記録的な猛暑だった日本と違い、ベラルーシの今年の夏はごく過ごしやすいものでした。昼間は日差しが強く、日が照っていればかなり暑く感じますが、湿度が高くないので日陰は涼しく、熱帯夜とも無縁です。あまりに気温が低く、雨が続くような冷夏だと日本の暑さが少し懐かしくなったりもするのですが、今年は割合晴れた夏らしい日が続きました。9月に入ると、こちらではかなり気温の下がる日があります。「バービエ・レータ」(女の夏)と呼ばれる数日間の暖かいよい天気もこの時期はありますが、そろそろ冬の支度を、と気の早い人は考え出す頃です。学校の夏休みは3カ月と長いのですが、本当に夏らしい天気というのは終わってみるとせいぜい2カ月程度ですから、この間に大人も子どもも少しでも太陽を浴びようとしているのがよく分かります。ミンスクの町中でも、天気のいい日には草原に水着で寝そべって日光浴したり、川や池で水浴びする人がよく見られます。紫外線の害について気にする人もほとんどないようで、皆夏になるとこぞって日焼けにせいを出すのです。
両親共働きの家庭が多い旧ソ連では、子どもを預かる体制は比較的充実しています。幼稚園は通常、親が仕事を終えて迎えに行かれるよう、夕方6時頃まで子どもを預かってくれ、朝・昼・夕と間食を含めた5食を出してくれるところもあるようです。夏休みも園を完全に閉める期間はそう長くないようです。大人も子どもほどではないにしろ、夏は1カ月程度の休暇をとるのが一般的ですが、残り2カ月、幼稚園がなかったら困る親も多いと思います。学校に行く年齢の子どもたちには、「ラーゲリ」と呼ばれるサマー・キャンプがあります。日本では「強制収容所」としての意味が用いられますが、本来、こうした「キャンプ」を示す言葉です。ラーゲリには親の職場単位、労働組合単位のものなどがあり、職場でクーポンが支給され、子どもを20日程度の単位で送ることができるものです。子どもによっては一夏の間に複数のキャンプに参加したりします。キャンプに参加するほか、祖父母のもとに預けられるケースも多く、特に祖父母の住んでいるのが田園地方である場合、都会の子どもは自然に親しむこともできます。
ダーチャと呼ばれる郊外のセカンド・ハウスで過ごす休暇も一般的です。従来日本ではこれを通常「別荘」と訳していましたが、最近では日本の別荘とはだいぶ違う、という理解が一般的になり、「ダーチャ」とそのまま呼ぶことが多くなりました。ダーチャの特徴は、土地があって家庭菜園などに利用できることです。もともと、区画整理された土地(正確には土地私有が認められていないのでその利用権)を購入し、そこに各自が家をたて、畑仕事もできるようにしたのがダーチャでした。つまり、菜園で野菜・果物をつくってそれを保存用に加工して冬に備える、という生活上の必要性と、自然の中で過ごすという休息を兼ねた場所がダーチャなのです。生活上必要とは言っても、週末ごとに足を運び、畑仕事をするのは決して楽ではなく、これができるのはロシア人(ベラルーシ人)が土とともに生きてきた民族だからなのだと感じます。もっとも今ではお金を出せば野菜でも果物でも手に入る時代で、若い人々は畑仕事を嫌う傾向があります。最近では、特に菜園目的ではなく、郊外の一戸建て(コテージ)(ある程度の土地もついている)を購入するケースが多いようです。こうした伝統的な夏の過ごし方に加え、最近では国外のリゾートという選択肢も広がってきました。ソ連時代もクリミア半島など黒海沿岸地域やバルト海沿岸地域は人気があり、クーポンをもらって保養所(サナトリウム)に出かける人もいました。今ではクリミアはウクライナ、バルト諸国もそれぞれ独立国となり、これまでとは事情が変わりました。バルト諸国へベラルーシ人が入国するには査証も必要です。ウクライナは「外国」とは言っても査証も要らず、設備・サービスなどの点では見劣りしても格安で利用できる施設があるため、今でもベラルーシ人にとって国外では最も人気のあるリゾートです。その他にも旅行会社が提供するツアーは各種あり、ここ数年クリミアの次に人気を集めているのはトルコだそうです。いずれにしても行き先は徹底して「海」です。
夏も終わり、町や職場に人が戻ってきました。日本に比べればずっと過ごしやすい夏の間に仕事をして、後でゆっくり休もうと考えていた私ですが、今さらながら「郷に入っては郷に従え」、夏は休むべきでは? と思ったりしています。今年はまだよかったですが、やはり暑ければ仕事の能率は下がるし、仕事相手が一ヶ月休暇で話が進まない、ということが多いからです。生活習慣というのは、気候や風土と結びついた理由のあるものなのだと実感する今日この頃です。
花田朋子(ミンスク在住日本大使館勤務)
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