6月4日〜7日、ウクライナ・キエフで「第3回国際会議・チェルノブイリ事故後の健康への影響」(主催:保健省、WHO他)が開催。7日に代表の広河がスライドを交えての講演しました。最近また事故の被害を過小評価する動きが強まっており、日本でも放射能影響研究所の理事長・長滝重信の発言として、チェルノブイリの事故で亡くなったのは30数人と新潟の新聞が発表しています。現実を伝える広河の講演はそれらを厳しく批判しました。会場内では写真展も開催されました。(カッコ内はスライド写真の説明)。
(写真1 原発)1989年3月、私ははじめてチェルノブイリ原発周辺地域を訪れました。当時、西側ジャーナリストの30キロ圏以外の汚染地域への立ち入りは禁止されていました。 (写真2 廃村)それはチェルノブイリから70キロほど離れたナロジチ地区の村でした村人たちは不安を抱えて住んでいました。 (写真3 プリピャチ)私の放射線検知器は、プリピャチ市で測ったのと同じ値を示しました。国家の研究者たちは検査の後で顔を見合わせて頷くだけで、村人に結果を教えてくれようとはしない、と村人たちは言いました。村人たちは私の車を取り囲んで、大声で叫んだため、私は検査結果を村人に教えました。私は彼らができるだけ早くこの地域から避難することを願いました。 (写真4 廃屋内部)私は村人の健康が気になり続けました。翌年私が訪れたとき、ほとんどの村人は避難していました。 (写真5 母子)その後私は汚染地域に行くたびに、医薬品や食品放射能検知器などの救援物資を持っていくようになりました。それで1991年春、私は友人たちに呼びかけて救援団体を作りました。これが日本チェルノブイリ子ども基金です。 (写真6 十字架と廃村)それからチェルノブイリ汚染地には約40回訪れました。そして458の消えた村を撮影しました。知れば知るほど、想像していたよりもはるかに広い地域がダメージを受けていることが分かってきました。 (写真7 お墓)しかしIAEAはチェルノブイリ事故の深刻さを過小評価するキャンペーンをし続けてきました。1991年、IAEAは汚染は健康上大したことがないと発表しました。 この研究グループの代表は広島の放射線影響研究所の理事長・重松逸造氏でした。私たちは日本人として、この人選をもっと深刻に考えなければならなかったと思っています。彼は日本で多くの公害問題の疫学調査を行い、政府や企業に有利な結論を報告してきました。その代表的なものをいいますと、彼は水俣病と水銀を排出した企業の関係を否定し、イタイイタイ病と企業の関係を否定し、広島の黒い雨と放射能の病気の関係を否定するなど多くあります。 (写真8 大きなキノコ)チェルノブイリの楽観的な研究報告のおかげで、危機感は薄れ、救援をしなければならないという空気は薄れていきました。その結果世界からの救援は減少し、病気の早期発見の機会は少なくなっていきました。 (写真9 ターニャ)私は14歳で亡くなったチェルヌイシュ・ターニャという女の子を知っています。彼女の甲状腺ガンが見つかったときにはすでにガンは肺と脳に転移していました。 (写真10 ターニャ)彼女は病気が早期発見されていれば助かったはずの子どもたちの一人です。 私は日本人が、しかも広島の人間が、被害を食い止めるために働くどころか、事態を悪化させるために働いたということを恥じています。このことは私が、日本人として救援活動に力を入れなければならないと考えている一つの理由です。 (写真11 ユージャンカ)私たちのチェルノブイリ子ども基金の救援の特徴は次の通りです。第一に子どもを外国に連れて行くのではなく、子どもの住む国で保養させるということです。そのため私たちはベラルーシとウクライナにサナトリウム施設を建設し、運営の援助をしています。これは黒海に建設したユージャンカの建物です。 (写真12 ナジェジダ)ベラルーシの施設はナジェジダで、私たちはここに建設の頃から援助をしています。これまでに日本の援助で保養した子どもの数は12000人です。 私たちの団体の第二の特徴は、甲状腺の手術をした子どもたちを重点的に援助するということです。このサナトリウムで保養している写真の子どもはすべて甲状腺を手術した子どもたちです。 (写真13 手術を受ける子)私たちは甲状腺の手術をした子どもたちが必要としている薬を供給するだけでなく、さらに手術後の子どもで、片親が亡くなり、生活に困窮している子どもたちを、毎月支援する里親制度をもうけています。子どもたちは毎月50ドルを受け取ります。 (写真14 手術を受ける子)私たちの団体の第三の特徴は、リハビリのための施設の拡充です。キエフに6月半ばには、日本が支援する家族の救援のリハビリセンターが完成します。同じくベラルーシのアクサコブシナにも、6月中にリハビリセンターをオープンさせます。 (写真15 ナターシャ)(中略)(写真16カリーナ)私たちは、次のような社会が訪れることを、望んでいます。それは普通のことですが、とても実現が難しいものです。それは、科学者が人々の幸福のためだけに科学を用いる社会、医者が人々の健康を第一に考える社会、ジャーナリストが本当のことを報道する社会、誰もが人々の不安や病気の回復を願う社会、子どもの叫び声や泣き声が少なくなる社会です。 講演は広島の佐藤幸男先生、マスコミ、アクサコフシナの医者からも大好評でした。国連・WHO・IAEAの人間は憮然とした表情でしたが何の反論もしませんでした。広河の講演後には<チェルボナ・カリーナ>が日本公演と同じ舞台を披露し大反響でした。 会議中、議長の中嶋宏氏(WHOの前事務局長)はチェルノブイリと病気の因果関係を否定する発言をし、参加したほかの医師、市民団体から強い抗議を受けました。しかし、会議の要旨は病気の増加の原因について、事故との関連の可能性もあるが、医学の進歩により今まで見つからなかった病気が見つかったためとも言える、とまとめられ、彼らの反論はこの要旨に反映されたとは言えません。 重松に続き、日本人がこの会議で果たした役割に、残念に思います。 |