農と言える日本・通信 No.41  2000-12-11      高野 孟

●[九州訪問記・その2] 阿蘇1000年の草原を牛馬で管理したいという大構想!

 黒川温泉での大宴会が明けて、翌5日の午前中は佐藤誠=熊大教授の案内で、阿蘇の大草原を見て歩きました。

◆野焼きという1000年の技術

 言うまでもなく阿蘇は世界最大規模のカルデラ火山であり、そのカルデラの内側と、そこから標高差400〜600メートルで切り立った外輪山、そして東に県境を超えて大分県の久住高原まで、ところどころにクヌギ・カシ類の林や植林された杉林をまじえながらも、国内では他に例を見ない壮大な大草原が続きます。その総面積は15万ヘクタ ール(4億5000万坪)で、なんと日本の草地面積の半分を占めます。放っておけば植物遷移の作用で森林になってしまうはずのこの大草原が、貴重な自然遺産として今日まで残されているのは、もちろん太古から中岳の活発な火山活動によっ て繰り返し火山灰が降り注いで森林化を抑えてきたということもありますが、それだけではなく、早くからこの地に人が住み着いて(旧石器人も縄文人もここに住んだ形跡がある)、とりわけ1000年ほど前からは「野焼き」という独特の方法によって人が草原を維持・管理し、牛や馬を放牧して畜産を営み、あるいは草を刈って田作りに活用することを続けてきたからに他なりません。

 ところがこの1000年にも及ぶ「野焼き」の伝統がいまや絶滅寸前になっています。 野焼きは、簡単に言えば年に一度春先に人工的に山火事を起こして草や木を焼き払い、それでかえって緑の草の芽吹きだけを促すという具合に、自然の植物遷移を中断してコントロールすることですが(農業も林業もすべては遷移の中断・管理によって生産性を高める技術です)、それには前年の秋口の段階で「輪地切り」と言って、幅10メートルに草を刈り取って防火帯を作って延焼や飛び火を防ぐよう準備をしておかなくてはなりません。近年では、野焼きを行う草地は1〜2万ヘクタールですが、それでもそのために必要な輪地切りの総延長は650キロメートルを超えると言います。東京〜大阪が620キロですからね。その作業は膨大かつ過酷きわまりないもので、特に急斜面に切らなければならない場合などは大いに危険も伴います。それが、入会権を持つ農家の高齢化や畜産業の低迷の中で、もはや続けることが難しくなって、集落とその入会地を管理する牧野組合によっては、もう野焼きを止めようというところも出てきています。

 それを何とかしようということで10年以上前から運動を始めたのが佐藤教授らで、最盛時は1万8000頭いたのに1万頭まで減った「赤牛」を再び増やすための牛肉の産地直送事業、その牛の周年自然放牧や入会権の壁を超えた預託放牧など草地畜産の奨励、野焼きを継続するための福岡市あたりまで視野に入れたボランティアの組織化や輪地切りの省力化技術の開発、牛だけでなく馬や羊も活用したグリーンツーリズムの推進などに取り組み、そうした中から熊本県を中心とする個人、企業、行政が出資する「財団法人阿蘇グリーンストック」も誕生しています。

 佐藤さんの夢はこうです。「牧野組合加盟の畜産農家と連携して、自然放牧の赤牛を産直やオーナー制度で増頭するとともに、馬や羊などを農水省の制度資金で導入できないか。牧区を区切って、まず牛が草の柔らかいところを食べ、次に馬が茎を、最後に羊が根元まで食べると、広い野芝のグラウンドができる。そこで乗馬トレッキングや、羊がグリーンキーパーの草原ゴルフなどを楽しめないか。蒙古の乗馬学校の専門家に調教やインストラクターをお願いして、パオに泊まり、羊のシャブシャブを食べたり、蒙古で普及している風力発電や、中国式のバイオガスでエコロジカルで安価な長期滞在システムを組み立てたい。外輪山の標高差を活かしたパラグライダー、野芝のクロスカントリー・マラソンや林道を使ったマウンテンバイクや黒川でのカヌー、グランドパノラマを楽しむ乗馬トレッキング、牧道空港の活用など、アウトドアライフを多彩に展開する場にもしていきたい」(佐藤編著『阿蘇グリーンストック』=93年刊)。

◆「馬の道」の開発へ

 ここにもかいま見えているように、佐藤さんはモンゴル好きの馬好き。かつてのバブリーなリゾート開発ブームを徹底批判してグリーンツーリズムの考え方を先駆的に提唱した名著『リゾート列島』(岩波新書)を出して、その印税を注いで道産子の馬を18頭購入して阿蘇に放牧したという、まあ世間的に見れば変人です。で、今回、阿蘇を案内して頂きながら聞いた彼の最新の構想はこうです。

■どうせやり切れないのだから、野焼きの範囲をある程度限定して、輪地切りのラインを全長150キロ程度の景色のいい「馬の道」トレッキング・コースとなるよう設定する。

■その輪地切りコースの10メートル幅を電木で囲って、日常は牛馬を放って自然の草刈りをさせる。

■そのコースの両端は阿蘇と久住にある既存の観光施設を活用し、途中30キロごとに蒙古のゲルを置いて中継地として、乗馬トレッキングが出来るようにする。

■そのためクォーターホース(米西部のカウボーイが乗る馬)などの洋種や道産子などの和種を取り混ぜて50〜100頭ほどの馬を確保したい……。

 阿蘇の野と森と谷を(短時間ではあったけれども)案内して頂きながら、私は佐藤さんの考えに深く共鳴して、帰京後、以下のような感想を送りました。

「野焼きを“馬の道”や“モンゴル村”と結びつけて、草原という貴重で巨大な自然資産を活用するという考え方は面白いと思います。我々が十勝でやろうとしていることとフィーリングとして完全に一致しますので、私も出来る限りの協力をさせて頂きたいと思います」

「馬に関しては、馬の頭数確保、その飼育費の捻出、調教、ルート開発、乗馬観光のお客確保など、問題山積みということでしょう。アメリカ西部ではよく、夏休みに子供らを1週間預かって、馬で旅をしながら行く先々でキャンプをするといったツァーがありますが、子供だけでなく親と一緒ならなおいいですし、そういう大がかりな企画も必要でしょう。また障害者乗馬、乗馬セラピーもようやく日本でも専門のインストラクターが出てきたので、そういう合宿を組むということもありえます。もちろんエンデュランス大会(馬のスピードでなく耐久性を競う野外レースで米豪などで盛んになりつつある)の誘致も有望です」

「頭数確保については、私は道産子がトレッキング用としては優れていると思うし、飼育費もほとんど考えなくて済むし、なによりも日本の伝統的な和種を育成し活用すること自体に意義があるし、モンゴルとも(道産子とモンゴル馬は親戚なので)繋がりやすいし……等々のメリットがあると考えますが、観光客や乗馬ファンに“受けない”というのであれば仕方がないので、ある程度までクォーターホースなどを入れて、道産子は補助という形もやむを得ないかもしれません。が、いずれにせよ放っておいても育って繁殖するような逞しい種がいいと思います。調教に関して、モンゴルから調教師を招聘するという佐藤さんの考えは面白いと思いますが、阿蘇一帯に乗馬クラブがたくさんあって、恒常的な“馬文化”を育てて行くにはそれらの協力ネットワークを盛り立てて行くことも大事でしょうから、既存の乗馬クラブ・観光牧場の人たちの意見をよく聞いて、場合によって彼らに調教・管理を委託するような形を採る方がいいかもしれません」

「ルート開発については、来年春にも、私やこの問題の第一人者である『北海道うまの道ネットワーク協会』の専務=後藤良忠さんが一度行って、実際に馬で歩いてみることが必要ではないかと思います。その場合も、地元の乗馬クラブの意向や意見ををよく聞いて、彼らと巧くやっていくことが大事でしょう。そういう準備をした上で、再来年3月の『第5回野焼きサミット』で大がかりな馬に絡んだイベントを組むのでしょう」

◆ツーリズム大学

 ところで、佐藤教授は4年前から熊本県北端の小国町で「九州ツーリズム大学」を開いています。学長は小国町長、客員教授に中谷健太郎さん(湯布院「亀の井別荘」主人)、地域づくり・ツーリズム・習農の3学科があって佐藤さんはツーリズム学科長。毎年40人を全国から募集して9月から3月まで月1回、2泊3日の合宿をしながら中身の濃い講義と実習を行うもので、交通費は別にして約20万円の学費・宿泊代などがかかるものの、企業や自治体からの研修派遣や「自分探し」の定年退職者や若いOLなど個人参加まで、定員を超える申し込みがあって成功を収めています。

 これが評判になって、来年秋には十勝の鹿追町で牧場・レストラン・ロッジ「大草原の小さな家」を経営する中野一成さんと佐藤さんがタイアップして「北海道ツーリズム大学」を開設する予定です。他にも沖縄、和歌山などで同様の動きがあり、また佐藤さんとしてはインターネット上でヴァーチャルなツーリズム大学を開くことも考えています。

 鹿追町は、すぐ奥に秘境「然別湖」を抱え、そこではカヌーや熱気球などアウトドア・レジャーを提供する「ネイチャーセンター」が活動していることで知られているし、町には町営の立派な乗馬クラブ「ライディングパーク」と隣接する完全バリアフリーの宿泊・研修施設があって、以前から障害者乗馬や乗馬セラピーの講座なども開かれています。北海道ツーリズム大学も、乗馬はじめアウトドアのリーダー養成に重点を置いたものになるそうです。

 私の立場からすると、北海道ツーリズム大学を帯広市内中心部の旧日本甜菜本社・工場跡地の活用計画(日甜文化村)に誘致したかったところですが、すでに鹿追のロケーションで進行しているとのことですので(あそこはすばらしい場所・施設ですが、空港から遠いのが難点でしょう)、その日甜跡地で我々が進めている構想に、「北海道ツーリズム大学帯広分校」として「食文化学科」を作るというのはどうかと佐藤さんに提案しました。

 ご存じのように、日甜文化村構想の推進役である平林英明氏は、帯広市内の超有名レストラン「ランチョ・エルパソ」を経営し、「風土がフードを作る」というコンセプトのもと、手作りハム・ソーセージやいろいろな地ビールを作っていて、その世界ではリーダー的な存在であるわけですし、また彼の地ビールの先生に当たる地ビールの教祖・山本ジョージさんも大阪からよく帯広に来ています。また日甜文化村の一角にモンゴルのゲル村とモンゴル・レストランを作ろうというのが平林氏のアイデアで、すでに11月に私の知り合いの大阪・鴫野(しぎの)でモンゴル料理の居酒屋を開いているスーチンドロン氏(内モンゴル出身で京都精華大学出身)を帯広に招いて、具体化を進めているところです。彼も帯広空港に降り立ったとたんに「ここはモンゴルだ!」と感動して、移住しかねないような惚れ込み方で日甜にかかわろうとしているので、そこを中心に、ツーリズムの不可欠な要素としての「食」にまつわる学科を創設するのが面白いのではないかと思います。これもまたインターネットと連動して、私や平林氏や藤本敏夫氏が考えている、「ホンモノだけを知り合い関係を通じて集めた“電農楽市”」に結びつけていくことも可能でしょう。

《参考》

『現代農業増刊/日本的グリーンツーリズムのすすめ──農のある余暇』(11月刊)
  佐藤誠さんが「グリーンツーリズムの時代」を執筆しています。元気な農家民宿などの事例  が山ほど紹介されていて、読んでいるだけで元気が伝わります。

小国町ホームページ http://www.aso.ne.jp/~oguni/

小国ツーリズム協会 http://www.aso.ne.jp/~tourism/

熊本県公式ページ  http://www.pref.kumamoto.jp/

環境庁自然保護局九州事務所(野焼きの解説がある)
http://www.dandl.co.jp/kankyo-kyushu/

草原のコンサベーション(日本自然保護協会=村杉事務局長のコメント)
http://www.nacsj.or.jp/database/easy/easy9907.html

阿蘇千年の草原(熊本日々新聞55周年特集)
http://www.kumanichi.co.jp/aso/sennen/sennen.html

阿蘇かるでらリンク(最も網羅的なリンク集)
http://plaza25.mbn.or.jp/~tanibito/asolink.html

農場民宿「阿蘇百姓村」
http://www.aso.ne.jp/~rikio/

エル・ランチョ・グランデ(九重町の乗馬クラブ)
http://plaza19.mbn.or.jp/~ERG/

鹿追町ホームページ http://www.town.shikaoi.hokkaido.jp/
 
◆久住町のタマゴ屋さん

 阿蘇の草原を大急ぎで一周して、昼に大分県側に戻って板井さんや佐藤さんの知り合いの久住町理事の山田朝夫さんと懇談しました。山田さんは、自治官僚として大分県に出向中にこの一帯のまちづくり構想に関わって、一旦本省に帰った後もその構想が気になって、とうとう志願して久住町に異例の出向で来てしまったという変わり種。昼食後に彼自身も関わりを持つ鶏卵会社「グリーンファーム久住」とその関連の野菜と花の農場「くじゅう地球村」に案内してもらいました。

 5万羽の鶏を飼ってグリーンコープなどに卵を出しているのは、父親の代から養鶏家の荒牧洋一さん。説明によると、卵を産み始めるまでは平飼いするので鶏が強健であること、飲ませる水についてバイオ・ミネラル・ウォーター技術による活性水を研究して活用していて、そのため鶏が健康で卵の質もよく、さらに養鶏場独特の臭いもほとんどないとのことでした。さらに鶏糞で良質・無臭の肥料土が大量に出来るので、それを活用するために別の有限会社「くじゅう地球村」を設立して(山田さんも出資者)トマトなど野菜と花を栽培して循環型の農業を試行しているわけです。湯布院の3つの名旅館の1つ「玉の湯」が、以前この卵を使っていたが、地元農家のものを優先するということで一時止めた。ところが調理場から「やっぱりダメだ」の声が出て、再びここの卵を使うようになったそうです。またトマトもおいしいという評判で、同じく「玉の湯」がこの一帯で評判のトマトをいくつか集めて従業員の目隠しテストをしたところ、ここのトマトが1位になって採用されたとのことでした。食材にこだわることで知られる玉の湯で卵とトマトが使われているというのは立派なお墨付きと言えるでしょう。

 ところで、本当に新鮮で健康な生卵を皿の上に割ると3重構造になっていることをご存じですか? 荒牧さんがデモンストレーションしてくれたのですが、パカッと割ると、一番外側に水のように透明な水溶性の蛋白が薄く広がり、その内側に薄い黄色を帯びてブリンとした卵白が盛り上がり、さらにその真ん中に黄身がある。その卵白と黄身を一緒に横から箸でつまむと、な、なんと、黄身も卵白も崩れずに持ち上がってしまう。もう1度皿に戻して、黄身は黄身、卵白は卵白で持ち上げると、それぞれがまた崩れずにつまみ上げられてしまうではありませんか。「人間と同じで卵も大部分は水ですから、水がいいと卵も健康です」と荒牧さんは事も無げに言いますが、卵には黄身と白身しかないと思っていて、箸で触れば壊れるものと思い込んでいた一同は「えーっ、卵ってこういうものだったの!」と大いに感嘆し、認識を新たにしたのでした。我々都会人はモノを知らないというか、ホンモノがどういうものか突き詰めることもなくただお金で買えば済むと思い込まされ飼い慣らされている。だから、本当にホンモノを作っている人の話を聞いてこんなに驚くのですね。

 こうして、大分と熊本にまたがる2日間の濃密な旅は終わり、竹田から2時間ほど車を飛ばして大分空港へ(竹田は熊本空港まで1時間強でそちらのほうが近いのですが)。空港の寿司屋で関アジ・関サバをちょっとだけつまんで東京行き最終便に乗り込んだのでした。▲

《参考》

久住町ホームページ
http://www.oitaweb.ne.jp/kuju/nature.htm

久住町商工会
http://www.oita-shokokai.or.jp/47nokao/kujyu/index.html

山田朝夫さんのエッセイ(野焼きのことなど大分合同新聞に不定期連載)
http://www.coara.or.jp/~teruaki/oitac/kujyu.htm

久住町和牛振興会の活動(宮崎昭=京都大学農学部教授による報告)
http://www.lin.go.jp/alic/month/dome/1999/jun/senmon.htm