今日は雨模様だというので、皆さんが足をお運びいただけるだろうか、主催者さんたちは心配していました。私は畑をやっていますが、今日は水やりしなくていいな、と思いました。いつもの水やりも、雨水をいつも3000リットル溜めていて、それを利用しています。ドイツ人も家庭菜園が大好きです。シュレーバーガルテンとか、クラインガルテンという名前で昔から親しまれています。第一次世界大戦後のハイパーインフレのときに人々が生き凌ぐために始まったものですが、今はホビー、あるいはロハスという考えのもとで、とてもはやっています。
雨はありがたい。恵みの雨とか慈雨とか言いますが、広島に原爆が落ちたあとには、まっ黒い雨が降りました。井伏鱒二さんの作品にあるように、恐ろしい放射能を帯びた物質として襲いかかったのです。今日皆さんに見ていただく『みえない雲』という映画も、架空のお話ですが、原発事故のあとに雨雲が発生して、それが小さな町に迫ってくる。その雲のもとで人々はどうしたか、ということを描いた物語です。(中略)
この映画ができたのはおととし、2006年です。1987年、あるいはチェルノブイリの86年頃、ドイツにはたくさんの原発がありました。でもその後、原発はやめようということになりました。そういうふうに国の方向が変わってきました。では、何で昔々の、20年ぐらい前の小説をおととし映画にしたのか。実はドイツで、やっぱり原発作ろうよという声が出てきたのです。この映画は、本当にそれでいいんですかという監督の問いかけだと、私は思います。
日本はすごいことになっていますね。原発が55基もある。そして六ヶ所で「核燃再処理」を、どこの国もとっくに匙を投げた、人類がコントロールできない不完全な技術なのに、天文学的なお金をかけてやろうとしている。
伏見康治さんという原子物理学者がおられます、御年98歳。戦後の原子力平和利用の指針をつくったお一人です。核兵器の「核」と原子力発電の「原子力」は、英語だと同じ「ニュークリア」です。だけど「核」というと核兵器が連想されるので、発電のほうは「原子力」という言い方にしようということにしたのが、伏見さんたちです。つまり、ずっと原発を推し進めてこられた方です。その伏見さんが、どうしても言い残しておきたいことがあるとおっしゃる。それで、テープレコーダーを持って行きました。「原発で出たゴミは、いじればいじるほど放射能汚染物質を生む。再処理だけは反対だ」というお話でした。音声だけでは迫力がないので、今度、鎌仲ひとみ監督に映像として残していただこうと思っています、そういう方もそうおっしゃっている。それなのになぜ再処理をやるのか。私は、怪しい、これには裏がある、と思います(注・伏見康治さんは5月8日永眠されました)。
チェルノブイリのことに戻ります。事故のあと、ドイツでもいろんな動きがありました。いろんな本が出ました。女性たちも急きょ集まってエッセイ集を出したのですが、意外なことにそういう例はその本一冊だけでした。意外というのは、あのチェルノブイリの事故を深刻にうけとめたのは男性よりも女性だったからです。女性はやはり家事などを受け持つ割合が多いので、今日の水、今日の食べ物をどうしよう、この牛乳は大丈夫だろうか、子どもを砂場で遊ばせてはいけない、雨が降ってきたら子どもを家の中に引きずり込む、そういうことで、女性はものすごく神経質になったわけです。もちろん、女性は子どもを産むからでもあります。当時、妊婦さんたちは大変不安になりました。それなのに女性が書いた本がない。
そこで、女性の大学教授や科学者が集まって書いた。それを急きょ日本でも翻訳しようということで、やっぱりたくさんの女性が集まって緊急出版しました。それがこの『チェルノブイリは女たちを変えた』という本です。私もクリュルという大学教授が母親として書いたエッセイを訳しました。この本の出版の道をつけて下さったのが、高木仁三郎さんです。このとき高木さんにお会いできたことは、私にとって大きな宝物になっています。同時に原子力資料情報室の会員になったのが、私の初めての社会参加でした。もう随分前、20年も前になるのですね。(中略)
「子ども基金」がきょうのような催しをやるのは、チェルノブイリのことを忘れていただきたくないからです。なぜ忘れてもらっては困るかというと、子ども基金はお金がほしいからです。支援って、一回だけなら誰でもできますが、「子ども基金」がこんなに長いこと、この規模で続けてきたというのは、その働き手となってずっとやってきた方々も素晴らしいし、それに応えてずっと寄付をなさってこられた皆さまもすごいと思います。でも時々、思い出してまた募金しようという気持ちを新たにしていただく必要がある。それでこういう催しをするわけです。
映画は、力強い青春映画に仕上がっています。高校にピカソの「ゲルニカ」が飾ってあるのが一瞬映りますので、気をつけてみてください。これは、日本の高校に重慶空襲の写真が飾ってあるようなものです。ドイツの戦争責任への向き合い方を物語っていると思います。主人公の女の子を演じているパウラ・カレンベルクさんは、撮影当時19歳でした。つまり、チェルノブイリ事故当時、お母さんのお腹のなかにいた。障害を負った子どもがドイツでもたくさん生まれましたが、カレンさんもその一人です。心臓に穴があいていて、肺が片方ないそうです。でも、全くそんなことがわからない、はつらつとした演技をしていますが、彼女もポスト・チェルノブイリの若者の一人なんだということを申し上げたくて、ちょっと時間が長くなりましたが、これで終わります。どうもありがとうございました。
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チェルノブイリ22周年キャンペーンを終えて
当日はあいにくの雨模様となりましたが、講演では恵みの雨、慈雨の話から始まり、池田さんの長年に亘る原発関連の貴重なお話しを聞かせて頂きました。池田さんが映像化を望んでおられた伏見康治氏が2週間後に他界され、私自身、改めて考えさせられる契機となりました。また「見えない雲」(映画)上映の経緯や主演のパウラさん自身ポストチェルノブイリの1人であるという事を聞いた後、DIE
WOLK「雲」、私も今回初見でしたので観客として場内に入りました。映画にひきこまれながら、過去現在未来という時間の波が脳裏に去来し、自分自身“見えない雨”に打たれるような錯覚を起こしていました。この力強く希望を抱かせる青春映画を日本でもドイツのように学校等での上映を期待したいです。
私は今回チラシ配りにも力を入れました。映画館、飲食店、イベントでの告知等、当日までに配布出来そうな場所、人を求めて声をかけ積極的に働きかけました。写真展では場所柄ふらりと立ち寄って下さる方も多く、急遽、帰りがけの人々にも配布しましたが、現状を知っていらっしゃる方々の反応もあり、励ましの声をかけて下さる方もいました。
当日は影アナ(ウンス)担当となり、来場者の方々、支援者の方々、そして22年目を迎えた被災地の方々へ心をこめてアナウンスさせて頂きました。来場者数も多く、よいキャンペーンになったと感じ、微力ながら(実行委員として)参加出来たことに感謝します。
(ボランティアスタッフ)山村 聡子
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