チェルノブイリ報告〜チェルノブイリの証言 事故から16年半以上が過ぎた今、甲状腺手術を受けた事故当時の子どもたちは思春期を迎え、大人になり、出産・結婚、就職という深刻な問題を抱えています。2002年夏に43回目のチェルノブイリ取材から帰国した広河隆一による手術後の若者たち、家族、医師へのインタビューを紹介します。 P.ビターリ (17歳、ベラルーシ) 「電気技師の勉強をしています」 (C)広河隆一 ―どこで生まれたのですか。 ビターリ(以下V):ゴメリ州、ホイニキのそばの村で生まれました。2歳の誕生日に事故が起こり、半月後に隣の地区に住む祖母の家へ避難しました。 ―なぜこの家に引っ越してきたのですか。 V:村のコルホーズで両親が働き始め、ここにアパートをもらえたからです。 ―手術を受けたのはいつですか。何か覚えていることはありますか。 V:1992年4月28日です。病院に行ったら、すぐに手術をしなくてはならないことがわかったのです。家には誕生日のお祝いに、祖母や親戚が大勢集まってくれていたので、その日は家に帰らせてもらい、2日後に手術を受けました。正直言ってまだ小さかったので、怖いということすらよくわかりませんでした。突然病院に入れられて、家に帰してもらえなかったことが怖かった。手術の恐ろしさ、その深刻さというものは当時まったく理解していませんでした。 ―手術の後、性格は変わりましたか? V:おとなしくなった気がします。手術の後は苦しくて大変でした。術後の経過がよくなかったので、動いたり、ちょっとした物を持つのも禁止されていました。一時的に髪の毛が全部抜けました。半月の間は庭に出ることも許されず、ただ病室のベッドで寝ていました。 ―スポーツはどうですか。 V:手術の後ずっと経ってから、学校を卒業するころに少ししましたが、今も激しいスポーツはできません。 ―どうして今の学校に入ったのですか。 V:最初はラジオ(無線)技術大学に入学したいと思っていました。小さいころ他の子たちのようにサッカーをしたりすることができなかったので、ラジオに興味を持っていたのです。ただ、学校の競争率がとても激しかったため、その夢はあきらめ、電気技師の勉強を始めました。 ―どこで彼女とで知り会ったのですか? V:去年の冬、この近くで。出会ったとき僕は18歳でした。 ―すぐプロポーズしたのですか。 V:たぶん、すぐではなかったと思います。出会ってかなり経っていました。 ―どんなふうにしたのですか。 V:具体的にではなく、いつも結婚しよう、と彼女に言っていました。 ―ずいぶん若く結婚したのですね。 V:たぶん都会では、25歳位になってやっと結婚を意識し始めるのだと思いますが、このような農村では、そんなに遅くなってから結婚するケースはほとんどありません。みんな早く結婚します。 ―彼女が妊娠したとき、世話をしましたか? V:もちろんです。 ―娘さんの健康はどうですか。 V:今のところ元気ですが、これからのことはわかりません。 ―卒業後はどうしますか。どこで働きますか。 V:もしかしたらミンスクに行くかもしれませんし、ここで働くかもしれません。 ―学校の勉強はどうですか。 V:今の成績はすべていいです。中等学校のときは中くらいでした。ただ、その当時の勉強のおかげで、今電気に興味をもてるようになったのだと思います。9月3日まで実習があり、それから卒業制作にかかり今年の12月で卒業します。 ビターリの妻:彼が実習で遠くへ行ってしまうのは、寂しいです。 ―あなたの病気について、彼女は何か知っていましたか。 V:妻はそれがどういうものか、どれだけ恐ろしいものか、わかっていなかったと思います。ごく一般の人と同じように。 ―現在の健康状態はどうですか。 V:今のところ、健康面では問題ないようです。手術から10年経っていますし、特に外見は他の人とまったく変わりません。健康面では大きな問題はなく、普通に成長できたと思います。ただ、定期的に検査を受けたり、薬を飲んだりしていますが…もちろん、あまり嬉しいことではありません。
|