ナターシャ・グジーさんとは今回で4回目です。第1回は一戸で行われた2003年11月30日。この日盛岡から日ロ協会岩手センターの事務局長の車で、出かけました。ところが途中道をまちがえ会場に着いた時はもう開演10分過ぎていました。足音を立てないようドアを開け椅子につき、初めて会ったナターシャの美しさに一目ぼれ。初めて見る民族楽器バンドゥーラの響きの美しさ、さらにナターシャの澄みきった声には、身も心も吸い取られるような気分でした。これが被曝者の声かと疑いたくなる程で、心地よく帰路につきました。盛岡でグジーコンサートは出来ないものかと、早速翌年の事業計画に提案し、2004年9月29日、日ロ協会岩手センター主催のコンサートを開催しました。ところがこの日は台風の通過日で雨風がひどくチケットの販売の半数位の入場者でしたが、バンドゥーラの響きと、ナターシャの美しい声、そして原発事故の実体験の話に一同目頭を熱くしておりました。
そしてこの日涙を流した人からもまた当日会場に来られなかった方からもアンコールの電話が寄せられ、2005年9月28日にはまたナターシャ・グジーコンサートを開催することが出来ました。
いつもの事ですが、これら行事をする時、事務局は裏方で、演奏をまともに聞くことも、見ることも出来ません。今回2006年2月16日は盛岡ユネスコ協会主催でしたので、私はお手伝いだけで、ナターシャ・グジーコンサートを4回目にして最初から最後まで聞かせてもらいました。そしてアンコールの最後の“ふるさと”は一緒に、涙の出そうになるのをおさえ、若いふりをし、大きな声で唄いました。
63弦もあるバンドゥーラを弾くあのエネルギー、それに反するかの如く、あの細い美しい声で唄だけでなくチェルノブイリの事故と世界平和を語られるナターシャの情熱には、私ばかりではありません、会場の半数以上の方々が目頭に手をあてておられました。
ナターシャさんは現在日本で活躍しておられますが、どうかお体には十分ご注意ください。そして被災され、ウクライナで今も生活されておられる方々も、いろいろと不都合はあると思いますが、少しでも明るい毎日であります事を祈っております。
日ロ協会岩手センター 事務局長 豊島美喜子(85歳)
私は、日本のコウノトリ生息地・兵庫県豊岡市の出身です。NHKのラジオ深夜便で広河隆一さんの話を聴き、「屋根の上のコウノトリ」の歌を聴き、豊岡の人にも知ってもらいたいと思って、この歌の入っているCDを買いたいと思いました。チェルノブイリ原発事故の被害を受けた人たちがこの歌に願いを込めていることを知り、感銘を受けました。
4月26日の西新井のコンサートもできれば聴きに行きたいと思っています。
(東京 F)
盛岡ユネスコ協会主催のコンサート 2/16
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