チェルノブイリ報告
ベラルーシ「希望21(ナデジダ)」 ベラルーシの首都ミンスクから北に約60キロにある森と湖に囲まれた大変環境の良いところです。甲状腺手術後の子どもの年齢の上昇に伴い、今年初めて職業訓練教室を試みました。美容師の教室はとても人気があり、男の子も女の子もみな喜んで参加しました。この授業で髪の毛を染めたり、パーマをかけた子も何人かいました。この他にコンピュータ教室・コンピュータグラフィック教室・英語教室などが開かれました。「もちろんすでに職業を決めている子もいるので、そういう子にとっては関係ないと思われるかも知れませんが、こういう経験をしたということがとても良い思い出になったり、自分の持っている可能性に気づいたりした子もいたでしょう」と保養所の職員は評価していました。コンピュータ教室に関しては、もちろん子どもたちの学校にもコンピュータはありますが、機種が古かったり数が少なかったりで、皆が十分に使えるわけではありません。コンピュータに加え、今回新しくデジカメ用のプリンタを支援しました。この教室はいつもたくさんの子どもでいっぱいで、順番待ちの状態です。ここで新しいコンピュータを使ったり、いろいろなプログラムをやったりという経験は子どもたちにとって大きな自信になるのだそうです。 職業訓練の教室の他に、絵画教室・陶芸教室・シンセサイザー教室・演劇教室などが、今年の1月に新しくオープンしたスポーツ文化施設で開催されました。陶芸教室の陶芸用の窯も子ども基金が援助しました。以前「日本週間」があった時に、日本人ボランティアがここに来て焼き物教室をやったこともあります。シンセサイザーも普通子どもたちが通っている学校にはないものなので、とても人気があります。 体育館では、子どもたちがいろいろなスポーツやゲームなどをして遊んでいました。体育館ができる前は、雨や寒い日は、体を動かせる場所はなく、宿泊棟の一室のレクレーションルームや廊下やロビーなど狭いところでしか遊べませんでした。今はどんな天気の時でも思い切りここで遊べるようになりました。スポーツ大会では参加者だけではなく、応援側も大変な盛り上がりでとても楽しそうでした。 野外で様々な催し物も行われました。“インディアンの日”だったか“原始時代の日”だか忘れてしまったのですが、そのようなテーマを決めて3つの宿泊棟がそれぞれのグループに分かれ、踊りや歌を発表し競い合いました。普段催し物はここの職員の人たちが企画しますが、今回は特に大きい子たちが多かったので、なるべく子どもたちの自主性に任せようと彼ら自身にいろいろな企画をさせたりしたそうです。発表自体もですが、準備の段階がとても楽しいようで、体や顔をペイントしたり、奇抜な髪型を作ったり、いろいろな小道具を作ったりして、朝からとても楽しみにしていました。踊りや振り付けも、自分たちで考えていました。 ここは“学校保養施設”といって、普段は甲状腺手術後の子どもだけではなく、高濃度汚染地に住む子どもたちが学校単位で保養をします。午前は学校の授業、午後は遊んだりクラブ活動をしたりします。8月の特別保養期間は甲状腺手術後の子どもたちの為のもので、夏休み中ですので授業はやっていませんが、学校の先生の他に子どもたちの教育係という特別な職員がおり、彼らが子どもたちの生活全般の面倒を見たり心の相談にのったり、とても大切な役割をしています。 保養所にやって来ると、まず全員の子どもが健康診断を受けなければなりません。その結果、虫歯が見つかると保養所内にある歯医者に行くことになります。ただ、ここは医療専門の保養所ではないので、もっと重い病気の治療などはできません。大変な病気が見つかったら、他の病院に行かなければなりません。マッサージ治療もやっており、最初の健康診断によってお医者さんがそれぞれ個人に必要と決めた上で、治療を受けています。マッサージはとても人気があって、皆が喜んで行くところです。この他にサウナもありますが、それも誰もが行けるわけではなく、心臓の悪い子などは無理なので、お医者さん判断の下で行っています。体操は治療の一環として、子どもの体力や病気ごとに、それぞれに相応しい内容のものをやっています。「病気の子どもたちは普段学校で体育の授業は見ているだけで何もさせてもらえないが、ここに来れば自分の病状とか体調に合った運動ができるので、みな大変喜んでいる」と体操の先生は話していました。また、この施設の中には農園があり、食堂で出される野菜は全てここで作られたものです。野菜以外の食べ物も全て放射能の値をチェックした安全なものです。ここの医療センターに超音波診断装置、心電図測定器、検眼鏡などを子ども基金が支援しました。これを買って終わりというわけではなく、必要な消耗品なども継続して支援しています。保養にやってくると子どもたちは皆検査を受け、その結果を帰る時に渡すようにしています。それを自分たちの家に持ち帰り、家の人に見せ、病院に行く時に役立てています。 私はマッサージ教室を開きました。学生時代に少林寺拳法をやっていて、その時に習った整体、それに指圧も習っていたので、自分が知っているものの中で誰にでもできて安全なものを教えました。時々ふざけたりもしますが、大変喜んでやっています。マッサージ師になりたいというある男の子には、「この授業が終わった後にも個人的にもっと教えて欲しい」と、嬉しいことを言われました。以前「日本週間」のマッサージ教室に参加したある男の子から、「家に帰ったらお母さんが腰が痛いというのでマッサージをしてあげたら良くなった、教えてくれてありがとう」と手紙が来たことがありました。 保養に来た子どもたちは、浴衣を着て盆踊りを楽しみました。日本の人たちが寄付してくれた浴衣が7年前からずっとここに置いてあります。着るのはもちろん、見るのも初めてという浴衣は、子どもたちにとても喜ばれます。盆踊りも簡単で、誰でもすぐに踊れますから、本当に皆嬉しそうにやっていました。この盆踊りのテープをダビングさせてほしい、自分の家に持ち帰り学校などで踊るんだ、と言っていました。去年もそういうことがありました。日本人がいない時でもこの浴衣は使われています。日本人ボランティアがナデジダに行くようになってもう7年経ちますので、職員たちは浴衣の着方も盆踊りも覚えているのです。私はただこんな風に皆がニコニコして踊ってくれるので嬉しい、と思っていましたが、ここの職員や心理学の専門家たちに言わせると、これは本当にすばらしい精神的なリハビリになっているということです。 保養所からバスで約30分のところにある、この辺りでは一番大きな町の折り紙クラブの先生がここに教えに来ています。でも紙が日本の折り紙のように正方形でなかったり、とても硬くて扱いづらかったり、また、雑誌のページを正方形に切って使ったりもしていました。しかし折り紙の技術水準は大変高く、私が作ったこともないような難しそうなものばかりを皆作っていました。私が持参した日本の折り紙を先生に見せたら、その質の良さにとても感動していました。
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