※チェルノブイリ子ども基金の事務局は長い間、現在のシャトレ明大前ビル内で活動してきました。広河事務所と同居の時代もあり、同じ建物内で都合4回移動しており ます。しかし、どのときも「とりあえず引っ越す」という感じで、いつも手狭さを解 消するには至っておりませんでした。ボランティアの方々にもご迷惑をおかけしてき ましたが、近々引っ越しの予定です。同じビル内ではないかも知れませんが、電話・ FAXは変更しなくても済むところを探しています。
今後、事務所においでの折は、電話連絡の上、お越しください。
※引っ越しにともなって、机ももう少し置けると思いますので、中古のパソコンを求めています。今、お2人の方からノートパソコン提供のお申し出があるので、実現すれば、あと1台ぐらいです。もし、買い換えを予定されていましたら、ぜひ、お譲りください。
松田事務局長退任のあいさつ
突然ですが5月末を持って、退職する事になりました。「子ども基金の事務局長は常にチェルノブイリのことを考えていなくてはいけない」という、前代表の広河さんの言葉を胸に、5年半の間仕事を続けてまいりました。仕事に要求される能力と自らの未熟 さとの間で葛藤する毎日ではありましたが、ボランティアの方をはじめ、多くの方との出会いが、私を事務局長として育ててくれたように思います。
初めてのコンサートの仕事では、主催者の戸惑いがそのまま私の戸惑いでした。専門家ボランティアの熱意に圧倒されながら、初めての「日本週間」では子どもたちの笑顔に励まされました。現地救援団体・病院への訪問や交渉は、直に接する大切さを改めて実感しました。子ども基金の救援は何なのかを問われる時、「私たちには医者にはできない支援ができるのだ」という「ナデジダ」所長マクシンスキーさんの言葉を思い起こしました。そして、日々寄せられる募金からは、募金者の一人ひとりに支えられているのだと勇気づけられ、感謝の思いでした。
今なお続く核の被害に苦しむ子どもたちに接し、それに対する怒りと同時に日本人で ある私は間接的であれ責任があるのだと強く思います。世界の関心と救援の手が引契機となった、事故の被害はたいした事はないのだというIAEAの事故調査報告の責任者は日本人でした。そして、現在も日本は50基以上の原発を抱えています。
人間は、特に辛苦や悲しみは忘れなけば生きていけない事もあります。しかし、チェルノブイリを忘れる事はまた同じ被害を呼び起こす事になりはしないでしょうか。そして、様々な無関心が日本をかつてきた道へ引き戻そうとしてはいないでしょうか生活することだけでもたいへんな世の中、全ての社会問題に常に関心を持つ事は難しいですし、快楽や娯楽も魅力です。しかし、無関心や傍観者でいるという姿勢が、できるはずの救援さえを切り捨て、結局は私たち自身を殺す事になるのではないかと、自戒を込めて思います。できることはたくさんあるはずです。
この基金ニュースでの「スタッフ募集」が縁で、「子ども基金」に専従職員という形で関わってまいりましたが、いつか、ボランティアとして関わる事ができたらと思います。
いろいろな形で支えてくださったすべてのみなさまに心から感謝申しあげます。今後ともチェルノブイリ子ども基金をよろしくお願いいたします。(松田奈津子)
*長い間、おつかれさまでした。
●募金のお願い
事故から18年が経過しようとしている現在においても、放射能汚染地には600万人が住みつづけているといわれています。被曝した子どもたちにとって、汚染されてない食べ物と、きれいな空気の中で健康回復を図る保養は不可欠です。また、甲状腺手術後の子どもたちは、一生薬を飲みつづけなければなりません。一人でも多くの子どもたちの支援のために、皆さまからの募金をお願いいたします。なお、ご送金には同封の郵便振替用紙をご利用ください。 |
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