チェルノブイリの歌声
〜みなさんからのおたよりのコーナー〜
コンサート感想文より
9/27秋田和洋女子高等学校
私たち生徒会は、高校生自主企画支援事業の助成金を利用し、チェルノブイリ14周年救援ナターシャ・グジーコンサートを企画しました。このコンサートは、チェルノブイリの状況を多くの方に理解してもらうと同時に、支援団体である「チェルノブイリ子ども基金」に救援金を送り、助けを必要としている人たちのために少しでも役に立ちたいという思いを込めて行われました。夏休みから本格的に話し合いを始め、準備を進めていくうちに、被災地では事故後14年たった今でも放射能の影響で、多くの子どもたちが苦しんでいるなか、チェルノブイリの被害は速度を上げて進行していることを知り、チェルノブイリの原発事故は決して過去の出来事ではないということを実感しました。
そして、9月27日、ナターシャ・グジーさんによるコンサートが行われました。ウクライナ民謡、バンドゥーラ演奏、そして被曝者の一人である彼女の口から、事故当時の状況と、今なお、被災地で苦しんでいる人が多数いることが伝えられました。また、彼女の美しく澄んだ歌声から悲しみや切なさ、事故へのやりきれない思いが、強く心に染みてきました。
このコンサートを通して、助けを必要としている人たちに未来への夢や希望を与えたいと思いました。そして、チェルノブイリ原子力発電所爆発という重大な事故を、決して過去の出来事として忘れることなく、いつまでも人々の記憶のなかに留めてほしいと思います。切々と胸にせまる悲しみを与えたこの事故を、私は、いつまでも忘れません。
Yさん(3年・生徒会長)
10/9(祝)三重県高等学校文化祭総合交歓会
素晴らしいステージをありがとうございました。あなたたちの歌や踊り、ささいな表情からあなたたちの心に触れた気がしました。共に唄い、世界にチェルノブイリ事故のことを知らせることで、困難や辛いときを乗り越えてください−滞在中はそんな素振りは全然なかったのですが。あなたたちの舞台が、世界平和へと続いていきますように!私たちもあなた方の舞台で勇気付けられました。これからもずっと勇気を与えつづけてほしい願います。私たちに出来ることを見つけ、世界平和に貢献できたらと思います。そのためには、私たちはもっとチェルノブイリで何が起こったかをもっと勉強し、一歩前に踏み出さなければと思います。
「チェルボナ・カリーナ、ナターシャ・グジーへのメッセージ」より
11/19 世界NGO会議核兵器廃絶─地球市民集会ナガサキ
「女性フォ−ラム」大成功!●西岡由香さん
20世紀最後のNGO国際平和会議「地球市民集会ナガサキ」が11/17〜20の4日間にわたって開催されました。5月に開催されたNPT再検討会議、ミレニアムフォ−ラムの流れをくみ、核兵器廃絶への明確な道筋を提示しようと、世界各地からNGOメンバ−が結集。
「女性フォ−ラム」ではナタ−シャさんのコンサートと広河さんの講演という2本立て内容を企画。核について予備知識のない人にこそ参加して頂き、身近なことから考えるきっかけを作ろうというものです。
春から取り組み、任せてもらったはずの企画でしたが、日がたつにつれ行政側から「チェルノブイリは趣旨がちがう」とか「コンサートは導入部分でしょ」という声がきかれるようになりました。その時はまだ「ゲンバクとゲンパツ」を取り巻く根深い問題など知らなかったのです。
9月末の実行委員会は、長崎の被爆者、平和研究の先生方、大学教授、ずらりと並んだ著名な方々にちょっとヒキそうになったのですが、渋い顔をする行政側とは対照的に、実行委員の方々からは「ヒバクシャはみんなつながっている」「音楽の力が集会を奥深いものにしていく」など応援の言葉が相次ぎました。
そして迎えた集会当日。開会集会では、ナタ−シャさんと、長崎の英語教師でアメリカ出身のヴィエタさんのデュエット「アメイジング・グレイス」が会場にまるで天上の声のように響きわたりました。歌い終えたときの、割れんばかりの大拍手、感動で目頭をぬぐっている方も。
実は、ナタ−シャさんは風邪で喉を痛めていて、リハ−サルまでかなり辛そうだったのですが、本番になってまさに奇蹟、水晶のように澄んだ美しい歌声が、被爆地、長崎を癒すように流れていきました。もう戻れないふるさとへの郷愁をこめた「魂の歌」に客席からはすすり泣きの声が聞こえ、彼女自身も歌い終えて涙、涙。
そんな彼女に長崎市から、年に一度、外国人を選んで送られる、市民手作りの千羽鶴がプレゼントされる感動的な場面も。
第2部は、広河さんの講演「チェルノブイリと世界のヒバクシャたち」。スライドを映しながら語られる、ヒバクシャの現実、生と死。広河さんのやわらかな声の向こうにあるずっしりとした現実に圧倒されるばかりでした。その後のアンケ−トにも、「知らないことは罪だと思った」「核兵器廃絶ではなく、核廃絶だと思った」「核問題は自分の問題だとわかった」など「伝わったのだ」という手ごたえを感じる声が群をなしていました。
終了後のミニト−クは、広河さん、ナタ−シャさんに加えて「国際女性平和自由連盟」のニュ−ヨ−ク所長、フェリシティ・ヒルさんと「長崎原爆松谷訴訟を支援する会」の事務局次長の牧山敬子さんという、まさに「夢の共演」。
フェリシティさんは「このフォ−ラムは、ウラン採掘から核被害まで”核の鎖”の全てを網羅している。こんな意義ある分科会に出れて光栄です」と言ってくださったことです。その後も「何人子どもが亡くなったら、人は賢くなるのでしょう」(ナタ-シャ)「私達は過去の核被害から何も学んではいない。世界中に放射能の防護服はない」(広河さん)など、力強く重みのある発言が続き、最後にフェリシティさんが「地域の力と国際的な力を結び、私達の思いを粘り強く伝えていきましょう」としめくくられました。「世界のヒバクシャの現状と苦しみ、核の実態を知り、私達にできることを考えよう」という女性フォ−ラムのテ−マは、十分に会場の方々に伝わったという充実感を感じつつ、会は盛大な拍手とともに終了を迎えました。
しかし、その喜びに影をおとすような事実もあったのです。この集会を総括する「ナガサキアピ−ル」の中に、「女性フォ−ラム」はじめ市民が企画実行した「青少年フォ−ラム」などの成果は全く入りませんでした。
閉会集会前夜に開かれたアピ−ル起草委員会では、「核実験による被害だけでなく、核事故の文字を入れるべき」などの意見が、各先生方や海外NGO代表から相次ぎました。その夜は保留の形で終了し、翌日閉会集会会場でアピ−ル文に目を通してみてびっくり。海外NGO女性の粘りのおかげで「私達は核時代の苦しみを味わった広島、長崎、セミパラチンスク、ネバダ、ムルロア、東海村のヒバクシャについて多くを学んだ」という一文に「チェルノブイリ」は入っていない!英文のアピ−ル文にはしっかり入っているのに。
私は、閉会集会会場を走りました。実行委員長の元へ、人垣をかきわけて。ただ「チェルノブイリ」の文字を入れたくて。なぜならその言葉の向こうには、数え切れないヒバクシャの苦しみと、祈りと、女性フォ−ラムをつくりあげたみんなの情熱がみなぎっていたからでした。
ところが返ってきた言葉は、たった一言「ミスプリです」。かくして「ナガサキアピ−ル」は読み上げられました。「チェルノブイリ」という言葉とともに。
アピ−ルは一応の採択をみました。でも、私は拍手できませんでした。あれほど先生方もこだわった「核事故」の文字がやはり入っていなかったからです。
閉会集会後の記者会見で、「なぜこの集会では原発問題を扱わなかったのですか」という質問が記者団から投げかけられました。海外代表の方の「ヒバクシャは全て同じだと思っている」という発言を受けて私も「核廃絶への過程では、世界中のヒバクシャが手をつなぐことが大切。だから”核事故”の文字も入れるべきです」と主張したのですが、結局会見は終了。そのときにはもう、「ナガサキアピ−ル」も決定稿としてマスコミに流されてしまっていたのでした。
私はただ世界のヒバクシャの痛みを伝えたかった。サバイバルナイフで刺すのも、包丁で刺すのも痛みは同じだと思うから。ただ、いのちの大切さを伝えたかったから。
一週間たって思ったのは、「海外NGOの方たちも、運動を展開する中で、きっと同じような悔しさを抱えているのだろう」ということでした。フェリシティさんが「粘り強く」と訴えられた、あの説得力はそんな不条理や悔しさを抱えていらっしゃるからこそ生まれるものかもしれない、と。
集会が終わった今も、正直、行政側からは「女性フォ−ラムについて語るのはタブー」といった空気が感じられます。先峰をなす勇気は、孤独ととなりあわせなのかもしれません。でも、50年後、100年後の人々が「あの時ナガサキでチェルノブイリを扱った」という事実を誇りにできるには、今何をなすべきかははっきりしています。私もまず、知ること、そして伝えることから始めようと思うのです。
みなさんからのおたより・続き
ニュース目次へ
|