本通信No.21、23、25でフォローしてきた「ドングリ・ビール論争」ですが、北海道新聞などに登場して「リスがかわいそう」などと批判した学者の先生や、そういう意見を誌面に載せた同紙の担当記者などに対して、十勝渓流塾世話人の十勝在住デザイナー=吉田政勝さんが接触して「もっと議論を深化させましょう」と呼びかけたにもかかわらず、みんな逃げ腰だったり、黙りを決め込んだり、せいぜいが「新聞に引用された自分の意見は真意を正しく伝えていない」と弁解したりして(それなら真意を改めてちゃんと述べればいいじゃないですか)、無責任な態度をとっています。
こんなんで記者や学者という商売が成り立つのはうらやましいですよ。私などが公のメディアで例えば政治家に対してイチャモンをつけたりするときは、一応どんな反論が来ても受けて立つ覚悟はしていて、そうでなければもう来週から使ってもらえないですからね。森首相じゃないけれど、「言葉」は命がけで発しないといけません。
そういう訳で、私たちとしては論争はひとまず決着がついたという判断のもと、「ドングリ・ビール」は断固として作り続けることにして、近く、帯広どんぐり銀行、十勝渓流塾、(株)帯広ビールの連名で次のような“続行宣言”を出すことにしています。
昨秋に私たちが作った『どんぐりビール』は、一部の方々から「自然破壊だ」「リスの餌を奪うなんて」と、思わぬ批判を受けましたが、私たちは今後もこのビールを作り、その益金の一部をオホーツク海に魚を呼び戻すために川の上流に植林をしている紋別市の市民運動や、昨冬の厳しい寒波のため食糧不足でたくさんの動物が死んだモンゴル国で緑化運動に取り組むNGOなどに贈る活動を続けることにしました。
というのも、新聞紙上やEメールを通じたこの「どんぐり論争」やその後の私たちの調査で、
(1)奥深い山の中のどんぐりは、確かにクマ、シカ、リスの大事な食糧になっているけれども、そういうところは人が入って行けない、
(2)人里近い林や公園など開けた場所では、リスやネズミがどんぐりを餌にするが、それら小動物はハヤブサ、フクロウ、キツネなどの捕食者から身を隠すものがない場所で地面に落ちたどんぐりを拾い集めることはまず考えられず、リスは樹上になっている実を食べるか、人の入りにくい藪の中で実を広い、ネズミの場合はもっぱら藪の中で臭いを頼りに実を集める、
(3)そのため、平地、境内や公園、車の通らない道などに落ちたどんぐりはなかなかなくならず、そのまま朽ちるのがほとんどである、
──ことが明らかになったからです。つまり、私たちが拾いやすい場所で拾い集めるどんぐりは、動物たちの餌にもならない剰余物であり、それを採取したところで自然の生態系に影響を及ぼすことはまず考えられないということです。
しかも、私たちが前回、ビール作りに使ったどんぐりは、わずか30キロ。写真を見て頂ければ分かりますが、皮を取り渋を抜いてこれから粉砕器にかける前の状態で、たったバケツ2杯です。これでリスが死ぬとかいうのは、批判者の方々には申し訳ないですが、まったくのお笑い種と言えるでしょう。現にその後、私たちのところには、ある公園の管理人の方から、公園を掃除したら130キロもどんぐりが集まって、ゴミとして燃やすしかないのだが、ビール作りに活かしてくれませんかというお話があり、せっかくなのでそのうち30キロを頂いて、いま新たに仕込みをしているところです(写真はその時のものです)。
山奥の自然林は手を着けずにそのまま保存した方がいいに決まっていますが、里山や都市近郊の林や公園などは、すでに人の手が入った、畑や田んぼと同様の人工的自然であり、そこでは人が上手に関わってその恵みを分けてもらいながら管理していくことが必要で、それこそが「自然と人間の共生」の1つの望ましい形であると、私たちは考えます。
そういうわけで、私たちは『どんぐりビール』を作り続けます。具体的には、以下のようにこの活動を進めますので、心ある全国の皆さんのご協力をお願いします。
●どんぐり集め
(1)全国の人々にどんぐり集めを呼びかける。
(2)子供が採取する場合は、家族もしくは大人と一緒に行う。
(3)採取する場所は、、上記の趣旨に従って「人が入りやすい場所」に限り、しかも、アイヌ人のしきたりに学んで、「1つは自分に、1つは動物たちに、もう1つは神様に」という気持ちで、3つに1つを拾う。
(4)どんぐりの買い取り代金は1キロ100円とする。遠くから送って頂く場合、恐縮ながら送料は負担して頂く。
(5)どんぐりの品質の査定と選別は当方に任せて頂く。
●ビール作り
(1)年間の製造量を2000リットル(500ミリリットル瓶4000本)とする。従って使用するどんぐりの総量は150キロとなる。
(2)ビールの品質・飲み味はさらに改善を図る。
(3)500ミリリットル瓶を1本700円で販売し、その益金のうち1本につき50円を自然保護のために寄付する。
●寄付先
(1)オホーツク魚の植樹祭実行委員会(会長=藤田孝太郎紋別市議)──すでに上記の趣旨に賛成して寄付を受け入れて頂くことで同意を得ている。
(2)モンゴルの自然保護団体──高野が7月にモンゴルを訪問した際に現地の事情を確かめた上で決定する。▲
●アイヌ人も賛成してくれているという平林英明さん
どんぐりビール続行宣言案、ありがとうございます。仲間に回して了解をとりました。確認の意味で、アイヌの市会議員にも「どんぐり集め(3)」のところを聞いて見ました。アイヌという言葉を含めて問題はないということです。よい事だと賛成してくれました。このあと、紋別の団体に文書を送って、返事が来しだい報道関係に発表します。
▼上の「どんぐりビール続行宣言の案は、先日、帯広滞在中に平林さんが中心になって議論し、その趣旨を私がまとめたものです。ちなみに、JR東日本のPR誌『トランヴェール』最新号が「大人の森林遊学」という特集をしていて、西口親雄さんという著名な森林学者(『ブナの森を楽しむ』=岩波新書などの著者)が作った「(東北地方の)ブナの森の食物連鎖」の図が載っていますが、それを見ても、樹上のミズナラのドングリやブナの実を食べるのはツキノワグマ、ブナの実を食べるのはリス、地上に落ちたブナの実やドングリを食べるのはアカネズミとヒメネズミ、そのリスを狙うのはテン、アカネズミやヒメネズミを狙うのはオオタカ、フクロウ、キツネ、テン──という関係になっていて、リスはあまりドングリと関係ないようです。
●春の十勝は最高でしたか?という吉田政勝さんの「モモの仲間日記」(抄)
《25日》
午前9時30分に平林さんの携帯に電話を入れると「高野さん今着きました」との返事。私も渓流塾ハウスにかけつけたいが、まず遊ぶためには目の前の仕事を片付けなくてはならない。夕方「エルパソ」で食事とのことで7時にテーブルに着いた。初対面の生江さんがいて、挨拶と名刺を渡す。よしない話しに花が咲き、9時30分に事務所に戻り、仕事のつづきを進める。
10時にTBS系のラジオを入れると「アクセス」が始まっていた。二木啓孝さんが出ている。高野さんらがほろ酔い気分で拓成の牧場にいるが、二木さんはラジオで「日の出町の産廃施設」のバトルを展開している。
《26日》
5時に起きてパソコンに向かい仕事をする。9時30分に帯広空港に毎日新聞の近藤憲明さんを迎えにゆく。車中で会話を交しながら帯広郊外の拓成にたどりつく。ややして「エルパソ」の大橋マネージャーの指導のもとに、ハウス裏の池で釣りをする。その間、生江さんと私は林の中でやや育ちすぎたアイヌネギ(行者ニンニク)を摘んだ。池に戻ると、ボートで近藤さんが30センチほどのニジマスをあげ、ロックの中野シゲルさんがニジマスを手にハウスに戻った。高野さんだけがボウズらしかった。釣果の4匹のニジマスを生江さんがさばいた。アイヌネギは醤油漬けと酢味噌和えが皿に盛られる。チャパテイにキャベツを巻いて昼食宴会となる。
その後、ドングリビールの仕込みを工場で見学する。バケツ2杯のドングリの原料と大麦1杯分が粉砕機にかけられた。前回もほぼ同じ量だ。そのバケツ2杯を見つめながら「ドングリビールを作ると森を壊す。リスの餌なくなる」と反対派が批判したと思うとたまげてしまう。ドングリビール反対派にこの量と製造課程の現場を見せてあげたいものだ。
夕方、伊藤さんの別荘(元は平林さんの自宅だったのを伊藤さんに譲ったもの)に着いて新装なった部屋を見学した。6時のニュースで森総理の「日本は天皇を中心とした神の国」釈明会見の様子が報道されていた。不始末の小細工が鼻につくのは私だけだろうか。森総理の「神の国」発言をふくめて、決して選挙を直前にしてプラスイメージではない。そう考えながら、肉ジャガなどを食べていると、講談社の浅井健太郎さんがレンタカーでたどり着いた。私は会議にゆく時間がせまってきたので、これから始まる楽しい宴会の場から去る寂しさを覚えつつ帰る。
《27日》
遊ぶ時間をつくるために、朝から必死で仕事を仕上げて時計を見てあわてる。拓成に着き、シゲルさんと二木ミカちゃんをわがアコードに乗せて出発だ(ちなみにミカちゃんは二木啓孝さんとは関係ありません)。後続は高野さんらがついてくる。
JA上芽室の売店でシゲルさんが飲み物を買うので、寄ると柏本理江が買い物をしている。「どこかへ行くの」と聞いてきたので「サホロのジャック及川で乗馬するよ」と応えると、「及川さんに言っといて。柏本怒っていたって。来るって来ないじゃないかって」とりあえず、うんうんとうなずく。柏本は地元の十勝毎日新聞にいた人で、あの和多田進さんを勝毎の社長に紹介し、和多田さんが編集委員をひきうけた経緯があるらしい。理江さんのダンナが拓成で伊沢牧場を開いている学さんだ。この伊沢さんと平林さんは仲が悪い。馬が逃げて畑を荒したとか、廃校を譲り受けたときの約束がどうとか、あるらしい。価値観が似ていても感覚や趣向が違って反目することもある。昼時間で新得の「そばの館」でソバを食う。3キロ過ぎたらジャック及川の乗馬コースだ。
狩勝高原での緑の光景が素晴しい。札幌から「北海道うまの道ネットワーク」の後藤良忠さんが先に到着していた。さわやかな初夏の風を感じていたら、とんでもないことが起きた。馬に鞍をつけて慣らしの助走をしていたら、及川さんの人生のパートナーでもある若奥様ベティが、跳ねる馬から落ちたのだ。不運にその位置に大きな石があった。顔面を打ちつけドスッという鈍い音がした。私は戦慄で背中に寒気がした。頬に血が見える。及川さんが、飛んでいって馬の手綱を引いて「大丈夫か」と叫んだ。なんと「いいから、私がやるから」と彼女は馬を指さして気丈に応えたのだ。病院へ行ったほうがいい、と誰かが言う。しかし彼女はその暴れ馬に再び乗ると、緑の木立の中を駆けていった。カウボーイの妻ベティのふるまいに心底たまげた。
高野、後藤、シゲルさんが1時間の森のトレッキングに向かう。私たちがベランダの椅子に座り雑談を交していると、ガーゼを頬にはったベティが缶ジュースを持ってきた。「あの馬、以前に乗った人が扱い悪かったせいか、いやな記憶があるのかもしれない」という。来たばかりの馬らしい。及川さんは「発情期だろう」と笑っていた。
トレッキングの後は、清水温泉「フロイデ」に向かう。看板を見て、ピンク・フロイデ、とかフロがイイデとかシャレて爆笑していると看板の「右折」の文字を見落としてしまい途中で引き返した。看板は冷静に見なければならない。温泉のあと、音更町の万年で行われている高野ランドスケープと象設計が東京から十勝に移住して10周年記念のパーティーに行く。高野文彰氏と挨拶を交し、ごちそうに舌づつみを打つ。十勝の文化人が集合だ。緑の芝生での集合写真を撮ったり、十勝毎日新聞の林社長と高野、近藤、後藤の雑談もあった。かっこいいのは、やはり高野文彰さんの障害乗馬の披露だった。
その後、「エルパソ」に向かい喉をうるおす。この日、月に2回のジャズバンド「アド」の演奏だった。浅倉さんのトランペットに感動する。彼は東京で活躍していたジャズマンだ。肺と胃の手術をしている。そのせいか10歳は老けて見えるが63歳だという。不自由な指で限られた音を出す、そのジャズ魂に感動する。
おひらきになり、車は拓成に向かう。同乗した近藤さんが「東京に来たら、二木さんとおもてなしします。ぜひ連絡を」と近藤さんが言ってくれた。鴨川も東京もそのうち行かねば、と思います。拓成のハウスに戻り、酒にベーコンの肴で話がはずむ。高野さんは先に眠っている。乗馬と温泉とご馳走とジャズと酒が心地よい眠り薬になっているのだろう。夜空のきらめきもない。明日は雨か。浅井さんと近藤さんが見送ってくれる。手を振ってお別れだ。十勝人と東京人の交流。有意義な3日間だった。遊んだ後は、また経済の日常が待っている。再会がたのしみだ。
▼今回も我々を面倒見てくれた十勝のデザイナー&エッセイスト吉田政勝さんの「モモの仲間日記」を(相当長文なので勝手ながら若干要約して)紹介しました。全文が欲しい方は吉田さんにメールを(masaka@crocus.ocn.ne.jp)。
●行者ニンニク採集に感動した生江有二さん
吉田政勝様。3日間、いろいろと迷惑かけました。今年に入って、日曜日も含め3日しか休んでおらず、思い切って出かけてよかった。楽しい十勝の休暇でした。なかでも吉田さん指導による行者ニンニク採集は、以前から是非、採ってみたいと思っていたので、非常に嬉しかった。生えているのを見つければ、これほど簡単に採集できる山菜もないことを知り、来年が楽しみです。馬は「こわおもしろい」というところです。しかし、なんとか乗った後は倍以上に馬がかわいく感じられ、やみつきになりそう。
本当に皆さんが氣をつかってくれて、楽しい遊びができました。しかし、次回からはワークキャンプ風の滞在がいいと思います。草むしりや柵を作ったり、和田さんとこの牧場でバラ線を張ったり、馬小屋掃除をしたり。都会人はそんなことが嬉しくて仕方がない。そうすれば、もっとビールもうまいというものです。
▼生江さんは懐かしの『平凡パンチ』全盛時代からのライターであり、またTV朝日「トゥナイト」で15年だか20年だかリポーターを務めてきましたが、3月一杯で同番組を降りて、ホッとしての久々の休暇だったようです。牧場の我々のログハウスの周りには食べられる草が一杯で、ビールを飲みながら天ぷらをして、足りなくなると入れ替わり立ち替わり外に行って何か葉っぱを採ってきて食べるというふうでした。行者ニンニクはちょっと遅くて育ちすぎでしたが、山アスパラがおいしかった。「都会人はワークキャンプ風が嬉しい」というのはそうかもしれない。鴨川と同様、帯広でも、今回は柵作りとサウナ小屋の補修とか、“作業”プログラムを設定したほうがいいんじゃないでしょうか。(写真は、牧場の林の中を流れる小川で、周りは山野草の宝庫。この手前に虹鱒釣りの池がある)
●やはり十勝はすばらしいという毎日新聞の近藤憲明さん
高野孟様。どうもお疲れさまでした。楽しい3日間を過ごせました。いつもながら大変お世話になり、感謝にたえません。ありがとうございました。5月の十勝は自然にも感動しましたが、渓流塾の仲間たちの暖かいもてなしには胸が熱くなります。
シカ肉を食べながら、吉田さんの話題を酒の肴にしたときは大いに盛り上がりましたね。欠席裁判のすさまじさの一端を、吉田さんにはメールで伝えておきました。8月の高野ツアーにも参加しようと、今から狙っています。
▼北海道人は全員が暴走族で、平林さんなど道がカンカンに凍った冬でも時速100キロで酔っぱらい運転をして畑に落ちたりしてますが、吉田さんは夏でも慎重な運転をする希有の存在。鹿討ち名人のガンちゃんがシカ肉を持って小屋を訪れてみんなで昼間から一杯飲んだときに、ロックの仲野茂が面白おかしくそのことを話題にして盛り上がったのでした。
●理屈抜きで楽しかったと講談社の浅井健太郎さん
理屈ぬきで楽しい日々を過ごすことができました。自然のなかで暮らす幸せを感じ、自分も、もうすこし東京から離れて住もうかなどと考えております。
▼浅井さんは「フライデー」から今はもう少し暇なセクションに移った編集者。近藤さんの友達で今回初参加。千歳からレンタカーで帯広入りし、帰りは襟裳岬に回って一泊して帰ったようです。
●帯広で障害者乗馬を企画している篠塚恭一さん
こんにちわ。先週末は鴨川の草取り義務を果たせずすみません。来月は伺います。今週末は8月の障害者乗馬ツァー企画の打合せをかね、大阪のロイヤルヒーリング乗馬センター植田さんと帯広へ行きます。渓流塾の丸太小屋を借りますので御了解ください。
▼コムスン・トラベル代表の篠塚さんは、障害者・高齢者をケア付きでどんどん野外に旅行に連れ出そうというツァー企画を長年手がけていて、8月には帯広で障害者乗馬ヒーリングツァーを実現すべく計画中です。鴨川で農芸ヒーリングというのもいいですね。篠塚さんらがやっている旅行はじめ様々の活動に関心がある方はhttp://aelclub.netをご覧下さい。
●帯広に行き損なった日刊現代の二木啓孝記者
農通信拝受。小生、こまごまとした仕事に時間を取られて帯広が遠くなってしまいました。だんだん取り残されて行く寂しさを持ちつつ拝読しました。やっぱいいですね。50歳にもなって、その日暮らし的な仕事をしていても仕方がないだろうと思っていますが貧乏性と言うか何と言うか。
大橋巨泉の『人生の選択』をパラパラと読んでいて、「セミリタイア論もなかなかいいな」と。巨泉の自信家ぶりは鼻持ちならないイヤミですが、「定年後は余生ではない。早くリタイアして遊ぶのが人生とだ」と言うのは納得です(巨泉は最近とみにアンチ自民が強まり、週刊現代のコラムでも厳しいことを書いています)。大兄の「半農半ジャ(ジャーナリスト)」も、いい人生に見えます。で、私はこのまま定年までドタバタで行くんでしょうか。
10日発売の月刊『文芸春秋』で、「森とリクルート」を書きました(ペンネームですが)。リクルート事件から12年。あのころ気になっていたこと(政界ルートでは一番先に出てきた森がスーッと消えていった経緯)を、もう一度検証しようということで、当時の関係者(リクルートの役員、被告)に再取材したものです。まぁ、びっくりするような新事実はありませんが、森の政治家としてと言うより人間としての「資質」がよく見えた取材でした。読んでやってください。じゃ。
▼二木さんは初期からの帯広常連メンバーで、もう3年前になりますか、大学中退気味でブラブラしていた娘さんを連れて行ったら彼女が帯広を気に入ってしまい、平林さんの「ランチョ・エルパソ」でしばらくウェイトレスのバイトをやっているうちに、帰りに寄る近所の銭湯「パール温泉」でいつも顔を合わせる「北海道ホテル」の従業員といい仲になり、やがて結婚して、今では帯広に孫がいる「おじいさん」になってしまいました。そうねえ、いつまでも切った張ったの事件を追いかけていてもツライかもしれない。十勝原野を孫と一緒に馬で走るような暮らしを考えたら?
●改めて農業の大変さを実感した福田桂子さん
過日は鴨川で大変お世話様になりました。改めて農業の大変さを体感いたしました。心配しておりました腰痛もなく、今はなんだかとっても爽やかな気持ちです。早く雨が降って私達の大事な大豆ちゃんやおいもチャンがすくすくと成長して欲しく思われます。
▼福田さんはピアニストで、昨年のモンゴル・オペラ鑑賞ツァーに加わった機縁で棚田・大豆トラストの会員となり、今回鴨川の農作業に初参加。故郷が大分で、「荒城の月」で知られる竹田市でも「自然王国」を建国したいと夢見ています。▲