辞 退 届

日本社会党殿                            

                       95年6月7日   高 野  孟

 社会党新党問題協議会の提起によって始まった、新しい政治の流れをつくりだすための「世話人予備会」のメンバーおよびそのアピール文案起草者の任を本日をもって辞退させて頂きます。

 昨日与党3党の間で合意された不戦決議の内容は、とうてい私の容認できるものではありません。上原康助さんはじめ社会党の皆さんが苦労されたことは認めますが、所詮それは永田町政治の範囲での文言のすりあわせのレベルの話であり、これも、先の長良川河口堰の運用開始という社会党閣僚の決定も、要するに社会党は身を捨てて新しい政治の流れを作り出すことよりも、今の政権を意味もなく維持・存続させることを優先しようとしていると判断せざるを得ません。その社会党が設営したこの場で、平和やアジアとの連帯や環境を重視する新しい政治の流れを作り出すためのアピールについて討議すること自体が、もはや漫画でしかありません。

 合意された決議の案文は「思いをいたし」と言いますが、どういう「思い」をいたすのでしょう。これは、いたずら坊主が叱られて「僕だけが悪いんじゃないもん。○○君だって××君だってやったもん」と言い逃れをしようとする卑劣な論法そのままではありませんか。

 私は20歳のときに中国のある農村で片腕のない老いた農夫に出逢い、彼が「私の村にかつて日本軍がやってきて、私は日本刀で腕を斬られ、妻と娘は目の前で犯されて殺されました。しかし日本人を憎いとは思いません。日本人民もまた日本帝国主義の犠牲者であり、日中人民は手を携えて戦争のない世界を作っていくのです」とニコニコと語るのを聞いて、その気高くも寛容な精神と、単に寛容というのでなく、かつての戦争を日帝権力と日本人民との階級関係と、その両者を包含した日本と中国との民族関係との二重性において捉えることの出来る理性的な水準にまで、たぶん革命前は文盲だったこの農夫を導いた中国共産党の民衆教育の偉大さに、打ちのめされるような衝撃を受け、それ以来、アジアの人々の気高さに応えることの出来るような日本の国にしたいと念じて生きてきました。

 そういう農夫の前で、あるいは何百人何千人もの汚らわしい精液を子宮に浴びせられた韓国人元慰安婦の前で、一対一で向き合って、この弁解がましいだけで何の心情も篭っていない愚劣な文章を読み上げて、「これが日本国民が50年かかって到達した今の気持ちです」と胸を張るだけの勇気を、国会議員の皆さんがたは持っているのでしょうか。

 あるいはまた、韓国の「戦勝記念館」の日本の憲兵が残虐きわまりない拷問を韓国人に加えている蝋人形の陳列の前で、かつての植民地支配の歴史について説明を受けている小学生たちの輪の中に割って入って、この文章を読み上げて、「君たち、もうこういう忌まわしい過去は忘れてほしい」と説得できるのでしょうか。私には出来ません。国会が本当にこんな決議をするなら、その日は見学者にまぎれて入ってサリンでも撒いてやろうかと、半ば真剣に考えています。

 私は、社会党の皆さんにもたびたび申し上げ、またインサイダーその他を通じても公言してきたことですが、そもそも村山政権を作ってリハビリ途上の自民党を政権に就けてしまうことに反対でした。しかし出来てしまったものは仕方なく、それならせめて社会党が出来るだけさきがけと組んで、自民党との政策的な矛盾を政権内部で上手に激化させながら、旗印による再分裂・再結集という次の局面を準備することが必要だ、と主張してきました。が、それすらもかなわず、ただただ面倒は先延ばしにして何事も丸く納めて権力を長続きさせようという運営ぶりに歯ぎしりする思いをしてきました。

 それでも、社会党の中には誠実で能力もある友人たちがたくさんいることに「思いをいたし」ながら、最後には不戦決議や長良川や水俣病の問題で決然として筋を通してくれることを期待して、社会党の新党への脱皮とそれをきっかけとした新しい市民的な政治勢力の結集のための作業に加わってきたのでした。

 しかし、私が社会党にとって「最後のチャンス」だと思ってきたそれらいくつかの問題で、このようにだらしない妥協が繰り返されるのでは、私を含めて多くの人々が作りだそうとしている新しい政治の流れにとって社会党は先導者でないのはもちろん同伴者ですらもなくて、敵対者だと断定しなくてはなりません。

 私は今後とも社会党の心ある皆さんとは個人的にはお付き合いもし、可能なご協力もさせて頂きますが、党としての会合や行事に参加することは、私の政治的信念と市民的良心に反するので、一切お断りいたします。新しい政治勢力の形成を通じて第3極を作り上げていく作業には、もっと別の回路で取り組んでいくことになると思います。

 最後に、「世話人準備会」のメンバーの皆さんには大変ご迷惑をかけて申し訳ありません。それでもまだ社会党に何かを期待するという我慢強い方々によって、この会が進められていくことを希望します。