あの事故から10年たった1996年4月、「私、ついこの間までとっても幸せでした」ということばではじまる「事故処理作業者の妻の告白」がロシアの新聞に載った。汚染地で電線を切って歩き「リンパ節をはらして」帰宅した男性が死に向かってまっしぐらに転げ落ちるさまが、その妻によりせつせつと語られていた。 作者はミンスク在住の女性作家、スベトラーナ・アレクシエービッチで、事故直後に何回かチェルノブイリを訪れて科学者や軍人に取材を試みたが、「いま本を書けば事故の緊急レポートにすぎず、ことの本質は抜け落ちてしまう」ことをすぐに悟り「自分の無力さを感じて一度身を引いて」しまったという。のちに、3年間にわたりインタビューした相手は300人をこえ、「無防備に」汚染地を歩きまわったため、軽い放射線障害に苦しんだと聞いた。 「事故処理作業者の妻の告白」は、1997年1月「チェルノブイリの祈り」として発表された作品の最後におさめられている。これはアレクシエービッチの5作目にあたり、前4作は、女たちが語る戦争、子どもたちが語る戦争、アフガン戦争、ソ連崩壊後自ら命を絶った人々の話で、楽しくて明るい話はひとつもない。どれも衝撃にみちた話ばかり。本を書くにあたっては「日常生活のある一線を心の中でぽんととびこえて、悪夢や混沌に身をゆだね、人々の心のひだを覗きこまねばならない」ことをあかし、「これは知らずにすむものなら、その方がいいこと」という。そんなにつらい思いをしてまで自分のスタイルにこだわるのは「個々の人間は歴史の中に消えるもの」ゆえ「その時どんな人間がくらし、なにを考え、なにを感じ、なにを話していたか」真実を記録に残すことのたいせつさを痛切に感じているからだろう。 しかし、取材を受け、胸のうちを語る人々の心は、いまもなお揺れ続ける。「思い出してみたいような、みたくないような」「わからない、記憶していた方がいいのか、忘れてしまった方がいいのか」と。 たったひとり汚染地でくらす老婆、娘を失った父親、「土の中に土を葬る」作業をし悪夢に悩まされる男、疎開者が残していった犬やネコの射殺を依頼されわが子に仕事の内容を語れない父親、婚約者の母親の「子どもがうめるの?」という声が耳からはなれない娘、住民を救おうと奔走し権力の壁の前でたちつくす核物理学者…。重い語り口の向こうにあるのは、汚染された大地から逃れるすべがないという現実。彼らにできるのは祈ることのみなのだろうか… この本を読んだ広島の高校時代の親友は、父親が被爆者であることをはじめてうちあけ、「父は何も言わずに死んでしまったが、話したいことが山ほどあったはず。聞いてあげればよかった」と手紙をくれた。べつの広島の女性は「私の体験はあまりにも悲惨すぎて、いままで誰にも話したことがないし、これからも話すつもりはなかったが、この本を読んだ時、話さなくちゃいけないんだとわかった」と感想をもらした。 ヒロシマも、チェルノブイリも人間抜きでは語れない。「その時どんな人々がくらし、なにを考え、なにを感じ、なにを話していたか」しっかりとみつめ、記憶にとどめておきたいと思う。 |