「農と言える日本・通信」No.52 を搭載しました。鴨川田植え報告、中標津乗馬トレッキング参加記、ウズベキスタン・ワイン紹介などです。
また本欄の旧い記事を一部アーカイブに移しました。「 最新情報の旧いファイル1 」が97年2月〜00年2月の分、「旧いファイル2 」が00年3月〜10月の分です。←2001年6月1日
下記の旅行説明会の席上、旅行会社の方が「ウズベキスタンはワインがおいしくて、日本でそれを輸入している店が1軒だけある」と言ったのを聞き逃さなかった私は、その日のうちにインターネットで調べて、それが御殿場のオカダヤであることを突き止めて、さっそく注文したところ、早くも19日(土)には一箱届きました。これが、はっきり言って、おいしい。淡泊な味で、重い赤ワインが好きな方には物足りないかもしれませんが、和食でワインという時には最高じゃないかと思って、翌日曜日に近所の馴染みのお寿司やさんに持っていってご主人にも試して貰ったところ、「うん、これなら寿司屋で出せますね」とお墨付きを得ました。けっこう填るかもしれません。
なお、休眠中だった「麻布十番タウンガイド」を復活させ、インサイダー事務所とその周辺の飲み屋マップも改定しました。←2001年5月21日
8月25日羽田発→関西空港〜タシケント入り、26〜27日タシケント観光と「夕鶴」鑑賞、28日ウルゲンチへ移動・世界遺産「ヒヴァ」観光、29日世界遺産の街ブハラへ移動・観光、30日サマルカンドへ移動・観光、31日タシケントへ移動・帰国の途へ、9月1日関西空港帰着──という忙しい日程ですが、滅多に行く機会のないウズベキスタンを知るよい機会になると思います。
ご関心ある方は、日本通運東京旅行支店03-3573-8522/ファックス03-3573-8549石渡さんまで資料を請求して下さい。5月末が締切です。←2001年5月19日
「現在麻布では、がま池の存続問題が表面化しているようです。私のペ−ジDEEP AZABUにも地元有志の『麻布山の水系を守る会』から下記のメ−ルが届きインタ−ネットによる署名運動を展開している事を知りました。是非皆様にも一度、同会のホ−ムペ−ジをご覧いただき、趣旨に賛同なされた方には一人でも多くの方のご署名をお願い致します。
『麻布のガマ池をできれば港区に買いとって頂き、せっかくの自然を保護しながら、みんなで楽しめる公園にしたいという主旨で署名を集めています。この度、麻布山の水系を守る会としてホームページを立ち上げ、港区長宛てに署名を集めています。是非ご覧になって、ご賛同いただけ
たら、ご署名おねがいいたします。できるだけ多くの署名を集めたいので、ご家族がお知り合いの方々にも広めていただけたら幸いです。
http://www.beat4u.co.jp/gamaike/ 』
私も早速署名しました。港区の住人はもちろん、そうでない方もどんどん署名に参加してください。なおDEEP AZABUはhttp://www.246.ne.jp/~pap0456/azabu.html です。これだけ麻布にこだわったサイトも他にないので、是非ご覧下さい。←2001年5月10日
名護の海辺のリゾート・ホテルで釣り、ダイビング、ゴルフなど思い思いに過ごすのんびりした2泊3日だったが、私は2日目の午後、普天間海兵隊航空基地の代替海上基地の建設が予定されている大浦湾に舟を出して海釣りを楽しんだ。雨の中、5人で2時間かかって、見たこともなく名前も分からない熱帯魚のような魚が20尾ほど釣れて、夕食のバーベキューでムニエルにして食べたらおいしかった。
その夜は希望者8人でタクシーを1時間飛ばして那覇・国際通りの喜納昌吉&チャンプルーズのライブハウス「チャクラ」に出動。10カ月ぶりにナマの「花」に泣いて「ハイサイオジサン」で踊って、その後は喜納さんの妹さんが同じビルの6Fに最近開いたおしゃれなラウンジ・パブで、彼の延々と続く神懸かり的な"お説教"を聴いて……といういつものパターンで、深夜1時過ぎまで古酒を煽り続けた。←2001年5月8日
今年は1反は仮に全滅することがあっても無農薬・無化学肥料栽培を貫き、残りの2反余りは、稲水ゾウ虫予防のために育苗時に最小限の消毒を行い、またやむを得ない場合の農薬使用に関しては栽培委託農家の判断に任せる低農薬栽培とすることにした。本当は全部を無農薬・無化学肥料でやりたいのだが、それには土づくりから始まって大変な作業負担を地元農家にかけることになる。1人年間3万円、1反=10人で30万円というトラストでは、農家側がとうてい割に合わない。かと言って、1人3万円というのは、収量との関係でかなり過大な都会側の負担であって、それ以上のトラスト会費を取るのも無理がある。そのあたりに理想と現実のギャップがあってどうにも仕方がないのである。
しかし、どちらにしても除草剤は使わないので、これから草取りが大変。炎天下、地獄の草取りを体験したい方は、6月2〜3日と6月30日〜7月1日の2回予定されているので、どうぞご参加下さい。
写真は、膝上までの「田植え足袋」を履いた私。←2001年5月6日
薄暗い照明の下にPentiumIIクラスのパソコンが6列65台がびっしりと並び、土曜日の午後ということもあり中学生から20歳代のサラリーマン風まで若い人たちで満席。1時間200円程度(ここは盛り場の真ん中にあってちょっと高級でコーヒー飲み放題でこの値段だが、普通は1時間100円)で、超高速のADSL回線を使って思い思いにオンライン・ゲームやビデオ・チャットなどを楽しんでる。
今一番人気のオンライン・ゲームは米製の「スタークラフト」というバトル系。たくさんあるサーバの1つを選んで入ると、「現在このサーバには6万3861人がアクセスし、1987組のゲームが行われています」と表示がある(もちろん刻々と変化する)。すでに行われているゲームに「私も混ぜて」と入ってもいいし、自分で新しいゲーム空間を設定して相手を募集してもいい。新しく立ち上げると、数秒を経ずして応募者が現れて、「こんにちは」「何がこんにちは、だ。俺は389勝137敗のツワ者だ。お前なんか叩きつぶしてやる」「いやいや、お手柔らかに」と早くも火花が散る。30秒ほどで4人が揃ったところで(2人から6人までやれる)ゲーム開始。右手でマウス、左手でキーボードを目にも止まらぬ早業で操作して、それぞれに器材を選択して陣地を構築し、そこに燃料を掘って補給体制を整え、やがて頃合いを見て相手に攻撃を仕掛けるのだが、その間も素早く自分の陣地に戻って構築を進め、また別の相手からの不意打ちに対処しなければならない。何も知らない我々には、何が何だか分からないスピードだが、案内役のホアンさんは「2週間くらい毎日数時間やれば基本を覚えて、オンラインで参加できるようになりますよ」と事もなげに言う。
スタークラフトは、全世界で450万枚売れたうち韓国で300万枚売れたということで、最近は米ゲーム会社も英語版のゲーム新発売と同時に韓国語版も出して、日本語版は後回しなのだそうだが、それもそのはずで、このようなゲームをオンラインで楽しむには、2〜8メガの容量を持つADSLがくまなく普及していなければ話にならない。しかも、対戦相手を決めるまでの対話はリアルタイムの韓国語のチャットだし、ゲーム途中で例えば自分の同盟者に「10秒後に総攻撃を仕掛けるぞ」「了解」といった瞬時の会話を交わすのは英語だから、キーボードを10本指のブラインドタッチで完全に使いこなせなければとうてい参加の資格はない。日本では、ほどんどがせいぜいISDNの64キロ回線、ようやくサービスが始まったADSLの加入者は数万人で、キーボードも両手の人差し指だけでポツポツと打っている人が多いという有様です。このPC-VANでゲームを体験して、それで飽き足らない人が自宅にもADSLを導入することで(2〜8メガで月3〜4000円で使い放題、日本では1.5メガで4600円)、韓国はアッという間に超高速回線の普及度世界第2位にのし上がった訳だが、日本の場合は同じ世代の若者たちの多くはスタンドアローンのゲーム専用機に夢中になっていて、最近のゲーム機にはインターネット接続機能が付いていても肝心の回線が低速ではゲームは出来ない。これでは、10年経っても日本が韓国に追いつくことはない。
オンライン・ゲームのチャンピオン大会はしょっちゅう開かれていて、テレビの中継もある。一定の成績を収めると賞金が貰え、さらに実績を重ねると「プロ」の資格認定があるということで、小学生でも年に数百万円の賞金を稼ぐ子がたくさんいるそうで、日本なら大問題になるところだが、ゲームをやっているとパソコンやキーボードの操作はもちろん、英語や日本語も覚えてしまうし、大学によってはゲームの達人の優先入学制度を設けているので、親にしてみれば、子供が金は稼ぐし技術を身につけて大学に入れるならこんなにいいことはないと、暖かく?見守っているのだという。
韓国最大の企業「サムスン電子」は、半導体、携帯電話、オーディオ・ビデオ、家電で日本の大手電機メーカーと世界市場を競っているが、サムスン電子1社の純利益60億ドルはすでに日本の日立、東芝、松下、NEC、三菱電機、富士通、ソニーの大手7社の純利益合計を上回っているという驚くべき事実に、多くの日本人はまだ気付いていない。しかも、そのような韓国電子産業を担う次世代の人材がこのように超高速オンライン・ゲームを通じて膨大に育成されていることを思うと、日本の「ITブーム」などまるで児戯に等しいことが分かる。「日本のモノづくりパワーは21世紀に大いに花開くだろう」という私の年来の主張も大きく揺らいでしまった今回の韓国取材でした。←2001年5月5日
(1)東アジア軍事関連リンク──これは元々、96年の旧民主党結成後に政策研究集団「プロジェクト2010」を作って安保・基地問題の議論をしていたときにそのサイトに載せて、基地問題に取り組む市民団体などからも「優れたリンク集だ」と評価した貰ったのだが、同プロジェクトが終わってサイトがなくなって、そのまま行方不明になっていた。最近、また市民団体から「あれはどうなったか?」と尋ねられたので、死んだファイルを発掘して(探せば出てくるものなんですねえ)全面的に改定して、ここに入れた。
(2)棚田・里山リンク──「農と言える日本・通信」No.45の記事中にあったリンク集を若干増補して、リンク・メニューから入れるようにした。
(3)阿蘇・久住町・竹田市リンク集──同じく農通信No.40と41の記事中に埋まっていたリンクを統合し、内容を増補してリンク・メニューから入れるようにした。
(4)森林保全リンク集──「農牧的生活の探求」の中にあるリンクを改善し、リンク・メニューから直接入れるようにした。
(5)六本木男声合唱団──三枝成彰団長、小林一男指導の「六本木男声合唱団」も団員が130名ほどになり、今年は公演のお話もあちこちから。そこで小林先生が発憤してホームページを立ち上げたので、リンクに加えた。
(6)大前研一「一新塾」──相互リンクの要請があったので、「政治」の項に付け加えた。
これから順次作る予定のリンク集がいろいろありますので(アイディアはあるが時間がない)お楽しみに!←2001年4月19日
ワシントン名物のブルー・クラブとそれが脱皮したばかりのソフトシェル・クラブは今が出始め。まだ小振りですが、魚市場で生きた奴を紙袋一杯買ってきてゆでて、テーブルに新聞紙を敷き詰めて食い散らかすというワシントン・スタイルの蟹パーティが最高でした。写真は夕方の買物客で賑わうサウスイーストのシーフード・マーケット。2001年4月15日
どうせ子供だましなんじゃないのと斜に構えた気分で、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」に出かけた。ところがこれがなかなか面白くて一緒に行った友人とオジサン2人でマップを覗き込みながら「次はこれに行ってみようか」「よし、あの角を左に曲がったあたりだな」などと、時間を忘れてはまり込んだ。とりわけ中年以上の日本人にとってアメリカ映画はまこと懐かしい心象世界であって、そのへんを上手にくすぐるような仕掛けが、これでもかというほど押し寄せてくるからなのだが、それにしても、そうと分かっていてあまりに簡単に引っかかる自分に苦笑してしまった。
入ると、まずは「古き良きアメリカ」の気分を残したダウンタウンで、マリリン・モンローのそっくりさんが歩き回って記念撮影に応じている(写真がそれ)。そこでもうすっかり「気分はアメリカン」になって、さらに奥のアトラクション群に進んでいく。人気の中心は“絶叫系ライドもの”で、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではタイムマシン=デロリアンに乗ってめくるめくような時空の旅を味わうことが出来るし、「ジュラシック・パーク」や「ジョーズ」では舟に乗って危ない場面を切り抜けていくのだが、要所要所でズブ濡れにならない程度に水しぶきが降りかかって緊張感を高めてくれる。入口でビニール合羽を200円で売っていて、これは買わざるを得ないようになっている。
水と並ぶ小道具が火で、あちこちで巧みに使われる。「ウォーターワールド」「バックドラフト」では火そのものがテーマで、後者では、日本の消防法の下でよくこんなものが許可になったなと思うほど派手に化学工場が大火災を起こす。
東京ディズニーランドと比べて何よりのメリットは、大人5500円のパスを買って入れば、すべてのアトラクションをいちいち追加料金を払うことなく楽しめること。ところがディズニーのホームページを見ると、こちらも同額に改定し、4月1日からはアトラクション・フィーも廃止するというから、ディズニーがユニバーサルに合わせたのだろう。そのディズニーは9月4日に「ディズニーシー」をオープンする。テーマパークの東西両雄対決時代の開幕である。←2001年4月1日
その晩は、同組合員の1人が経営する扇温泉「扇荘」で南小国町の河津修司町長、組合員の方々、ボランティアを組織している財団法人「阿蘇グリーンストック」のリーダーである佐藤誠=熊本大学教授と山内康二専務理事、札幌から飛んできた社団法人「北海道うまの道ネットワーク協会」の後藤良忠専務理事、エル・ランチョ・グランデの企画・営業担当取締役の高橋亮さん、隣の大分県竹田市から駆けつけてくれた200年続くお菓子屋「但馬屋老舗」の板井良助さんらと大宴会を行い、野焼きによる草原の維持に馬の放牧と観光乗馬をうまく活用できないかという相談をした。
翌朝は、小雪の舞う寒さだったが、エル・ランチョ・グランデと福岡の「カナディアン・キャンプ」乗馬クラブから運んだ馬9頭を連ねて、瀬の本高原の草原を走り回った。両クラブのベテランたちも、「阿蘇の草原で自由に馬に乗れたらすばらしい」と、この構想を大いに支持し、今後とも協力して実現を図っていくことになった。
午後は南小国町で手作りパンが評判で「九州で最大の売上げを上げている喫茶店」という「林檎の樹」を訪れ、満願寺温泉の秘湯「瑞雲荘」に寄ってひと風呂浴びて、それから産山村の牧野組合のリーダーである井(い)信行=村議を訪ねて、自慢の肥後牛料理をご馳走になりながら深夜まで阿蘇草原での「馬」の可能性について語り合った。井さんは、いま千葉県知事選に出ている若井康彦さんがついこの間まで「阿蘇地域振興デザインセンター」事務局長として仕事をしていた5年間を通じて、若井さんの先生でありパートナーだった方で、「若井さんがいなくなって寂しくて……」と嘆きつつも、「24日の県知事選投票日の前日には私も千葉市まで応援に行く」と言っていた。
みなさん、千葉県知事は若井さんをよろしくお願いします。←2001年3月13日
材木町の落ち着いたたたずまいの中に、本店と支店が向かい合っていて、支店は主に東北各地の竹細工や鉄器など民具を置いている。本店は、右側が漆器や和紙、左側が陶磁、その2階が染織、奥の中庭に出ると左側に世界の手仕事の店、右側にしゃれた小さな喫茶店がある。
安比塗の盆が美しく、びっくりするほど安かったのと、樺の皮を張ったコーヒー豆入れの茶筒が気に入ったので、それらを求めてから裏の喫茶店でおいしいコーヒーを飲んで雪景色を眺めていると、賢治の生きた時代にタイムスリップしたような気分に囚われた。写真は、裏庭から見た光原社。左が喫茶店、右が世界の手仕事ショップ、正面が本店の裏側。←2001年3月9日
左の写真は「十勝森林警備隊」の記念撮影。左からスーチンドロン、高野、平林国王、石田(市職員)、平林夫人トミさん、岩村(鹿討名人・乗馬&アウトドア達人)、新井、豊島(失業者で自称牧場管理人)の面々。
3日の夕方は、市内の平林さん経営のレストラン「ランチョ・エルパソ」で、地元の若い人達を交えて、夏の「日甜文化村」での音楽イベントとモンゴル村開設の計画について話し合いが行われ、また平林さんからスーチンドロンに、ドングリ・ビールの収益金3万5000円を内モンゴルの寒害支援金として贈呈した。
4日は朝から快晴。牧場で馬に乗ったりサウナに入ったりして、夕方からは、帯広市の北隣・音更町にある高野ランドスケープの高野文彰さんの設計事務所(小学校の廃校跡)と自宅(庭にプライベートの馬場とクラブハウスがあって馬が2頭いる!)を訪れたあと、高野さんの案内で秘境・然別湖に行き、凍てつく星空の下、凍結した湖面に建てられた氷の露天風呂に入った。
脱衣所と言ったって氷の部屋。凍死するんじゃないかと思いながら裸になって、氷のトンネルを走り抜けて温泉に飛び込むと、そこは天国。氷の壁に囲まれてFRPの直径3メートルほどの円形の風呂桶が埋まっていて、岸からパイプでお湯が引き込まれている。「飲食禁止」の決まりを無視して日本酒とビールを酌み交わして混浴パーティを楽しんだ。後から若い男女3人が入ってきて、聞くと香港から来た観光客。この頃は台湾や香港からチャーター便を飛ばして北海道に来るツァー客が多いという。風呂から上がって、岸辺に建てられた、これまた壁も屋根もテーブルもカウンターもグラスも、すべて氷というバーでウォッカを飲んで仕上げ。零下20度の極寒の中で敢えて氷づくしで遊ぶという、まこと貴重な体験だった。右写真は、右から高野文彰、斎藤、高野さんのところのスタッフ、黒川の混浴風景。
5日と6日も快晴続き。朝から馬に乗っては酒を飲んで薪ストーブの前でうたた寝という天国状態が続いた。やっぱりこの雪と寒さゆえの楽しみを体験しないと北海道の本当のところは分からない。次の十勝集合はたぶん6月です。←2001年2月7日
吉津さんは、福島県の山奥の只見木材加工組合(頭文字を取って「たもかく」)を拠点に、森林保全、田舎暮らし支援、古本の回収・販売などの複合的事業を展開している、一種、宇宙人的な人物。彼が7年前に始めた「本と森の交換」システムは、われわれが要らなくなった本やCDを段ボールに詰めて送ると、定価の10%で評価して(経済、パソコンなどの専門書、一般雑誌、少女コミックなどは評価外)、その代金1670円ごとに1坪の森のオーナーとして登録されるというもの。森は要らないという人は、「交換券」を受け取って古本の購入に充てたり、現地を訪れた際の宿泊費にしたりすることも出来る。一種のエコマネーですね。古本を買いたい人は、(1)現地に行って、たぶん日本最大の古書店の6棟の店舗・倉庫を見て回る、(2)ネット販売で申し込む、(3)池袋北口の店舗「たもかく本の森」に行く──という方法がある。
たもかくのホームページは、http://www.tamokaku.com/ 。また吉津さんの無料のメールマガジン「週刊たもかく」があって、これはhttp://www.mag2.com/ から購読を申し込む。←2001年1月20日
同合唱団は、下記のように12月に約70人でディナーショーをやったが、ちゃんとしたホールでコンサートをやるのは初めて。
40人の団員の合唱10曲余りに、特別ゲスト=林真理子さんの独唱、リーダーである日本の代表的テノール=小林一男さんの独唱、団員の1人である若手ピアニスト注目No.1の横山幸雄さんのショパン独奏も交えて2時間ほどのプログラム。チケットが2000円の格安(?)ということもあり、外は雪がちらつく今年一番の寒さというのに600席がほぼ満席でした。
なぜ白石市なのかと言えば、このホワイト・キューブという「残響時間が日本で一番長い」ことで世界的に知られたすばらしいホールは、団員である建築家の堀池秀人さんが設計し、団長格である作曲家の三枝成彰が98年以来ほぼ毎月の公演をプロデュースしてきたという因縁があったのです。全員が旅費自分持ちのボランティア活動のようなものですが、ダニエル・カールさんはじめタレントや鳩山由紀夫さんら政治家など忙しい人たちが前日から乗り込んで、練習。夜9時から郊外の小原温泉(写真)の岩風呂・プール付き市営ホテルで行った大宴会には市長さんも来られて12時まで付き合って頂いて、その後も団員の2次会、3次会は延々と朝まで続いたのでした。
明けて当日は11時に会場入り、リハーサルのあと休憩して3時から公演。終了後に行われた聴衆の皆さんを交えての立食パーティでは、お世辞混じりの賞賛の言葉を浴びせられたのでした。←2001年1月14日
続いて公明党と保守党の党首が立って「森内閣を支えていきたい」と述べたが、面白いことに、一番に森を支える立場にある古賀自民党幹事長は選挙区で正月を迎えていて欠席。会場を埋めているのはほとんどが森の地元からバスでやってきた地方議員や後援会の家族連れで、ほとんど全員がカメラを持って、ほとんど確実に来年正月には別の人になっているはずの官邸の主と一生の思い出となる記念写真を撮ろうとひしめき合っていた。これこそ日本的政治の原像という感じだ。
もうちょっといろいろな人が来ているのかと思ったら、ほとんどいなくて、Jリーグの川淵三郎チェアマン、アサヒビールの樋口広太郎相談役、佐々淳行さん、それに何人かの政治記者くらいしか言葉を交わさなかった。←2001年1月1日
私はと言えば、31日18時から知人宅で親しい人々と最上の海鮮鍋パーティで盛り上がったあと、ほろ酔い加減で21時45分から上野文化会館での井上道義演出&指揮の東京都交響楽団の「カウントダウン・コンサート」に行って、林英哲の壮烈な和太鼓を聴きながら世紀を跨いで、けっこう満足しているところです。
今は元旦の朝4時で、9時には起きて11時からの首相官邸年賀式に顔を出す予定。官邸なんぞ行きたいわけではないですが、せっかく森総理からお誘いがあったので、どういうものか一度くらい見に行くのもいいのではないかと思って、デジカメぶら下げて出かけることにします。ではお休みなさい。←2001年1月1日
写真は当日終了後のパーティで(前列右から鳩山由紀夫=民主党、“女性ファン”から贈られた花束を持ってニヤケる高野、江田五月=民主党、わたせせいぞう=イラストレーター、緒方靖夫=共産党、その上の中列は三枝成彰=作曲家、後列左端はペマ・ギャルボ=チベット文化研究所代表の各氏)。1月14日には宮城県白石市のホールで公演を行う。←2000年12月22日
ふくべは「瓢」と書く。干瓢(かんぴょう)の瓢、瓢箪(ひょうたん)の瓢のですよね。夏の夕方に白い花を開く夕顔は、ウリ科の蔓性一年草で、大きな実をつける。その厚い外皮を細長く割いて乾燥させたのが干瓢。そうしないで、そのまま乾燥させて細工をしたり絵付けをしたりするのが瓢(ふくべ細工)。瓢箪は同じ夕顔でも変種で、あのヒョロリとした形になるが、瓢は達磨のような形をして、小さめのものもあるけれども、大きいのは抱えるほど大きくて、(お茶事や日常用の)炭入れ、花器、小物入れ、魔除けのお面などに加工される。江戸中期からこの一帯で広く栽培されている。←2000年11月10日
11月4日、我が草ラグビーチーム「ピンク・エレファンツ」は大阪遠征を敢行し、大阪医科大学心臓外科の森本大成先生が代表を務める「ハングオーバーズ」と試合した。このチームは、大阪医大ラグビー部OBである森本さんが、当初、OB中心のチームを作ろうとしたが巧く事が運ばず、近くの居酒屋を拠点に広く呼びかけて文字通り草チームとして1年前に結成した。それに元ピンクの主力選手の1人である杉山君が大阪転勤となってたまたま加わったという縁で、このほど交流が実現した。13時にピンクの25名ほどが高槻市駅前に集合、14時半頃から試合をして、銭湯に寄って、まだ明るい内からその居酒屋で大宴会。2次会、3次会と大変な騒ぎだった。
ハングオーバーズ側には、森本さんが何かと支援している聴覚障害者のラグビーチームから4人が出場し、3人は宴会にも参加した。同様のチームは神奈川や青森などにもあって、最近は全国大会も行われていて、彼らとしてはその中から「日本代表チーム」を作ってニュージーランドに遠征するのが夢だそうだ。ニュージーランドはさすが先進国で、障害者のラグビーもちゃんとシステム化されていて、聴覚障害者の場合はレフリーの笛の音が聞こえないので、レフリーがタオルを投げたり、笛に合わせて観客が一斉にサインを掲げたりするのだという。「ピンクさんはマスコミ関係者が多いので、是非彼らを支援してください」と言われて、あれだけパラリンピックをテレビで見ていながら障害者のラグビーの現状に思い至らなかった自分を恥じたのであった。大阪までラグビーをやりに来て、来た甲斐があったと思った。
翌日、東京から行ったメンバーは、花園で同志社大学の試合を見て、そのあと京都で宴会をやって帰るとか言っていたが、私は5日まで京都文化博物館で開かれていた「京の匠・展」が見たくて、朝6時半に宿を出て京都に出て、南禅寺周辺を散策した後(紅葉はまだでした)、その展覧会を見て大いに楽しんで、河原町三条から四条あたりの私の定番ぶらつきコース(いずれ本サイトの「道具」のページで詳細を発表します)を歩き、三条大橋のたもとの「内藤商店」で棕櫚の刷毛の類を買って帰途に着いた。
内藤商店は、棕櫚や笹竹の箒や刷毛だけを置いていて、何の宣伝もしていないどころか店に商店名の看板も出していないようなところだが、奥さんによると「まだ200年にはなっていないんですけど、まあ昔から頑固にこういうことをしていて、この頃はだんだん材料も少なくなって職人もいなくなってねえ、でも続けられるだけは続けようと思って頑張っていますので」ということで、是非皆さん京都に行ったら寄って下さい。今回私が求めたのは、黒竹の柄の付いて銅線のキリリとした縛りが美しい机の上を履くような小帚、パソコンのキーボードを掃除したりするのに一番という刷毛、コップや灰皿を洗うのにはこれがいいという細身の刷毛の3点、合わせて5400円。「50年経っても使えますので」と言われたが、私、そんなに生きないんですよね。←2000年11月5日
TBSの報道記者、元モスクワ特派員でいまは「ニュース23」のデスクをやっている金平茂紀さんからお便りがあり、週刊の個人メルマガ「金平茂紀のNEWS23デスク日誌」を出し始めたというので、早速購読を申し込んだ。ニュース23のさしさわりのない程度(?)の裏話が読める。サンプル一瞥と申し込みはパルクのサイトから(
http://www.parco.co.jp/magazines/ )。←2000年11月3日
われわれが年に4〜5回訪れる帯広の「十勝自然王国」のヌシである平林英明さんが経営する超有名レストラン「ランチョ・エルパソ」のホームページが全面リニューアルされた。必見です。
http://www.elpaso.co.jp/ ←2000年11月1日