ボランティア参加者の報告
ベラルーシから戻り、数日が過ぎた。今、かの地で過ごした時間、出会った人々、感じた事柄をゆっくりと反芻している。
広河隆一氏の写真の持つ力は、やはり凄いと思う。共和国宮殿地下の写真展会場には、国際会議に参加している人だけでなく、個人として多くの老若男女が訪れた。学校の先生に引率されて来た子どもたち、学生も多かった。「これを見て、チェルノブイリに対しての意見が変わった」「この写真を見て、ふだんの生活の中で痛みや悲しみのある人々の存在を深く感じた」「またこのような写真展が行われる事を期待しています。知り、考え、感じる事はとても大事です。間違いを繰り返さないために」メッセージ・ノートにはさまざまな言葉が残された。
入り口脇の台に置かれた、写真集『チェルノブイリ 消えた458の村』や『DAYS JAPAN』を真剣な眼差しで見ていた人々、「できれば購入したい」という声が幾つもあった。
深い悲しみと対面した時、真実に触れた時、人の瞳には独特の光が宿る。その光を湛えた人が、「スパシーバ(ありがとう)」と漏らす言葉に、私は襟を正され、通じ合うものを感じ、「スパシーバ」と返した。
日本語学科の大学生数名が、ボランティアでよく手伝ってくれた。電子辞書を片手に日本語のメッセージをロシア語に翻訳し、来場者の言葉はほとんどがロシア語だったので、それを一生懸命日本語に通訳してくれていた。言葉がうまく出なくてもどかしそうでもあったが、彼らの日本語を習得した後の夢や目標を聞き、それに向けて努力している姿に、この国の希望を思った。一人の学生はこう言った。「私は詩を書きます。愛について。でも私の書いた詩を読んだ人が“政治的”だと言うんです。私は愛について書いているつもりだけど、だんだん自然とそうなってしまうのかもしれない、今は」
「希望21」の施設見学。270人の子どもたちが保養にきていた。子どもたちは皆元気そうに見えるけれど、低汚染地域に住んでいて、決して健康ではない。中学生ぐらいの子どもが質問に立った。「私たちがチェルノブイリの悲劇を忘れないように、日本の子どもたちもヒロシマ・ナガサキを覚えていますか」私たち大人は自問する必要があるだろう。「私たちはしっかり伝えているか。どういう伝え方をしているか」を。
里子の子どもたち、ご家族、と交流を持った。家庭に招待され、素晴らしいご馳走をいただいた。それは決してぜい沢できる生活ではない方々からの、精一杯の感謝の表われのご馳走だった。行くところ行くところで温かい持て成しを受けた。日本の支援とはよく聞くが、私は初めて支援の先の、個人と個人のつながり、一朝一夕では築けない信頼関係によって成り立っている絆に立ち合わせていただいた。
ベラルーシで会った人々の多くは、一見では分からないが、手術を繰り返さなければならなかったり、薬を飲み続けなければならなかったり、免疫機能低下により疲れやすく病気になりやすいなど、それぞれ困難を抱えていた。ボランティアの学生の一人はそっと、耳元で告白するように話してくれた。「私もそうですが、私たちは皆、チェルノブイリの影響で何らかの病気や障害を持っています」彼女は病気とは無縁のような屈託の無い、美しい笑顔の持ち主だった。
最後に、あらためて思う。ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・チェルノブイリと言うだけでなく、本当に繰り返さないで、と願うならば、生命を軽んじ経済を優先させる方針を見過ごせないだろう。
今回このような企画に参加できた事を、深く感謝しています。大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
中井 風子
【事務局注】中井さんはさっそく地元で報告会を開きます(「事務局から」参照)。お近くの方、よろしかったらご参加ください。
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