予定していた立教高校チャペルでのコンサートができなくなったことで、たくさんの仕事が発生してしまいました。チケットの枚数が倍以上に増えたこと、チラシの訂正、舞台の本格的な設定、そしてパイプオルガンが使用できなくなりチャーチオルガンを借りなければならなくなったこと等々……。 けれども、日ごろまったく異なる世界で生活している人たちがこのコンサート実現に向けて、チームを作りスタッフとなり、忙しい合間をぬって奔走しました。 私たちの心配とは逆に日曜の夕方であり、交通の便も悪く、さらに雨も振り出したのですが500人もの人々がコンサートにきてくださったのです。 故郷の悲劇を背負い、失われたたくさんの命のために、そして今なお病で苦しむ友人たちのために、ナターシャ・グジーは心をこめて歌いました。それは言葉の壁を超えて私たちに強く訴えるものがありました。 まだ19歳のナターシャの美しい澄んだ瞳が、実はとても悲しい現実を見つづけてきたのだと思うと本当に辛くなりました。人間の知恵と知識の限りを集積して作り上げた原発、そしてその爆発……。私たち人間のしていることはいったい何なのだろうと思わずにはいられません。 また、チャーチオルガンのすばらしい演奏を聞かせてくれた小島弥寧子さんもお父さんを白血病で亡くされた辛い体験をされています。そんな二人が、悲劇が繰り返されない明るい未来への願いを込めて、一つのステージに立ってくれました。それは見ている私たちに、できることは何かを、問うているようでもありました。 広河さんや清水さんのお話も、実情を詳しく知っている方のお話ですから、大変わかりやすく胸に迫るものがたくさんありました。広河さんのお話を聞いて、もっと良く知りたいと本を購入された方もいました。清水さんは娘の真帆さんを白血病で亡くされたことに関して、骨髄バンクの現状や患者さんの置かれている状況、家族の経済的負担等のお話をされました。同時に私たちができる範囲で周りの方々に心配りをする意義についても話してくださいました。 コンサートは終わりましたが、チェルノブイリの子どもたちの苦しみはいまだ癒されることなく病気になる子どもたちが増えつづけています。 私たちもまた、一人ひとりそれぞれのステージに立ち自分のできる精一杯のことをしたいと思っています。 私は昨年、ベラルーシの保養施設で夏のフェステバルに参加しました。帰国してから、何か、チェルノブイリの子どもたちのために、できることはないかと思い、兵庫県として初めて宝塚でコンサートをしました。普段取り組んでいる「MABUI」を広める会の仲間と共に実行委員会を取り組むことになりました。50人という小さい会場ですが、チケットの販売目標達成のために、どのように広げるか考えました。その中で、宝塚原発を考える会やチェルノブイリヒバクシャ関西救援団体と出会いました。私が、昨夏に交流したときの体験談を交えながら話しました。チケットの販売を協力してもらったり、新聞に紹介の記事を載せたら、問い合わせの電話が掛かったり、と当日の反響はよかったです。ご来場いただいた方々には、大変狭い会場で窮屈な思いをかけました。感想を寄せてくれた感想用紙の中には、ほとんどの人がナターシャさんの美しい歌声を聴けてよかった、もっとチェルノブイリのことを知らなくては、という声が多かったです。もちろん、反省点も頂きました。他の救援団体と協力して、コンサートを成功させる意味はひとつひとつの力がひとつになったとき、大きな力を生み出すというとでした。広島、長崎、チェルノブイリを繰り返してはいけません。沖縄戦などのすべての戦争も、繰り返してはいけません。 最後に私はベラルーシの子どもの里親になっています。私と里子の関係と責任はありますが、ひとりでも多くの子どもたちを救うために何かをしなくてはと、コンサートの準備を進めてきました。あの子たちに、放射能という悪魔がいない世界で「ここにいていいんだよ。」と、言えるひとりになりたいです。そのためにも、今後ともがんばっていきたいです。 |