画の策定を命じているのだ。さらには、イラク攻撃プランを決めたにあたっての舞台裏がこれでもかという位にディテールが書き込まれている。インタビューはブッシュ大統領本人との3時間半に及ぶインタビューなど75人の取材に基づいている。事前に「戦争をすべきかどうか」を相談したのは、何とライス女史とカレン・ヒューズ女史(選挙広報担当)の2人の女性のみ。チェイニー大統領が最もフセイン除去に熱心で(powerfull
steamrolling force)、サウジアラビア駐米大使に事前に,攻撃プランを提示して協力を求め、引き換えに大統領選挙の前に石油価格を下げてもらうように持ちかけたこと。テネットCIA長官は、大量破壊兵器保持は「スラムダンク」(バスケットボールのダンクシュート)くらい絶対確実だなどとブッシュに報告していたこと。パウエル国務長官は、この間、何も知らされず、ライスが心配してブッシュに会うように薦め、短時間だけ会い、イラク攻撃の旨を告げると、パウエルは「わかりました、全力を尽くします」とだけ言ったこと。チェイニーとパウエルの関係は緊張し、ほとんど口をきかないまでに悪化したこと。パウエルは事前にチェイニーら強硬派に対して「そこに手をつけるということは、そこを所有(own)することになるんですよ」とたびたび警告していたという。お店で陶器を壊してしまったらそれを買わなきゃならないように(Youbreak
it,you own it.)。まだまだ、書き出したらきりがないほどエピソードがいっぱいの本けれども、面白いのは、ブッシュ大統領が宗教的な使命感に基づいて戦争を遂行したと告白している点だ。「我々には人々を自由にする、解放する使命がある」と。そして、ウッドワードが「歴史はこの戦争をどう裁くのでしょうね」と聞くと、ブッシュはこう答えたという。「歴史が裁く。我々にはわからない。我々はもうその時には死んでいる」。 ウッドワード記者は、その昔、ウォーターゲート事件の報道でニクソン政権を崩壊させるきっかけをつくった記者だ。その彼は、今では政権インサイダーとして、内側に入り込んでしまい、かつての面影がなくなったという人もいる。けれどもインサイダーでなければ知り得ないこれらの赤裸々なディテールを提示されると、これはひょっとして、ウッドワード記者は、2つの政権を壊した記者になる可能性がなくもないのでは、と思う。そして次の瞬間、いや、これはもっと巨大な情報戦の一環かもしれないな、と思い直す。とにかく、何かが動き出している予感。 |
04月23日(金)[10ドルのチェ・ゲバラ〜キューバにて(1)]
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しばらく休みをとっていなかったので、休暇をとった。今、キューバのハバナにいる。仕事ではない。いずれは来ようと思っていた国だ。アメリカにとっては近くて遠い国だ。何しろ国交がないので、直行便がない。今になって思えば「急がば回れ」が大正解だったのだ。つまり、ワシントンからだとカナダに出て、そこから直行便が一番早い。ところが、こっちはワシントンDC→マイアミ→カンクーン(メキシコ)→コズミール島(ここで出入国手続きをする)→ハバナ空港という気の遠くなるような経路をとってしまった。まいった。昨夜、夜中にハバナのホテルにチェックインしようとしたら、予約しておいた筈の部屋がとれていないと言われる。まいったなあ。懸命に抗議して何とか部屋には泊まれたが。今日は旧市街をぶらぶらした。結構、観光客が来ているぞ、海外から。首都ハバナは予想した通り、かなり汚くてかなり人間臭い。でも予想通りでいい感じだ。1950年代みたい。実際、50年代つまり半世紀前のフォードとかがいっぱい走っている。ソ連とか北朝鮮とか、アフガニスタンとかちょっとだけ見てきた身としては、何だ、ここはまだマシだぞ、と思ってしまう。南国特有の豊かさが、経済の停滞をカバーしているのだろうか。どこに行っても音楽がなっている。観光客目当てのものが多いが、音楽の豊かさは日本の比ではないだろう。それにゲバラの顔、顔、顔。一種のブランドというか、キューバのロゴマークみたいになっている。Tシャツとかゲバラ入りのものは結構高くて、8ドル〜10ドル。市の中心部のCasa de la Gorbiernoの前で午後4時から、いきなり大編成のブラスバンドが演奏をし始めた。お世辞にもうまいとは言えなかったが、でも何か聞いていてほっとするような演奏だった。若い人もお爺さんも、白い人も真っ黒な人も、男も女もみんな一緒に懸命になって演奏している。途中ドヴォルザークの「新世界」の第2楽章なんかもやっていた。古すぎて今にも壊れそうなコントラバスや洗面器みたいな凸凹だらけのチューバを使って。なんかこういうのを見ていると「がんばれキューバ」とか応援したくなってしまうが、余計なお世話だろうな。夜、Casa de la Musicaに繰り出す。 |
04月24日(土)[夜になっても遊び続けろ〜キューバにて(2)]
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まったく「がんばれキューバ」なんて余計なお世話だと思い知った。きのうの深夜、Casa de la Musicaは、すごいお祭りになっていたが、これをどう書いたらいいのかわからない。『夜になっても遊び続けろ』とは詩人の堀川正美の断片だけれども、そのとおりの人たちがいる。サルサに踊りしれる幸福な人々。バンドも前座を含めてスゴかった。まるで「生の賛歌」みたいに踊りまくるエネルギーを前に、すぐに入っていけない情けなさを味わう。Jazz Cafeにも行ったが、ここもみんな踊りまくっていた。全くどこへ行っても音楽がなって踊っている。(この間、6時間睡眠)へミングウェーの家に行ってから革命博物館へ。前者は、フロリダのキーウェストの続編みたいな気分。キューバは博物館がやたら多く、どこも部屋の番人のように公務員のおばさんやおっさんがうじゃうじゃいる。実に暇そうにしている。写真を撮ってあげるとか言って、ちゃっかりチップを稼ぐ。革命博物館は、スペインの入植が原住アボリジニを征服・奴隷化する歴史から始まり、植民地政府のスペインからの独立を経て、カストロらによる1959年の独立革命戦争、そして、社会主義建設に至るキューバの建国史が編年体で展示されている。公認の歴史博物館だ。バチスタ政権を倒すまでの展示はなかなか面白いのだが、社会主義建設以降は、この博物館の展示は一気に色あせている。夕方、国内線に乗ってHolguinへ。飛行機はソ連製のヤコブレフ41。機内に入るまでが1時間半。ひたすら待たされる。上空で途中、機内に白煙が充満する。ソ連特派員時代のアエロフロートでの旅を思い出した。Holguinのホテルは別天地だった。 |
04月25日(日)[ナイキとNYヤンキースのキャップ〜キューバにて(3)]
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Holguinという場所の北の海岸にあるこの場所は別天地だ。命の洗濯をした感じ。 |
04月26日(月)[従軍記者は何のためにいるのか〜キューバにて(4)]
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一日中、太陽の下で本を読んでいた。必要があって第二次大戦の戦前・戦中の時期の本を読んでいる。特に戦中に書かれた日本の従軍記者の本は読んでいていろいろなことを考えさせられる。さらにはジョージ・オーウェルのBBC時代の記録まで読み進むと実に面白い。オーウェルが英国情報省管理下でやっていた戦時「報道」のなかみにに接して実に複雑な思いになる。基本的には変わっていないのだ。今回のイラク戦争に従軍した記者たちの本と読み比べると、そのことは一層明らかになる。何のために僕らは従軍するのか。従軍記者は何のためにいるのか。これらの問いをきちんと考え抜くことだ。組織と個人。フリーランスと企業ジャーナリスト。功名心と国家の名誉。ホテルの部屋に戻って、テレビをつける。ここのホテルではCNNのアメリカ版放送が見られる。ファルージャがヒドいことになっていると伝えている。「敵はモスクとか学校に武器を隠しているのだ」とか現地の米軍が会見で述べていた。ハバナのホテルではCNNのヨーロッパ版だった。だからアメリカ版とはかなり内容が違っていた。ここではアメリカ版。キューバでこんなにリアルタイムでCNNを見るのはよくないなあ、と思いながら、ついつい見てしまう。一種の職業病みたいなものか。ところでファルージャに従軍記者はいるのか? いるはずだ。 |
04月30日(金)[囚人を裸にして弄びながらポーズをとる米女性兵士]
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キューバからワシントンDCに戻ってきてから、もう3日がたってしまった。今日で4月もおしまい。僕は見ていなかったのだか、28日のCBS『60ミニッツ』で放映されたイラク人囚人の虐待写真が大きな波紋を広げている。今朝のワシントンポスト紙に、そのうちの2枚の写真だけが掲載されている。その1枚は、米女性兵士が、イラク人囚人を裸にして、そのすぐ脇で、くわえタバコでポーズをとって写真におさまっている。写真の裸のイラク人の局部にはモザイクがかかっている。裸のイラク人に強いて「人間ピラミッド」を作らせている写真もある。これらの写真を前に何を言うべきだろうか。占領した国の兵士は征服者=支配者としての地位につく。一方、破れた国の兵士は奴隷のごとく扱われる。NYタイムスも含めて、多くの米新聞は写真の掲載をひかえている。この自粛は何なんだ。カナダのマーチン首相との会談後、記者からこの写真をみたかとの質問を受けて、ブッシュ大統領は「不快だ。アメリカ国民一般の性格が反映された扱いではない」と述べていた。この発言のわずか2分前には、ブッシュ大統領は「フセインを除去したことでイラクには拷問部屋がなくなった」とか言っていた。何ということだろう。この写真の存在を知った上で、このような言葉が出てくるものだろうか。今夜のABC『ナイトライン』は、テッド・コッペルが、イラク戦争の戦没者700人余りの名前を一人一人読み上げる特別バージョン。何と、いくつかの系列局が、この番組の放映をボイコットしたという。これがアメリカの戦闘終結宣言、1年後の現実である。 |
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