里子と会って

チェルノブイリ写真展 ボランティア参加者  伊藤 展子


汚染地に住み続けるリージャと家族

私たちは地球をこわしながら日々の生活を送wwっているのでしょうか。豊かな自然にあふれた昔にもう戻れないところまで来てしまったのでしょうか。ミンスクの地平線が見える草原、松林や白樺林の続く自然の中で感じる不安はどうしようもありません。

1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故で、最大の犠牲者を出した国ベラルーシ。里子のリージャは生後8カ月で史上最悪の原発事故の犠牲者になりました。リージャは今でもゴメリ州の汚染地に住み後遺症に苦しみながら、目的を見つけようと畜産学校に通っています。今まで里子個人に対して特別の感情をもつことはなく、ただ、今自分と同じ地球上で暮らしている子供たちが、自分の夢や希望に向かって精一杯生きてゆけることができれば、その思いだけで良かったのです。

ゴメリの写真展終了後、リージャの家族が私を訪ねてくれました。ホテルのロビーで会った瞬間から、リージャをかわいいだけでなく、いとおしく思える感情があふれてきました。なんてさびしそうな目をしているのだろう。この子の苦しみを自分は十分にわかっていなかった。話をし、散歩をするうちにその思いはますます強くなり、会えた喜びと、苦しさが入り混じり、戸惑っているばかりでした。

この子のために自分にできるもっと精一杯のことをしたい。二度とこのような事故をおこさないために、リージャのような子供をつくらないために、現状を多くの方に知ってもらうために、支援の輪がひろがるために、美しいい地球を取り戻すために、身近なところから何かを始めたいと思います。

(編集部注) この結び文のとおり、伊藤さんはすぐに以下のような行動をされました。

【写真は、里子リージャ(右)と妹】

瀬戸ピースフェスティバル

毎年開催されている地域の平和活動展に、今年は自分の作品の他に、春に訪れたベラルーシの「希望21」からチェルノブイリ子ども基金に贈られた、子どもたちの絵を展示することができました。7月28日(金)〜30日(日)の3日間で約300人の来場者があり、チェルノブイリ事故の話をされながらゆっくりご覧になる方が多く、それぞれの心に深く刻まれていることを感じとることができました。

展示スペースが想像以上にありましたので、広河さんのカレンダーを写真として飾り、チェルノブイリ事故の地図や説明パネルを、子どもの絵と写真の間に展示しましたが、皆さん関心を持ってじっくり読まれ、おばあちゃんが小学生のお孫さんに熱心に説明されている姿や、間違えて会場に来てしまった男子高校生が最初にチェルノブイリの子どもたちの絵を見、その後1時間以上かけてその他の会場を回っている姿に、まだ間に合う、大丈夫、の思いがしました。

翌日、身じろぎもせず食い入るように、消えた村の写真集を見ている少女を見つけ話しかけると、「道の迷って展示会場にきてしまったけど私はここに来るめぐり合わせだったのかと思います。日本の原子力発電のことを考えると考えると不安です。人間はこんなに電気を使わなくてはいけないのでしょうか、少し我慢すればいいことを。みんなが生活全体をみなおさなければいけない。1986年産のフランスワインが安いのはなぜか、考えなくては。もっといろんなところでこの展覧会をしてください。私は今、名古屋国際飛行場のある常滑に住んでいます。ぜひ常滑でもお願いします。」と言ってくれた彼女との出会いは次のステップへの大きな後押しになるでしょう。

里親制度 甲状腺手術後の困窮家庭の子どもを対象に98年より開始。現在では甲状腺以外の病気の子どもも対象になっています。月50ドルを支援してくださる里親を募集しています。遠く離れた日本からの支援は、子どもたちの医療費をまかなうだけでなく、子どもやその家族の大きな心の支えにもなっています。今までに220人を支援しています。


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