S・ミーシャ
1979年ミンスク市生まれ。95年5月甲状腺結節切除。同年7月甲状腺全摘出。第3級チェルノブイリ障害者と認定されている。
妻クリスチーナ、息子マキシムとミンスク市内で3人暮らし。チェルノブイリ障害者の特典としてアパートを与えられた。ミーシャの母はミンスク市内の別のアパートで暮らしている。ミーシャの実の父親はチェルノブイリ事故後、原発20km圏内で働いていた。その父親は甲状腺の病気になり手術しなければならなかったが、その前に酒が原因で亡くなったという。
ミーシャ現在は靴職人として働いている。職場では障害者であることを隠している。「誰も障害者を雇いたがらないし、障害に応じて労働時間が短くなるため給料が減らされる。“労働能力何%喪失”と認定され、少ない給料と手当でどうやって暮らしていけというのか」とミーシャの母。本来なら障害者の特典として与えられる保養クーポンなども利用していない。
「息子は食が細いわけではないのですが痩せています。体が弱っているせいなのか、それともホルモンの影響ですぐに疲労してしまうせいなのか、子どもの時からよく眠ります。見ての通り、息子は青白い顔色をしています。職場ではいろいろな塗料を使うのでそれが体に良くないことはわかっています。でも他の仕事に就くことはできないのでどうにもならないのです」ミーシャは手術で甲状腺を全部摘出し、放射性ヨード治療を7回受けた。最後にその治療を受けたのは3年前。今も1年に一度は検査に行く。毎日チロキシンを服用。以前は手の先がむずむずと痒いような感覚があったが、最近は顔・手足・舌などに痙攣の症状が起こる。普通はカルシウム値が足りないと起こる症状だが、検査の結果ではカルシウム値は足りている。いつもカルシウム剤を服用しているが、痙攣が起こると病院で腕にカルシウム液を注入する。一度救急車で運ばれた時、病院にその注射がなかった。冬場はまだよいが、夏は週に1回は痙攣の症状が起こる。2005年には痙攣のため3週間入院していた。
「まるで毎日の歯磨きのように薬を飲んでいます。まずは朝起きてからチロキシン、朝食後カルシウム。薬AT-10は有料、自分で買っています。医師が処方してくれるのはベラルーシ製の薬だけです」とミーシャ。妻のクリスチーナは2001年に心臓の手術を受け、その後は年に一度検査を受けている。「本当は手術の後、障害者認定を受けることになっていました。でも“職業能力喪失”と認定されるとわかっていたので、申請書類を提出しませんでした。そのように認定されたら就職できなくなります。働かないと暮らしていけませんから」とクリスチーナ。その後も心臓検査の結果はいつもよくなかったが、妊娠中は特に問題はなかった。マキシムは今のところ健康に問題はない。2歳になったら甲状腺の検査を受ける予定である。
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