農と言える日本・通信 No.39  2000-11-28      高野 孟

●「サンデー・プロジェクト」をお休みしている間に……

 11月19日は鴨川で大豆畑の収穫、26日は帯広で牧場生活というわけで、2週続けて「サンデー・プロジェクト」をお休みしている間に加藤紘一の反乱が敢えなく潰れて、本通信読者を含む皆さんから「お前がちゃんと仕事をしないからこんなことになるんだ」とお叱りを頂きましたが、あんな潰れ方をするなら加藤は初めからその程度の人物だったということで、どうしようもないことです。いずれにせよ、加藤政局などは20世紀の惰性で起きていることで、他方、私の帯広・鴨川での探求は私自身の21世紀戦略に関わることなのですから、どちらが大事かは自明です。

●今年最後の鴨川集合は12月16〜17日です!

 前回11月の鴨川集合は、大豆畑の収穫をする予定でしたが、まだ完熟状態に鳴っていなかったので、ごく一部を収穫しただけで土曜日の作業は終わり、日曜日の午前には主として山賊小屋脇の杉・檜林の伐採・整備を行いました。

 次回の集合は12月16日(土)〜17日(日)で、恐らく現地側でそれまでに収穫を終えている大豆の「選別作業」が中心になります。採り入れよりもこの選別が大変な作業なのだそうで、特にトラスト会員の皆さんは、採ったあとにどんな作業を経て豆になったり味噌になったりするのかを是非体験していただきたいと思います。たくさんの会員の方々が来て、今年の取り分を持ち帰れば、それだけ発送の手間と費用も省けます。なお、来年に入って今年の豆で味噌を仕込むプロセスも、会員の方々に参加して貰おうと考えており、近く日程などを発表します。

 今年最後の集合になるので、土曜日の夜は忘年会ということで、じっくりと20世紀を野辺送りしたいと思います。例によって直接現地に参加申し込みをして下さい。

●次の帯広集合は2月3〜5日です!

 11月の帯広集合は、東京から喜田さんと高野が、大阪から内モンゴル人のスーチンドロンさんが、札幌から後藤良忠さんが、そして特別参加で中標津の佐々木譲さん(推理小説作家)とその友人の瀬波秀人さんなどが集まり、26日(日)の夕方に「日甜・研究と文化村」構想の講演と討論の会を開きました。その様子は、下記の報告(「乗馬ライフ」2001年2月号向けの高野連載コラムの原稿)をご覧下さい。

 次の帯広集合は2月3日(土)〜5日(月)で、厳寒の十勝で馬やスノーモービル、スキー、そして温泉を楽しみつつ、「日甜・研究と文化村」づくりの第一歩として来年夏に日甜敷地でモンゴル・ゲル村&レストランを開設して、モンゴルやアイヌ、それに帯広現地にたくさんある音楽グループとのコラボレーションをベースにした「2001年“北方圏”音楽祭」を開催する計画に向けて実行委員会をスタートさせる予定です。遊びたい人は遊ぶ、この日甜プロジェクトに興味がある人はそちらにも首を突っ込んで貰う──といった感じの日程になると思います。今回大阪から参加したスーチンドロンさんも、企画のコアとなる人物として、2月に再来することになります。なお公式日程は5日までですが、高野は6日まで牧場に滞在して、馬に乗ったり豚の世話を手伝ったりする予定です。参加希望の方は、3日羽田発の朝第1便と5日もしくは6日の帯広発最終便を早割で予約することをお勧めします。

[十勝森林警備隊“馬”日記=「乗馬ライフ」2月号原稿──同誌をご購読下さい!]

 帯広市の中心部に、大正8年創業の北海道有数の名門企業「日本甜菜製糖(日甜)」の旧本社・工場の約60ヘクタールに及ぶ広大な敷地がある。
 今は本社は東京にあり、主力工場も隣の芽室町ほかに移って、あまり有効に活用されているとは言えないその敷地を、同社と帯広市民のコラボレーション(協働作業)で、北方から日本全国そして世界に向けた文化的な発信基地にすることは出来ないかということで、2年ほど前からわれわれ「十勝渓流塾」のメンバーを中心に、六花亭の小田豊社長や、10年前に東京から会社ごと十勝に引っ越してきて国際的に活躍している景観設計家の高野文彰=高野ランドスケープ社長など、いろいろな人たちが集って議論を重ねてきた。しかし、いつまで内輪でやっていても仕方がないので、11月26日に十勝渓流塾の主催、日甜ほか後援で、その敷地内にある日甜ビート資料館で、「夢の十勝/日甜・研究と文化村構想を語る会」と題した公開の講演と討論の夕べを催した。

 砂糖と言えばサトウキビから出来ると思い込んでいる人も少なくないが、実は世界の砂糖消費の30%、日本のそれの25%は甜菜から作られている。甜菜は英語でビートで、俗に砂糖大根とも呼ばれるけれども、大根よりもむしろカブに近い野菜で、その根から砂糖を抽出する。熱帯・亜熱帯の途上国からのサトウキビによる砂糖の供給不安定に悩んでいたドイツなど大陸欧州で19世紀初めからさかんに栽培・製造されるようになり、日本でもそれを真似て明治早々から何度も事業化が試みられながら技術の未熟で挫折した(いま札幌の名所となっている「サッポロビール園」も明治21年に道の援助で出来た札幌精糖工場が失敗に終わったあとをビール工場に転用したところだそうだ)。ようやく大正8年になって、十勝の地に旧日甜と北海道精糖が設立され、やがて両社が合併して今日に至ったのが日甜というわけである。

 そういう北海道の名門中の名門企業の旧本社だから、市のど真ん中だというのにむやみに広くて、一時はゴルフ場にしていたという草地や、水量豊かな小川が流れる広葉樹の森がそのまま残っている中に、今は主に研究所として使われている事務所棟、大正ロマン風和洋折衷建築様式のクラブハウス、高い塔のある工場跡、石造りのクラシックな倉庫、簡素だが小ぎれいな社宅などが点在している、それら全体が一個の文化財と言えるような今時まことに貴重な空間なのである。

 日甜の会社としては、経営効率だけ考えれば、一括売却するとか、商業地や住宅地として再開発するとかしたほうがいいに決まっている。しかし、発祥の地であるというだけでなく一個のまとまった環境空間でもあるこの地をそのように処分するには忍びないということなのだろう、十勝きっての“夢追い人”である渓流塾代表の平林英明さんらにその活用法について相談を持ちかけたのである。

 いろいろ議論してきて、みんなの共通認識となっているのは、20世紀型の自然を壊す開発でなく、21世紀型の自然を生かす活用法を見いだそうということである。北海道の大地に育まれて歴史を刻んできた日甜の元本拠地であり、それ自体が市街地の中にある自然と人間の共生空間であるという特徴を活かさない手はない。すぐに浮かんだのは、森の中に小川が流れる辺りを「ほたるの里」にしようというアイデアで、やがてそれを中心にその一帯全部を「ビオトープ」空間として、市民の自由な参加で育てていこうということになった。森林管理の専門家も議論に加わって「この森はすばらしい」と太鼓判を押した。

 文化発信という面では、最初は、ポール・マッカートニーが故郷の出身中学校の廃校跡に設立した「舞台芸術学院」を誘致できないかとか、それに似たものを設立したいとか、それこそ夢のようなことが語られていたが、そういう大きな資本が必要なことを初めから目指すのでなく、市民が自分たちでコツコツと積み上げていけるようなことを考えようということになって、むしろ21世紀的なライフスタイルとしてモンゴルの遊牧民のテントである「ゲル」(中国風には「パオ」)の村を作って、そこでモンゴルやアイヌのミュージシャンはじめ、帯広地元にたくさんあるセミプロやアマの音楽グループや、帯広と関わりが深くモンゴルにも何度も行っているサックス奏者=坂田明さん(実は平林さんの牧場内に別荘小屋を持っている)などが、ワークショップを開きながら北方圏独自の新しい音楽を創造していくのが面白いだろうという話が盛り上がってきた。

 ゲル村があって、そこでミュージシャンたちやいろいろな人たちが泊まり込んでコラボレーションを展開するとなると、食べるのはもちろん究極のヘルシーフードであるモンゴル料理ということになるし、その周りでは当然、馬を放牧して自由に乗り回したり、「馬乳酒」を作ったりすることになる。そこから、自動車は入口の駐車場までで、敷地内の交通機関は馬、馬車、自転車に限定しようという考えも出されて支持を得た。

 そこで、26日の夢の十勝討論会には、内モンゴル出身で大阪市内でモンゴル居酒屋を経営するスーチンドロンさんを特別に招いて、彼が調理したモンゴル風ピロシキと、日本の酒造会社が開発した馬乳酒を賞味しながら、「北海道の風土、空気はモンゴルとそっくりで驚いた」という彼の話を聞いた。また講演に立った私は、「北海道の人たちは、北海道は“開発が遅れているから東京からもっと補助金を貰わないと”とまだ思っているが、それは20世紀的価値観であり、逆に“自然がたくさん残っているというのは21世紀に委ねるべき何より貴重な財産である”と捉えれば、一周遅れの先頭ランナーのようなことになって、日本が変わるきっかけを作り出すことができるのではないか」という趣旨のことを語った。

 50人ほどが入る小さな会場には、これまでの議論の参加者だけでなく一般市民、農業者、学者、学生、それに日甜の幹部などが詰めかけた。その中には、本誌前号の「十勝渓流塾」の紹介記事を見て「こういうことを我々も始めたい」と思ったという中標津在住の推理小説作家=佐々木譲さんとその友人の酪農家=瀬波秀人さんの姿もあった。彼らは中標津の雄大な自然を生かして乗馬トレッキングのルートを開発し、観光乗馬の事業を興したいと考えていて、翌日にはリバティファームを訪れて一緒に馬に乗りながら我々と語り合ったのだった。
 十勝には道内のいろいろな“夢”が集まってくるのである。▲

●12月初めに竹田市に行ってきます!

 今年初めにモンゴル旅行仲間の主だったメンバーで大分県の湯布院に泊まりに行った機会に、滝廉太郎の「荒城の月」で知られた竹田市を訪れ、老舗の菓子舗「但馬屋」のご主人と出会ったのが縁で、その後、十勝や鴨川と同じような趣旨で、(1)歴史と文化の街=竹田市、(2)その近郊の先進的な地域営農の実験を展開して全国的に注目を集めている「九重野地区」の農村部、さらには(3)県境を超えた向こう側の阿蘇の自然を守る「阿蘇グリーンストック」の運動、(4)この一帯の乗馬クラブ──などの要素を結びつけた面白い都市と農村の交流プロジェクトが組めないかという話が起こっています。

 それで12月初めに何人かで訪れ、竹田市とその周辺の農村を巡り、話題の黒川温泉に泊まって地元の方々と懇談して来ることになりました。何か目鼻が立ったら、また本通信で報告します。当面、3月24日(土)〜25日(日)に今年も500人規模のボランティアを集めて行う「野焼き」に参加者を募ることになるので、ご関心ある方は今から日程を確保してください。●