モスクワのこの秋は、暖かで、11月も半ばに入ってようやく記録的に遅い初雪が舞いました。その後も寒暖の差が激しく、白銀の景色が広がって地面が凍りついたかと思うと、雨が降って溶けてしまう不安定な状態が続いています。ただそれでも、街の中では、新年とクリスマスの飾り付けが段々と増え、何とか季節のめぐりを感じさせてくれます。 ところで、そんな「記録的な」20世紀の最後の日々に再び、「チェルノブイリ」という言葉がニュースに度々登場しています。それは、すでに日本のマスコミでも報道されているように12月15日に、最後まで運転を続けてきたチェルノブイリ原発3号炉が停止し、チェルノブイリ原発が閉鎖されることに関連してのものです。つまり、「チェルノブイリ」そのものは、この2000年の末に表向き「過去」になろうとしているということです。無論、ここで説明するまでもなく、実際の「チェルノブイリ」は、「過去」ではありません。少なくとも、この文章を目にする人にとっては、常に「同時代」の出来事であり続けるはずです。しかし、今ここロシアでは、チェルノブイリは、もはや克服された過去にされつつあり、チェルノブイリ以前の栄光の時代、「原子力の時代」に再び戻ろうとする動きが顕著です。しかも、原子力省を民営化し、各地に原発を増設して電力を近隣諸国に輸出し、さらにロシアの「安価で優れた」原子炉を売り込んで経済発展をはかる、ということが実際に議論されています。一方で、好調な経済が喧伝されながら、被災者の補償は、不十分どころか、削減しようという動きまでみられます。このままでは、ロシアの被災者は、生産の「効率性」と社会の「団結」を目指す政権にとって、ただ金を食うだけの何の生産性もない、嫌な「過去」を思い出させるだけの少数者として、ますます忘れ去りたい存在になるのではないか、と危惧します。 それにしても、これ程の事故を体験しながら、それでもなお、「金儲け」や「国威発揚」の手段として「原子力」を重用するというのは、一見理解に苦しむことです。しかし、恐らくそれは、チェルノブイリやアフガンで見られたように、そして最近もチェチェンや潜水艦の事故で見られたように、依然としてこの国では(権力に対して)1人1人の人間の命が軽すぎることに関係あるように思います。つまり、事故が起きたとしても、他よりも「単価の安い」多くの命を使って安上がりに処理できるし補償できる、あるいは隠せる(少なくとも、今までは出来た)という考えがどこかにあるのではないかと思うのです。しかも、あらゆる事故やその処理において、その責任は、常に無力な「現場」の人間たちが負わされて、本当の「戦犯」は、上手く生き延びられるのです。 モスクワの西北に、チェルノブイリの事故直後、最初に被曝し、犠牲となった原発職員や消防士たちが眠るミチンスコエ墓地があります。スベトラーナ・アレクシェービッチ著「チェルノブイリの祈り」の冒頭に出てくるリュドミラ・イグナチェンコさんの夫、ワシーリーの墓もここにあります。広河さんの写真にも、ここを写したものがありますが、今では、国の「英雄」たちの墓としてモニュメントと共にすっかり様変わりし、さらにその墓の周囲にも新しい墓が建てられています。チェルノブイリの除染作業員の墓、様々な事故で亡くなった人々の墓、そして、この秋に訪れた時には、真新しい花に覆われたチェチェンで戦死した兵士の墓もありました。そこには、生前の笑顔の写真と「武装犯罪テロ集団と勇敢に戦い命を失った」との添え書きもあります。秋空の下、黄色く染まった白樺林の中にある墓地は、どこまでも穏やかで、この世には何の悲劇もないかのようです。鳥の声が響き渡り、太陽の光に木の葉が金色に輝き、真っ赤な木の実が青空に映え、その下をお婆さんやお爺さん、小さな子どもが花を手に、幸せそうな姿で歩いて行きます。中には、墓の前にお弁当を広げて、死者も仲間に宴会をしている人々もいます。ところが、そのすぐ側には、「国のために」壮絶な死を遂げた人々が眠っているのです。およそ似つかわしくない取り合わせ。しかし、これがこの世界の、この社会の現実なのでしょう。誰も自分では悲劇の当事者になるとは思っていない、ささやかな幸せを感じて生きている。でも、その時にも悲劇は、しっかりとすぐ脇に構えていて、獲物を狙っているのです。チェルノブイリもチェチェンも遠くの出来事ではなく、実は、私たちの隣の出来事なのだと感じずにはいられません。 その一方で、こんなこともありました。帰ろうと、再びモニュメントのある一画に立ち寄ると、墓参りの帰りがけの夫婦連れがやって来て、「ロシアのおじさん」が袋からお菓子を取り出し、「辛かったなぁ」と声をかけながら、1人1人の墓に供えて行ったのです。この世界の現実は、余りにも苦しみと悲しみ、そして不正に満ちていますが、それでも、このような人々が暮らしている限り、信じることが出来るし、また、このような人が悲劇の当事者にならないよう務めなければならない、2000年の末のモスクワでそう感じます。 (ミチンスコエ墓地へは、地下鉄Tushinskaya駅から、741番のバスで終点。夏18:30、冬16:00が最終便。) (モスクワ・平野進一郎) モスクワ放送でご活躍中の平野さんの声はラジオのほか、http://www.vor.ruで聞くことも出来ます。興味のある方は是非どうぞ! |