農と言える日本・通信 No.46 2001-02-02 高野 孟
●カナダ放浪中の長慶寺からの手紙
かつて私や新井さん[居酒屋はじめ亭主]が帯広のリバティ・ファームに行き始めた頃、そこに長慶寺という青年がいました。関西のほうからフラリと流れてきてそのまま居着いて、神戸あたりで少年殺人事件でも起こして逃亡中ではないかという噂も流れましたが、そうでもないらしく、リバティに寝泊まりして、朝は6時から馬や家畜の世話をしたり、雪下ろしをしたり、ゴミの処理をしたりして、昼間から夜中まで市内のランチョ・エルパソのチーフ格として働いて、われわれが行くと乗馬の指導をしてくれて、色浅黒く、長髪を後ろに束ねて、見るからにインディアンそのものという感じの野生児でした。
平林さんも一時、自分の後継者としてどうかとまで思ったようで、われわれも「お前がここを仕切って平林を楽にしてやればいいじゃないか」と勧めたりしたのですが、本人はその気がなく、またフッと辞めて一時関西の実家に戻り、昨年初めにランチョ・エルパソ小樽店が始まった時に平林さんの求めに応じて手伝いに来たのでした。聞くと、北米に行ってインディアンと暮らしたい、6月末に自転車1台持ってカナダに渡り放浪の旅をしたいというので、新井さんや私は何某かのカンパを手渡して、「必ず帯広に帰って来いよな」と言い含めて送り出したのでした。
平林さんやわれわれは、彼が戻って来たら、彼を校長にして、子供たちのためのアウトドア学校を開きたいと考えています。
彼が出て行ってから一、二度便りもありましたが、先日カナダ・ユーコン準州発で近況を伝える長い手紙が新井さん宛に届きました。そしてその手紙を、下記のように、すぐさま本通信で紹介したところ。それから数日して私にもほぼ同文の手紙が届きました。
私も若かったらこんな生き方をしたかも知れないという羨望と、こういう若者がいる限り日本はまだ大丈夫かも知れないという希望とを託して、それをそのまま紹介します。小見出しと[]注は勝手に付け加えました。
あけましておめでとうございます。忙しい事とは思いますが、新井さんにとってこの一年元気で良い年であります様、カナダはユーコン準州、オーロラの下、祈っております。
遅くはなりましたが、小樽にてご餞別を頂き、本当に有り難うございました。気持ちも込め、頂いた分、色々な所に行き、様々な経験、勉強をして帰りたいと思っております。パスポートとアドレス帳も盗まれまして、[帯広の平林]トミさんに住所を聞き、この手紙を送ろうと思います。
●BCのリゾート開発現場で仕事を見つけた
現況報告ですが、今はとにかくユーコンの大自然を満喫しています。去年の6月末、バンクーバーの空港で自転車を組み立て、地図を持たずに北への旅をスタートさせました。とにかく故・星野道夫さんの愛したクィーンシャーロット島へは行こうと決めていました。それ以外はほとんど考えず、一応、職を訪ねながらの旅を進めていました。
英語が苦手なのと、どうしても、ここで働かせてくれという強い気持ちがないぶん、仕事にありつけず、とにかく北へ向かっていました。バンクーバーを出発して約1カ月、約1500km走った所、ブリティッシュコロンビア州の北部、山奥のBell IIというヘリコプター・スキーのリゾート開発現場で職を見つけました。ここは建設にあと2〜3年かかるそうで、大忙し。いくつものログシャレー・レストラン、サウナ、ジャグジー等のリゾート地です。着いたその日に草むしり程度に始まり、重機のオペレーター、さらに技術のいる左官や石積みまでする様になり、3カ月後には2倍以上も給料アップと、実力世界のカナダを感じました。
●1mを超えるキングサーモンを釣った
居心地もよく、たまにとる休暇は、トレッキングに行ったり、ハンティング、フィッシングと充実した生活でした。釣りに行くと1mを超えるほどのチヌーク・サーモン[北米インディアンのチヌーク族が住むコロンビア川河口近くで獲れるキングサーモンのこと]がイルカの様にはね廻り、ロッドが折れる程、大物ばかりでスケールのデカさに圧倒され、おまけにその川岸にはタテ30cm、ヨコ20cmもあるかというグリズリー[北米西部の大型灰色熊]の足跡がある次第でした。
Bell IIはレストランも経営していて生ゴミが出る為、燃やしているにも関わらず、ブラックベアやオオカミが毎日ペットのようにやって来ます。日本でいう野良犬みたいなものでしょうか。森の中にはラズベリーやハクッルベリーが畑のように存在し、日本では考えられない世界でした。自分の作った、手掛けたものが、ここに一生残るというのは大変光栄な事で、やりがいのある仕事で満足していました。
●トラッパーとこの冬を過ごすことに
冬場は工事が出来なく、ユーコン準州のホワイトホースにて、オーロラのツァーガイドとしての仕事が決まっており、次のシーズンもBell IIで働くことを約束しそこを後にしました。自転車を置いて、トレーラーをヒッチし、新天地ホワイトホースへ希望を持ってたどり着いたのですが、その会社の手違いか何かで、必要ないという話になり、途方に暮れていた所、知人の紹介で、ホワイトホース近くに住んでいるトラッパー(罠漁師)の方とこの冬を過ごすことになりました。冬場は罠を仕掛け、狩りをし、その毛皮を売って生活している人達は、アラスカやユーコンにいまだ多く、彼は、ユーコンのトラッパーズ組合の副理事みたいな事をやっていて、その道のプロで、生涯、森の中で生活している方です。彼の自然を見つめる目や感覚は、その土地でもともと住んでいたインディアン以上のものと思っています。
この旅を始める前、インディアンだのエスキモーだの言っていた自分ですが、その土地、土地へ行ってみると、土着のインディアンよりもその自然環境を愛し、見守っている白人が多い事に気付きました。この彼もそうで、生き物のサイクルを見抜き、乱獲は絶対にしません。この冬は、一番主になるウサギが少ないらしく、他の獣もあまり見かけないらしく、必要な分だけ、必要な時に取る。したがって、この冬は罠の猟もグッと減らしたそうです。
●野獣肉のデパートみたいな貯蔵庫
まだ始まったばかりですが、先日リンクス(山猫)を仕留め、毛皮は売り、肉は生活の為、二人で喰いました。料理人の新井さんでもネコは食べたことがないでしょう。リンクスは意外に臭みがなく、鶏肉のようであっさりしておいしかったです。ここの貯蔵庫には、リンクスをはじめカリブー、ムース、数種のトラウトにサーモンと、ワイルドミートのデパートみたいになっています。これからも、オオカミ、コヨーテ、雷鳥など、食べる機会があるものと思います。
最近では、こういった猟や狩りにスノーモービルを使うトラッパーがほとんどなのですが、彼はいまだに犬ゾリを使用しています。こういったところも好きで、共感出来る事が多く、自分も一チーム組んで犬ゾリを運転させてもらい、ここでは本当に色んな経験が出来、考えさせられる事や学ぶ事は本当に多いと思います。
この冬はここで彼と過ごし、春からはBell IIに戻り仕事を進めていく予定になっています。Bell IIがおそらくワークビサを出してくれると思うので、何年か、もしくは何シーズンか、カナダに来られる事になり、他にも色々な所に行ける事と思います。
●北極圏でマイナス40度だった
そういえば先日、小旅行で、年越しを北極圏で過ごしました。日が昇らないので、もちろん初日の出はなく、マイナス30度を越す寒さと暗さですることがなく、昼間(といっても暗い)からバーに行くとエスキモーに金をたかられたり、カンフーでケンカを売ってきたりと色々ですが、一つの経験として北極圏に入ったという事は感激でした。
地図があれば探しても面白いと思います。Inuvikという村から、一日だけ更に北、Tuktoyaktukという北極海に面した村に、最後は凍った海の上を車で飛ばして着きました。マイナス40度、北緯は69.5度でした。
ながながとなりましたが、また近況報告する予定になっております。次回お会いできるのは帯広にて。それではお体に気を付けて!!
1月21日、リトル・アトリン湖にて。K. Chokeiji