体育学の権威である正木健雄=日体大教授は『希望の体育学』(農文協、2002年)で、子どものからだのおかしさが本格的に問題になりだしたのは70年代半ばからだと言っています。そのころ、子どもの「肥満」「からだのアンバランス」「手指の不器用」などが取り上げられ、経済成長による豊かな生活の中で子どもの体力が低下し、からだが変調をきたしているのではないかということが指摘されました。
ところが、NHKが78年10月9日に放映した「警告!! 子どものからだは蝕まれている」のために、正木が協力して全国の養護教員が実感している「子どものからだのおかしさ」を調査したところ、単なる体力低下どころではない深刻な事態が明らかになりました(%は特に回答率が高いもの、小=小学校、中=中学校)。
《子どものからだに異変が起きている》
・つまずいたときなど、とっさに手が出ず、頭や顔に直接ケガをする
・まばたきが鈍く、目に虫やごみが入る
・ちょっとしたことで骨折する
・いつ骨折したか分からない
・朝礼の時など、立っていられずバタバタ倒れる(小22%、中43%)
・高血圧や動脈硬化
・腰痛の訴えが目立つ
《長く歩けない》
・土踏まずの形成が遅れ、遠足などで長く歩けない
・バランスを崩した時、踏みとどまれずに転ぶ
・棒登りなどで足裏を使って登れない
《異常信号がからだの各所に》
・何でもない時に鼻血を出す
・突然、キーッと奇声を発する
・汗をかかず、体温が低い
《老化している》
・神経性胃潰瘍などが目立つ
・肩こりを訴える
《背筋がおかしい》
・背筋が伸びずグニャッとしている(小44%、中37%)
・背筋力が低下している
・側彎症、脊椎異常
《精神が植物化している》
・朝からあくびをしている(小31%、中30%)
・大脳の興奮水準が低く、目がトロンとしている
・ものごとに関心を示さず、ボーッとしている
このような傾向は、その後も深刻さを増し、さらにいろいろなおかしさが加わりました。12年後の90年3月に正木研究室で同様の調査をしたところ、「最近増えているからだのおかしさ」のトップは「アレルギー」(小87.3%、中90.8%)でした。また、12年前と比べて増加が目立つのは、「腰痛」(小16.9%=16.9倍)、「低体温」(小46.9%=15.6倍、中71.1%=17.8倍)などでした。
このような事態についての正木の仮説的解釈を簡単に要約すると、次の3点になります。
●根本は背筋力の低下である──「体力低下」の実体の1つは背筋力の低下ではないか。人は、樹上生活から地上へ降り直立姿勢を完成して二足歩行をするようになり、初めて人間となった。直立姿勢をとった時、からだの重心は足のくるぶしの関節より前方にあるため、からだは前に倒れる傾向にあるのを、からだの後方の筋肉がたえず働いて重力に抗してからだを直立させている。背筋力の低下は二足歩行の人間としての“普通の生活”が出来なくなっているからで、つまり“人間の危機”である。背筋力が低下すると、脊椎の彎曲異常の原因になりうるし、また外形的なことだけでなく、直立して動き回ることを億劫がらせたり、労働意欲を起こさせないことにつながるかもしれない。背筋力とは、脊柱直立筋を中心として、臀筋と腹筋とが綜合された力のことである。が、同時に、二足歩行によって形成された「土踏まず」の形成の遅れも関係するだろう。
●大脳前頭葉の発達不全につながる──背筋力の低下により筋肉から大脳への戻りの信号量が減少し、大脳前頭葉の活動が低下し、そのことによって背筋力が一層低下するというのが“人間の危機”である。そのため、幼児期や少年期に著しく発達するはずの大脳前頭葉の活動特性、筋肉感覚、姿勢調整系、自律神経系、立体視機能などの発達不全が顕著となり、なかでも大脳前頭葉の興奮過程における強さがなかなか発達しない点に事態の深刻さがある。自律神経系の発達不全は防衛体力(抵抗力)の低下につながり、その状態におとな本位・企業本位に増やした多種多様なからだにとっての異物やストレスが加わって、アレルギーを増大させていると考えられる。
●背景に“便利な生活”が横たわる──からだをあまり使わなくてもよい便利な生活を急激に発達させた結果、おとなには快適な生活ではあるが、子どもがからだを使ってからだを発達させるチャンスを奪った。その上、受験戦争で戸外で遊ぶ時間が少なくなり、また安全に遊べる空間も極端に少なくなっている。少子化で子どもの遊び集団が出来にくく、他方、からだをうごかさなくても遊べるテレビやテレビゲームの普及でますます室内に閉じこもりがちになる。
──そのとおりでしょう。整体術の大先達である野口晴哉『整体入門』(1968年初版、ちくま文庫で復刻、2002年)ではこう書かれています。
「人間の体運動というのは大部分が立姿によって行われています。立姿というのは、全部足の裏に荷重がかかる。足の裏も一カ所ではない。拇指の根元と踵と他の四指との三カ所で立っている。ところが猿は二カ所です。拇指の根元に力が入らない。だから手が長く、手が足の補助をしないと安定しないのです。人間は第一蹠骨という足の拇指が猿より発達してきて、三点支持で立っています。だから人間は足の機能から離れて、手を使うことが出来るのです。手は手で、拇指と他の四指が対立して働くから、いろいろな技術が使える」
足の拇指の付け根が発達し土踏まずのアーチが作られたから足の裏で全体重を支えられるようになり、それに背筋力が加わって人間は直立二足歩行が出来るようになり、その結果、手を自由に使えるようになったのだから、足の裏と背筋力と手指の器用とは全部つながっていて、しかもそれらが大脳前頭葉と深い関わりがある。そこに人間が人間である根本があり、それが損なわれつつあって、「立っていられない」「長く歩けない」「足がもつれて走れず、転んでも顔や頭から倒れる」というのだから、まさに“人間の危機”──猿以前への退化!?なのです。
そのことを、教育学・身体論が専門の(と言っても最近は『声に出して読みたい日本語』がベストセラーになっていますが)斎藤孝=明治大学助教授は、『自然体のつくり方』(太郎次郎社、2001年)で「身体文化の喪失」という観点から論じています。
「21世紀を迎えたいま、私たちは深い溝に落ちかかっている。……この溝とは、身体文化の欠落という溝である。東洋(あるいは日本)の伝統的な身体文化を身につけた身体と、欧米流の生活様式に合った西洋の伝統的な身体文化を身につけた身体。この二つのどちらも身につけていない、どっちつかずの身体のあり方が、現在の日本の多くの身体ではないだろうか」
「立つこと、坐ること、歩くことは、人間にとって基本的な動作である。これらは障害をもっていない人にとっては、さほど難しいこととは思われていない。……が、そこに落とし穴がある。立つ・坐る・歩くことにも、質もしくはレベルておいうものがある。この質が、この数十年で急激に低下してきている」
「教育の領域では、すでに1970年代から子供の身体が危機的状況にあることが指摘されてきた。その大きな現れが、しっかりと立つことができないことと、長く歩けないことであった。朝礼が少し長くなると、立ちつづけていられない子どもが多数出てくる。遠足でも土中で歩けなくなる子どもが多いので、長い距離を歩く計画は立てにくくなっている。立ちづづけていられずに、地面にへたりこんでいる光景もよく見られるようになった」
「“しっかりと立つ”ということは、ふつう考えられているよりは難しいことである。……“合理的で存在感のある”立ち方もまた、身につけるのには修練が必要なのである。体力の低下傾向も、こうした姿勢の崩れの大きな要因ではある。身体を多く使う生活をしなくなれば、生活上の体力は当然、落ちてくる。……しかし、事はそう単純ではない。体力測定の数値では、かならずしも姿勢の質を測ることはできないからである。立つ・坐る・歩くといったことには、基本的な型がある。この型の修練が軽視されたままであるならば、たとえ筋力があったとしても、それほど質の高い姿勢や動作を期待することは難しい。型の喪失は、文化的にみて莫大な損失である」
その日本の伝統的な所作の基本が「自然体」であり、それと精神の安定性や他者とのコミュニケーション能力は深々と関連していると彼は言います。自然体には、外部を意識すると同時に内部を意識する、意識の配分の技が伴っていて、これがなければ、自分をしっかり基盤として持ちながら他者に柔軟に対応することも出来ないからです。だから、自然体のつくり方から始めて、身体を再建しようというのが彼の本の趣旨です。
子どもだけでなく、おとなも含めた日本人が自分の身体(文化)を失いつつある。となると、これは猿以前への退化どころか、幽霊への転化?!ということにもなりかねない。さあ、どうしたらいいのでしょうか?(以下次号)▲