感想ノートより
●とても感情の込もったすばらしい展示会は私の心に深く入りました。私はチェルノブイリ原発について多くを知り、今日写真を見てこう思いました、もっと聞いて、もっと見ようと! マリヤ 2006.04.19
●ここにはグループで来ましたが、誰ひとり写真を見て平静でいられた者はいません。本当に恐ろしいことだ。みんな人生をだめにされてしまったんだ! 4.21
●20年前に起った大惨事の恐怖のすべてを映し出したすばらしい写真展でした。この危険な地域から遠く離れたところに、この問題に関心を寄せてくれる人たちがいるということはすばらしいと思います。ありがとうございました。オリガ 18歳 4.19
●幸福を願っています。リョーシャ第186学校生徒
●避けられたのに! 教師 第59学校パヴロ 4.22
●涙と同情をありがとう。覚えていてくれてありがとう。マルコフスキーの家族一同 4.23
●悲劇については大体は聞いていましたが、それに耐えて生きている人々を見るのは別です。優れた写真はとても強い感銘を与えます。見ることによって再び多くを考えさせられることを、主催者に感謝しています。 エレーナ
●非常に浸透力のある展示会で、あなた方は人々に起こったすべての惨禍を思い出させました。ありがとう、この世界に過去のあやまちを繰り返さない理性があるという希望がまだわずかに存在するのですから。 カテリーナ
●展示会を訪れ私の不幸なゴメリ州にいるようでした。親類や近しい人々、故郷の人々の顔があったので。私は1986年4月26日を覚えています。私のママはチェルノブイリ原発のリクヴィダートルに加わりました。今は病気です。チェルノブイリは私たちの痛みです。恐ろしいことです。同じようなことが決して繰り返されないことを祈ります。ガリーナ 06.04.20
インタビューより
<ミンスク会場>
●汚染地域の村の家を埋める作業をした男性。45〜50歳くらい。「まさに写真のその村で作業をした。辛い作業だった」
●手術台の少女の写真を見て泣いた女性。30歳代。「自分が乳ガンの手術をした時、病院にこの写真とよく似た女の子がいた。あの子は今どうしているかと思い出した。もしあの子だったとしても、私のことは覚えていないと思う。その時の自分は化学療法の後で髪が全部抜け、頬がこけて今とは別人のようにひどい状態だったから。あの子が今も元気でいてくれたらいいと思う」
<ゴメリ会場>
●ブラーギンの役所の女性。30歳代。「この写真の風景は全部自分の目で見てきたものだけれど、こうして写真で見るとさらに強い印象を受けた。撮影した方に感謝します。自分の住む地域の将来のことを思うと不安になる」
●ゴメリ市に住む男性。40歳代。警備員。「事故から40日目に原発近くで働いた。3日で村人を退去させる仕事だった。村人たちは荷物1個とパスポートだけを持ち出してよいと決められていた。この写真はどれも美しい芸術作品だ。自分が見た風景はもっとひどいものだった。どうかこの荷物も、とか、どうかこのネコも、と頼む村人たちをこの目でみた。辛い仕事だった。人がいなくなった後の家、残されたネコや犬、家畜。悲しい風景だった。自分はチェルノブイリの仕事をして2度表彰されたが、病気になっても障害者に認定されず、障害者年金ももらわなかった」
●杖をついた50歳位の女性。「感想をお書きください」という表示を見て。「一体どんな感想を書けというの。この写真はどれもきれいすぎて気に入らない。本当はもっと悲惨なものだ」憮然とした様子で語った。
●20代後半くらいの女性。「この写真展を開いてくれてありがとうございます。ベラルーシ人が忘れてしまいそうなことを記録してくれたことに感謝します」
ボランティア学生の感想
●写真展を見ることができて、どうもありがとうございます。私はゴメリの出身ですから、私にとってとても大事でした。世界中の人はチェルノブイリの問題についてよく考えていて、いいことだと思います。ベラルーシ人はこの国に住んでいるのに、放射能についてあまり考えません。写真を見たあとでたくさんのベラルーシ人はチェルノブイリの事故を思い出して、悲しかったです。でも、そのようなことについていつも考えなければなりません。 ナージャ 国立大学2年
●この展覧会を行うのはとてもいいアイデアだと思います。ベラルーシ人にとってチェルノブイリはとても大切なテーマです。日本人はチェルノブイリのことについて考えてくださって、ベラルーシ人はとてもうれしいです。みんなこの展覧会の写真を見て、感動しました。そして、そんな写真展がたくさんあったら、ベラルーシ人はチェルノブイリについてもっとよく考えるようになっていきます。いろいろ心配してくださって、どうもありがとうございます。 ターニャ ベラルーシ国立大学2年
ボランティア参加者の報告
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