2006年度3月生 奨学生決定(ベラルーシ)



M.ヴィタリーナ(女性)
87年生まれ。ゴメリ市。甲状腺腫。他に婦人科系の病気。ゴメリ市立大学1年生。生物学部。18歳でチェルノブイリ障害者認定を取り消された。

L.タチヤナ(女性)
85年生まれ。ロガチョフ市。甲状腺ガン。03年と04年の2度手術。チェルノブイリ第3級障害者。ゴメリ国立農業経済カレッジ3年生。

M.ユリヤ (女性)
85年生まれ。ミンスク市。95年甲状腺腫の手術。第3級チェルノブイリ障害者。ベラルーシ国立大学歴史学部3年生。専門は歴史・外国語。【86年4月、ユリヤは父母と一緒にチェルノブイリ原発から15kmの場所にある祖母の住む村にいました。チェルノブイリ事故の一週間後に、村の住人とともにミンスクに避難しました。】

S.セルゲイ(男性)
88年生まれ。ミンスク市。95年7月甲状腺ガンの手術。第3級チェルノブイリ障害者。ベラルーシ国立情報・無線電子工学大学1年生。工学・経済学部 情報システム・技術専門。

M.タチヤナ(女性)
85年生まれ。モギリョフ市。94年甲状腺ガンの手術。第3級チェルノブイリ障害者。05年モギリョフ国立食料大学の通信制に入学。専攻は国政経済。


5人の奨学生のうちセルゲイとM・タチヤナは、2000年夏 [子ども未来会議](「ありがとう基金」主催)に参加するために来日しました。日本各地でチェルノブイリ事故の被害を訴えました。当時彼らは下記のような話をしました。病気のつらさや周りから理解されない苦しみを乗り越え、今はしっかりと自分の道を歩いています。

セルゲイ(12歳)
1995年7才の時に初めて手術を受けました。手術の時、とても怖かったのを覚えています。手術後、学校の友達の僕に対する態度が変わった気がします。僕の生活も変わってしまいました。僕は社会から切り離されてしまった様な気がします。最初の手術から3年たてば、全ての辛いことが終わるのだと考えるようになりました。しかし、2回目の手術を受けなければならないと言われショックを受けました。僕の夢は健康になること、コンピュータープログラマーになることです。

タチヤナ1(15歳)
チェルノブイリ事故が起きた時、私は生後9カ月でした。原発から60キロほど離れたホイニキという町にいました。両親は事故があったことを知らず、私を日光浴させていました。私は大量の放射能を浴び被曝しました。そして数年後、甲状腺に腫瘍があることがわかり手術をしました。手術は成功しましたが、毎日薬を飲まなければなりません。時々学校を早退したり体育を休んだりすることを友達は理解してくれません。入院のために授業に出られなかったこともわかってくれません。私はいつも医者の管理下におかれて暮らさなければなりません。97年、初めて「希望21」(ベラルーシ)に行き、私と同じような子ども達と出会いました。そしてそこでは多くの友達が出来ました。その友達は困難な状況の時私を助けてくれます。

ベラルーシの“若い家族支援”についても新たな3家族が決定しました(次号でお知らせします)。

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